2019年4月23日


辻堂駅(JR東海道線)--羽鳥交番前交差点・東海道-大山街道(田村道)分岐地点・四谷不動-大山阿夫利神社 一の鳥居--折戸地蔵堂--餅塚の辻・(茅ヶ崎市)・県道44号--妙行寺-松林村役場跡碑--長屋門・神明大神社一の鳥居、大ケヤキ--神明歩道橋・(新湘南バイパス)--神明大神社--赤羽根六地蔵--本在寺--熊野神社--高田交差点(県道404号)--松風台入口交差点(新湘南バイパス)--西久保第二踏切(相模線)--県道45号-伝説河童徳利発祥の地案内板・大曲橋(小出川)・(寒川町)--大曲神社(旧十二神社)--(現)中原街道(県道45号)合流地点・景観寺--寒川駅(JR相模線)

  【ル-ト地図

   東海道藤沢の四谷不動の追分から田村の渡しで相模川を渡り、大山へ向かう参詣道だった大山街道の田村道を行く。落語『大山詣り』の連中が、大山からの帰りに藤沢宿での遊興、江の島(江島道①江島道②)や金沢八景の物見遊山にたどった道でもある。

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桜が終わってつつじの季節となった。(辻堂駅から東海道へ向かう道沿い)
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四谷不動・大山阿夫利神社 一の鳥居 (【ル-ト地図】の38)
堂の左外の石柱は万治4年(1661)に建てられた古い道標を再建したもの。
ここ四谷の追分で東海道から分かれ、右へ鳥居をくぐって大山へ向かう。
このあたりは茶屋が立ち並び賑わっていたという。
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気合満点そうな不動さんだが、こっちはまだ気合が入らん。
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折戸地蔵の祠 (【ル-ト地図】の39)
ここは左へ進む。
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享保12年(1727)建立で、台座?に「正面大山 右のみち」と、
刻まれているようだ。祠の左外には「右野道 地蔵も花も 笑ひけり」の句碑
野道とは、折戸の集落へと向かう道のこと。
地蔵さんはもうこの格好では暑苦しいと。
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餅塚の辻 (【ル-ト地図】の40)
「餅塚」の由来は、①昔、このあたりは低湿地帯で水はけが悪く、
不作続きで大庭村は困っていた。南側の辻堂村が当地を もらい受けてくれることになり、
喜んだ大庭村の農民たちが、ここで餅をついて祝った。
②大庭村と辻堂村で、不良の土地の押しつけ合いになり、
大庭村が勝って辻堂分になって、その時に喜び祝って餅をついたとも。

茅ヶ崎市に入る。
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目を楽しませてくれる街道風情。
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妙行寺前の旧家
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松林村役場跡碑・由来碑(左) (【ル-ト地図】の41)
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由来碑:「この前を通る大山街道は、田村の渡し(寒川)で相模川を渡る
大山参りの近道で、江戸の商人、職人をはじめ多くの文人・墨客が往来した。 
赤羽根・甘沼の南面をほぼ平坦に並行する、のどかな街道であった。 
正面に日本一の富士を仰ぎながら夫々大山参りの楽しい旅をしたことでしょう。
しかし静かな農村にも幾度か行政の改変があり・・・・・・」
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妙行寺
享保10年(1725)頃、室田の山本仁兵衛による草創と伝え、
この時期に鎌倉小町より当地に移転されたと思われている。
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神明大神社一の鳥居・大ケヤキ、長屋門の旧家
樹齢400年以上という大ケヤキは昔はもっと大樹で大きく茂り、
下を通る大山詣りの旅人を風雨、炎天下の陽射しから守って眺めていたのだろう。
鳥居をくぐって神明歩道橋で新湘南バイパスを越えて神明大神社に参る。
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神明大神社参道
梵鐘は神仏習合の名残りか。
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神明大神社
源(八幡太郎)義家の創立という。
街道に戻る。
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赤羽根六地蔵 (【ル-ト地図】の42)
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本在寺
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熊野神社
大岡忠助(越前)の父、大岡隼人(忠高)の創建という。
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高田交差点で県道404号を横切り、松風台入口交差点で新湘南バイパスをくぐり、
西久保第二踏切(相模線)を渡って行く。
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河童徳利の伝説」発祥の地(大曲橋の手前)
「河童徳利」は3合入りで、大山街道沿いの見世物小屋で、
「大山詣り」の人々の人気を集め名物になっていたという。
間門(まかど)川は小出川の支流だったようだ。
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大曲橋から小出川(下流方向) (【ル-ト地図】の43)
茅ヶ崎市から寒川町に入る。
大曲橋を渡った大山街道(県道45号)は右に大きく曲がって北上し、
左にカーブして北西に向かって行く。
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大曲神社(旧十二神社)
平成22年に下大曲神社と合祀され、大曲神社となった。
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(現)中原街道合流地点・景観寺
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宝篋印塔
今日はここまでとして寒川駅に向かった。

