2019年4月2日

布佐駅(JR成田線)--延命寺(第二番)--勝蔵院--愛宕八坂神社--新四国相馬霊場第21番・37番--竹内神社--久保天踏切(JR成田線)--我孫子東高校--関枠橋(手賀川)・なま街道(鮮魚街道)-(印西市)--海野作兵衛頌徳碑--大杉神社・最勝院(六阿弥陀回向所)--厳島神社・水神宮・水神橋(亀成川)--廃社?--西ノ下橋(和泉川)--泉倉寺(第三番)--宝珠院観音堂(光堂)-小倉集会所--鳥見神社--(木下街道(県道189号))--千葉ニュータウン中央駅(北総開発鉄道)

   【ル-ト地図

 利根町を歩いて総州六阿弥陀があることを知った。その折に1番徳満寺、6番不動院、来見寺(納経所)は訪れたので、2番~5番と回向所の最勝院を巡る。
 江戸六阿弥陀道』・『新六阿弥陀道』・『中川両岸新六阿弥陀道
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延命寺(総州六阿弥陀第二番)
門柱の左に「六阿弥陀第二番」の石柱(文政10年(1827))が立つ。
阿弥陀如来立像は両手先が欠けて破損しているが保存されているようだ。
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勝蔵院
本堂裏手の高台に新四国相馬霊場の21番と37番の小堂がある。
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愛宕八坂神社
愛宕社は大宝3年(703)の創建と伝え、利根町の蛟蝄神社と由縁があるという。
のちに東方にあった牛頭天王社(八坂神社)を合祀したという。
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新四国相馬霊場第21番(右)・37番(左)
21番は竹内神社から移された。
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竹内神社参道
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狛犬は子連れ唐獅子で子孫繁栄の神徳ありという。
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竹内神社
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神明社(境内)
元禄9年(1696)鎮座のものを当地に昭和59年に移転・再建。
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日露戦争英文記念碑「説明板
桜樹寄付者の中に隣の利根町ゆかりの柳田國男の名もある。

成田線の踏切を渡り、南に手賀川へと向かう。
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手賀川(上流の手賀沼方向)
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すぐ下流の関枠橋を渡って我孫子市から印西市に入り、
なま道(鮮魚街道)」の旧道に入る。《地図
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最勝院までは「なま道」を行く。
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海野作兵衛頌徳碑
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大杉神社(右)
最勝院(左)は発作(ほっさく)上集会所になっていて、墓地だけで寺はないようだ。
ミラーの左後ろに枠で固定された「六阿弥陀回向所」(文政10年)の石柱が立つ。
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いんざい七福神」の布袋尊
右の石碑には「最勝院」とある。
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印西大師の祠
もとは35番だったが廃寺?になって番外になったようだ。
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六阿弥陀石柱の隣の道標(年代不詳)
「南 江戸道」・左側面に「北 ふさ道」で、
ここへ移設されたのだろうが、方向は合っている。

「なま道」から離れて行く。
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厳島神社 《地図
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水神社(厳島神社と同じ敷地にある)
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水神橋から亀成川(上流方向)
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廃社?
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神像?が取り残されて寂しげに鎮座している。
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西ノ下橋から和泉川 《地図
正面左は松山下公園の野球場。
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泉倉寺(六阿弥陀第三番)・光堂(宝珠院観音堂)への坂
この先の右に光堂への新しい道標が立つ。
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泉倉寺
右端に「六阿弥陀第三番」(文政10年)の石柱
木造延命寺地蔵菩薩坐像」(県指定文化財)
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本堂
印西大師」の1番と5番(地蔵堂)
いんざい七福神」の毘沙門天
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光堂(宝珠院観音堂)への道。《地図
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宝珠院観音堂(光堂)説明板
印西大師」の12番
印西八景」の「光堂の雪景」
ここは雪、桜、紅葉と楽しめる別世界という趣だ。
ちなみに「新・印西八景」には入っていない。

ここから石段を下り、上り返す。
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小倉集会所
ここも花盛りで静かで気分のいい空間だ。
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鳥見(とみ)神社(小倉)の社叢は見事だが。
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小祠ばかりで鳥見神社はどれか分からない。
印西市には鳥見神社が8社もある。
呼び方も「とみ」・「とりみ」に分かれるようだ。

千葉ニュータウン中央駅に向かう。
途中で木下(きおろし)街道(県道189号)と交差する。
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竹中技術研究所
鏡のような水面にビルが映っている。

坂道散歩