2019年4月3日
木下(きおろし)駅(JR成田線)--木下街道--馬坂下(大森交差点)--上宿古墳--長楽寺(第四番)--鳥見神社(大森)--(馬坂上・木下街道)--二十三夜塔道標--熊野神社・宝泉院--三宝院(第五番)-竹袋稲荷神社-観音堂--狢坂あたり--むじな池-木下貝層・木下万葉公園--ひょうたん島池--木下駅
【ル-ト地図】
木下街道を進み、大森交差点(国道356号)の馬坂下あたりから右に入って長楽寺を目指す。途中で上宿古墳への標識に気づく。
石室内から
むろん中に入る許可は得ている。
むろん中に入る許可は得ている。
長楽寺(正面奥)への樹林の間の道。《地図》
「六阿弥陀第四番」石柱(文政10年(1827))
参道途中の右側の植込みの間に隠れるように立っている。
参道途中の右側の植込みの間に隠れるように立っている。
長寿観音堂
昭和25年に国宝の観音堂は焼失した。
昭和25年に国宝の観音堂は焼失した。

鳥見神社(大森)「説明板」
印西市に7社もある鳥見神社の一つ。
昨日の小倉の鳥見神社はあてはずれだったが、この社は如何に?
拝殿
神木の銀杏(右)とカヤ(榧・左)
レンガ塀(大正2年建築)に守られた本殿
本殿の常盤御前の彫刻
3人の子どもを抱いている?
他面には八幡太郎義家と新羅三郎義光が彫られている。
見ごたえのあった鳥見神社前の道を東進し、
馬坂の坂上あたりで木下街道(左右)と交差する。
↓
根っこがむき出しの大木
印西中学校の方へ下って行く。右に十九夜塔が2基 《地図》
印西市は十九夜塔が多い。昨日から十九夜塔ばかりだ。
道に倒れてきそうな大木。
木の後ろに二十三夜塔(左)と?夜塔(嘉永5年(1852))が並ぶ。《地図》?
二十三夜塔(文政3年(1820))は道標になっていて、
向かって右側面に「左 さくバミち」・
左側面に「右 たきむらミち さくらみち」のようだ。
作場(地名ではない)、滝(村)、佐倉だろう。
杉林の間の道を行く。
県道64号との交差点に出て右折する。
このあたりは猪が出没するようだ。(注意看板①・②)
熊野神社の社叢と宝泉院
宝泉院(地蔵寺宝泉院)・熊野神社(右)
まさに神仏混交だ。
「印西大師」の70番・「いんざい七福神」の福禄寿
「木造地蔵菩薩立像」(説明板)・「別所の獅子舞」(説明板)
仁王門
迫力のある阿形像・吽形像
三宝院「説明板」
右に「六阿弥陀第五番」の石柱、説明板にも「総州六阿弥陀の第五番札所」とある。
「印西大師」の41番(右の「坂巻武之碑」とは?)
「いんざい七福神」の恵比寿
道路の向い側が竹袋稲荷神社
竹袋稲荷神社
石段を下って上り社殿へ。
狛狐は逃げ出さないように金網の檻の中?
ではなく、大切に守られているのよ。
観音堂(右)と「印西大師」の64番 《地図》
かつてはここに神宮寺があったのか。
観音さんも大師さんも満開の桜に覆われてご満悦だろう。
小さな観音像と女人講中(昭和63年)の幕
鋳銅鰐口(説明板)・観音堂の軒下
竹袋村の十九夜講中が奉納
現在の狢坂(むじなざか)をむじな池へと下る。《地図》
「利根川図志」に「池の頭に狢坂あり。・・・・今は浅くなりて、蓴菜なし。
芦、菰まこもなど生い茂り、池の形のみなり。
堤を越えて向こうの山に上る所を狢坂という。・・・・」とあるそうだ。むじな池から狢坂方向 《地図》
木下貝層 (国天然記念物) 《地図》あたり
「木下貝層は露頭の表面が堅く固まっていることが特徴の一つで、
古墳の石室石材や石灯篭などに利用されています。」とある。
先ほどの上宿古墳の石室にも使われたのだろう。
木下万葉公園(新・印西八景)
さきくさ(みつまた)「万葉集の歌」
『たのしい万葉集』
万葉公園の上から
ぼやけてしまったが、利根川が見える?
菜の花の向こうがひょうたん島池
ひょうたん島池(竹袋調整池) 《地図》
水草に覆われて水面が見えない。
川村煎餅店(木下駅北口)
土産を買って総州六阿弥陀詣りの打ち止めとした。
木下駅
昔の木下駅
今回の総州六阿弥陀詣りは3回に分かれてしまったが、
木下駅から6ヶ寺の巡拝路を繋いでみた。【ル-ト地図】(全)
あまり寄り道をしなければ1日で歩ける距離だろう。
『坂道散歩』
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