                    大山街道(田村道②)>

坂道散歩

2019年4月15日

鎌倉駅(JR横須賀線)--(JR横須賀線)--下馬交差点・下馬橋跡--(江ノ電)--六地蔵--和田塚--寸松堂--庚申塚--三橋--(長谷寺)--収玄寺--力餅屋--星月夜の井--虚空蔵堂--極楽寺坂切通し--日限六地蔵尊--(成就院)--伝上杉憲方の墓--桜橋・極楽洞--極楽寺--針磨橋(極楽寺川)--稲村ケ崎2号踏切(江ノ電)--日蓮袈裟掛松--稲村ケ崎1号踏切(江ノ電)--十一人塚--七里ガ浜--音無橋(音無川)--西田幾多郎記念碑--行合橋(行合川)--顕証寺--(江ノ電)-日坂--(江ノ電)-満福寺--小動岬--小動神社・腰越八王子山遠見番所跡--腰越漁港--腰越橋(神戸川)--江の島入口交差点(藤沢宿からの江島道合流地点)--弁天橋(境川)--片瀬江ノ島駅(小田急江ノ島線)

 【ル-ト地図

 藤沢からの江島道と違って道印石(道標)はないが、七里ガ浜へ出て右前方の江の島を目指すだけなので迷うはずもない。平日にもかかわらず老若男女(国籍を問わず)で、鎌倉も七里ガ浜沿いも賑わっていた。
針磨橋までは『鎌倉市の坂④』とほぼ同じ道筋なので、写真の多くは割愛した。)
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下馬橋跡(下馬交差点)
佐助川(暗渠)に架かる橋だった。
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三橋 《地図
ここは水が流れている。正面奥は長谷寺
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収玄寺
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上杉憲方の墓「説明板」 《地図
七重石塔だが時代が合わないようだ。
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極楽洞(江ノ電のトンネル)「説明板
どこが珍しいのかはっきりしない。
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江ノ電は平日だが結構乗っている。
途中駅での下車客も多い。
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日蓮袈裟掛松 《地図
何代目かの若い松が植えられている。
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十一人塚「説明板」 《地図
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稲村ケ崎
今日は風が強く波も高い。新田義貞軍は引き潮でも渡れまい。
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七里ガ浜を江の島(右奥)を目指す。
サーファーが多い。これくらいの波が丁度いいのか?
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西田幾多郎記念碑「説明板
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日坂(にっさか) 《地図
鎌倉攻め新田義貞軍がこの切通しを通ったので、
新田坂と名づけ、新坂→日坂と変わったのだとか、
坂は南に向いて日がよく当たるところから、
日の坂と書いて「にっさか」と呼んだとも。
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坂下方向
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満福寺
源義経が兄・頼朝に腰越状を書いた寺。
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腰越状を書く義経・弁慶像、弁慶の腰掛石(左)
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弁慶硯井戸
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義経手洗い井戸
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小動神社参道
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小動神社「説明板
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腰越八王子山遠見番所跡から腰越漁港、江の島(小動神社の裏手)
説明板
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江の島入口交差点手前から江の島

坂道散歩


2019年4月9日

桐生駅(JR両毛線)--西桐生駅(上毛電鉄)--水道山記念館--水道山公園--哲学の小径--吾妻公園--光明寺--御嶽橋-御嶽神社--(桐生が岡動物園)--円満寺--寂光院--桐生陣屋跡--妙音寺--西宮神社・美和神社--有鄰館・桐生新町重伝建地区--群馬大学--桐生天満宮--青蓮寺--大蔵院--稲荷橋(桐生川)--普門寺--拷機姫神社--幸橋(桐生川)--養泉寺--今泉観音--観音院--織物参考館-光性寺--無量寺--桐生神社・伝桐生大炊介手植の柳--(JR両毛線)--常衹稲荷神社--浄運寺--(コロンバス通り)--雷電神社--十ヶ塚稲荷神社--桐生市役所・織姫神社--新川公園--絹撚記念館--(JR両毛線)--織物記念館--桐生駅(わたらせ渓谷鉄道)→相老駅(東武小泉線)→太田駅(東武伊勢崎線)→東武動物公園駅

