2019年4月5日

赤城駅(東武桐生線)・二十三夜石塔--大間々宿五町目常夜灯--まま通り--長澤薬師堂・稲荷宮--孫兵衛辻子--四町目常夜灯--大間々町道路元標--コノドント館(大間々博物館)-天王横町-まちなか交流館--(わたらせ渓谷鉄道)--神明宮--ながめ余興場・ながめ公園--高津戸橋(渡良瀬川)--阿弥陀堂・里見兄弟の墓・高津戸の渡し跡あたり--要害山(高津戸城跡・要害神社)--高津戸峡遊歩道--はねたき橋(渡良瀬川)--はね瀧道了尊--(わたらせ渓谷鉄道)--(銅山街道(国道122号))--稲荷社・光栄寺--大日堂-桐原宿-稲荷神社・世音寺・桐原郷蔵・銅蔵--桐原宿交差点--本要寺--西福寺--赤城駅

      【ル-ト地図

 足尾銅山で産出され、足尾で精錬された御用銅を江戸へ運ぶ銅山(あかがね)街道の宿場町、足尾山地と赤城山から産出された材木や生糸の集積地として栄えた大間々宿と、大間々宿を引き継いだ西隣の桐原宿を散策する。
        説明板『銅山街道・大間々宿』・『桐原宿
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赤城駅・二十三夜石塔(文化9年(1812))「説明板
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大間々宿五町目常夜灯(文化10年)「説明板」 《地図
現在地あたり→神明宮参道→現在地に里帰り
右折して「まま通り」を進む。
まま」とは、渡良瀬川の河岸段丘によってつくられた崖のこと。
大間々の「まま」で良かったのに、
みどり市」なんてつまらん名前にしたものだ。
大間々は落語『引窓与兵衛』にも登場する。これも面白くない話だが。
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長澤薬師(左)・稲荷宮
長澤薬師は文禄2年(1593)に大間々を開拓し、
町割りを始めた「六人衆」の一人、
長澤伊織が屋敷地内に建てたものという。
昔は眼病治癒祈願に参拝する人がも多かったそうだ。
祠内には薬師如来像ではなく、石塔?が祀られていた。
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孫兵衛辻子「説明板」 《地図
孫兵衛は大間々「六人衆」の一人。

大間々宿のメイン通り(国道122号)に戻る。
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清酒「赤城山」醸造元の近藤酒造 《地図
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醤油醸造の岡直三郎商店
大釜がでんと置かれている。
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四丁目常夜灯・岡商店の土蔵
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大間々町道路元標(左隅の案内板の前)・土蔵造りのトイレ
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コノドント館(大間々博物館) 《地図
旧大間々銀行の本店営業所(大正10年建築)「説明板
コノドント」館と命名の理由
コノドントの「化石」・「想像図
この先の高津戸渓谷でコノドントから進化した恐竜の卵に出会うとは
ここでは夢にも思わなかったが。
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天王横町(コノドント館の向かい側の道)
神明宮への表参道で八坂神社(牛頭天王社)があった。
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まちなか交流館
旧酒造店舗を改装して平成30年8月にオープン。
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野口家住宅主屋(国登録有形文化財)
明治後期に建造された野口材木店の店舗兼住宅というが、
「ひじきご飯」・「元祖 花ぱん」の看板が貼ってあった。
花ぱんは桐生天満宮の梅を形どった素朴な装いの菓子で、
江戸期から親しまれてきたそうだ。
門に「幽体自然流 清寧館」の看板も掛っていた。
剣道の流派だろうか?
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旧家

右折してわたらせ渓谷鉄道を渡って、
ながめ公園、高津戸渓谷の方へ向かう。
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はねたき広場からはねたき橋
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神明宮「説明板
後ろは要害山、高津戸城跡
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みどり市観光周遊バス
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ながめ余興場説明板
昭和12年の建築で、群馬県に残る唯一の戦前の劇場建造物。
ガイドのおじさん(みどり市の職員だろう)の案内で館内を
じっくりと見学させてもらった。
客席・花道・舞台」・「舞台から客席」、2階の客席もある。
廻り舞台」に乗って回してもらった。
舞台の下の「奈落」は資料館になっていて、今昔のスターたちの写真・
ポスター・サインなどで懐かしさ満点だった。
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ながめ公園から渡良瀬川
平日だがこのあたりは花見客も多く、賑わっていた。
少し足を延ばすともう人通りはなくなる。
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阿弥陀堂「説明板」 《地図
明後日(4/7)が阿弥陀堂の祭典で、
南北朝時代の山田氏のものという、
堂内の阿弥陀石仏が開帳されるようだ。
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大きな五輪塔が南北朝時代の山田氏の墓、
小さな五輪塔が戦国時代の里見勢の墓というが、
見分けがつきにくい。
時代が異なるものが混在して並んでいるのだろうか?
里見兄弟にまつわる史話は伝承に過ぎないようだが。
伝山田氏及び里見兄弟の墓
阿弥陀堂の脇から渡良瀬川の高津戸の渡船場跡への道が残っている。
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高津戸城跡の要害山(標高280m位)へ登る。
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展望台から西方向
中央がわたらせ渓谷鉄道、その先の緑の所は柳原グラウンドか?
ここから夜景が楽しめるようだ。
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さらに要害神社へ鳥居を3つくぐって行く。
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要害神社・高津戸城跡 《地図
ここは本丸跡という。
説明板①」・「説明板②」(読みづらい)

下って高津戸峡遊歩道に入る。
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高津戸峡・高津戸橋
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ゴリラ岩はどれか?
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何やら白い物体が?
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これがコノドントから進化した恐竜の卵だ。
そんなアホな!「ポットホール」を造った石だとさ。
ここまでたどりつくのに苦労したが、
面白いものを見せてもらった。
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はねたき橋を渡る。
「水が飛散する様が滝のように見える」ことに由来する橋名
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高津戸渓谷
紅葉の頃もいい景色だろう。
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はね瀧道了尊縁起
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白狐に乗る烏天狗の道了尊
天狗の大下駄もあるが、日が照ると熱くなるのでやけどに注意だと。

わたらせ渓谷鉄道を越え、銅山街道(国道122号)の西側に出る。
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稲荷社(光栄寺の前)
やけにでかい庚申塔が立っている。まだ新しそうに見えたが、
天明4年(1784)の建立だった。
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光栄寺 《地図
関東八十八ヶ所」第8番、「上州三十三観音霊場」第1番
関東九十一薬師霊場」第49番札所
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大日堂 《地図
ここはシダレザクラが見事だ。
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旧家か廃屋か?
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世音寺・稲荷神社(右)
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桐原銅蔵(世音寺の向かい側)「説明板
ここで一時保管された銅は銅山街道を南下して利根川河岸まで運ばれた。
世音寺の敷地内に似たような造りの郷蔵がある。「説明板
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桐原宿案内板
桐原宿交差点を左折し、「東国文化歴史街道」という、
大仰な名前の道を進み、本要寺と西福寺に寄って赤城駅に戻った。

坂道散歩