  【ル-ト地図

 「桐生は日本の機(はた)どころ」と、上毛かるたで詠まれるほどに絹織物業で繁栄した桐生市の市街地を散歩する。
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駅前交番
桐生駅より洒落ている。
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西桐生駅(上毛電鉄)
地味で落ち着いた感じの庁舎だ。
時間帯のせいか乗降客もなく、ひっそり、閑散としている。
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水道山公園へ上る。
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道標だろうか?読めなかった。
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水道山記念館 《地図
吾妻山への分岐を分け、哲学の小径哲学?)に入り吾妻公園を通って行く。
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光明寺
桐生七福神」の弁財天

御嶽橋から急な石段を御嶽神社へ上る。
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御嶽神社
雑草が生い茂り、ちょっと荒れた感じだ。
右は矜羯羅童子と制吒迦童子を従えた不動明王。

桐生が岡動物園の南門前を通って行く。
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円満寺
まさに満開で円満だ。寂光院桜も見事だ。
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桐生陣屋空堀跡(たちばな保育園の敷地内・右下に立札) 《地図
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戦国時代の桐生氏の抜け道?(たちばな保育園の裏手)
絵図面」(右の壁上)
下は水が浮いていて足場が悪い、途中まで入って写真を撮ったが、
ぼやけてしまった。奥には仏像が祀られているそうだ。

妙音寺写真桐生七福神の寿老人・秘蔵什物)に寄ってから南下する。 
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桐生西宮神社
兵庫の一宮神社の直系分社
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美和神社
奈良の大神(おおみわ)神社(三輪明神)からの勧請と伝える。
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ひねくれてしまった松?
江差町(北海道)に榎本武揚と土方歳三の「嘆きの松」があった。
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矢野商店(明治時代の店舗画
ここから北に桐生新町重要伝統的建造物保存地区が、桐生天満宮まで続く。《地図
地区範囲図」・「家並み
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旧矢野蔵群(有鄰館(ゆうりんかん))
楠森稲荷(敷地内の屋敷神)「説明板
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玉上薬局
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にしはら花店
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旧平田商店

大島会計事務所の新しい建物
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中村弥市商店
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森合資会社
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桐生天満宮・「社殿
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群馬大学工学部同窓会記念会館 《地図
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青蓮寺
銅造阿弥陀如来及両脇侍立像」(国重文)
桐生七福神の福禄寿
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稲荷橋から桐生川(下流方向) 《地図
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普門寺仁王門
だるま市・あじさい寺・普門寺遺跡で有名な寺。
八十八米寿石段説明板)・十一面観音像
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拷機姫(たくはたひめ)神社 《地図
織物業の衰退とともに信仰もすたれたのか、雑草がはびこっている。
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坂口安吾文学碑「花の下には風吹くばかり」
桐生は終焉の地・「桐生通信

幸橋で桐生川を渡り返す。
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養泉寺
手前は大ケヤキ(市天然記念物)の切株か?
山門左に「豊川稲荷」が祀られている。
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観音院 《地図
日限り地蔵」で信仰が篤く、商売っ気も多そうだ。

今泉(岩崎?)観音は鍵が掛かっていて入れず。《地図
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桐生カトリック教会
たまには教会の建物もいいものだ。信仰はないが。
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織物参考館
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桐生神社
意外と小さな神社だった。ここも少し荒れ気味で寂しい感じだ。
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伝桐生大炊介手植の柳 《地図
これも往時の姿はなく、痛々しく哀れな感じだ。
桐生氏の出自などについては説が分かれているが、
桐生大炊介助綱は実名が確定されているようだ。

JR両毛線の高架をくぐって行く。
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常衹(つねぎ)稲荷神社 《地図
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浄運寺本堂
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コロンバス通り 《地図
「コロンブス」と勘違いした。姉妹都市のアメリカの地名だったが、
コロンバス」はコロンブスともゆかりがあるようだ。
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雷電神社「説明板
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十ヶ塚稲荷神社 《地図
隣の稲荷町はこの神社(錦町)に由来するというが、この神社の由来等は分からない。
ここは十ヶ塚古墳があった所で、それに由来するのか?
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織姫神社
ここの織姫さんにもかつての華やかさはない。
ここは桐生市役所の敷地内で、隣は現代的な建物の文化会館だ。

桐生駅方向に戻る。
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絹撚記念館 《地図
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織物記念館 《地図
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桐生駅(わたらせ渓谷鉄道)→
東武小泉線→東武伊勢崎線と乗り継いで帰宅した。

坂道散歩

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