2019年4月24日
戸塚駅(JR東海道線)--東海道(国道1号)---不動坂--柏尾不動堂・大山道道標--大山跨線橋(JR東海道線・平戸永谷川)--富士橋(阿久和川)--(横浜新道)--かもめ橋(阿久和川)--(横浜市泉区)--新宮前橋--西林寺--大山道標・永明寺別院--(地神塔・双体道祖神)--狢塚あたり--庚申塔道標・和泉小学校入口交差点--出羽三山供養塔-和泉小学校--蚕御霊神塔道標・庚申塔道標・神明社(泉小次郎伝承地)--和泉橋(和泉川)--いずみ中央駅(相鉄いずみ野線)--旧道--上飯田のお地蔵様(庚申塔)--(鎌倉街道上の道交差地点)--高鎌橋(境川)--(藤沢市)--如意輪観音塔・庚申塔(大山道標?)--庚申塔--庚申堂--長後宿(藪鼻宿)継立場跡あたり・滝山道-藪鼻の辻(長後四ツ角)-長後駅(小田急江ノ島線)
【ル-ト地図】
東海道戸塚宿の手前の不動坂上の柏尾不動から西に向かい、鎌倉街道(上の道)、中原街道と交差し、戸田の渡しで相模川を渡り、下糟屋(伊勢原市)で大山街道(青山道)と合流して大山に向かった柏尾道を行く。

東海道から大山街道(柏尾道)に入る。右は柏尾不動堂 【ル-ト地図】の52

柏尾不動堂
右の道標は明治5年の建立。明治時代になっても大山詣りはすたれなかったのか。

かすれて読みにくい。
「・・・大山道への道標は次の四基で、ほかに燈篭一基と庚申塔一基がある。
①寛文十年(1760)の建立。五處の橋供養を兼ねる。
②正徳三年(1713)の建立。
③享保十二年(1727)の建立。
④明治五年(1872)の建立。
庚申塔は延宝八年(1680)、燈篭は元治二年(1865)の建立・・・」
富士橋から阿久和川(下流方向) 【ル-ト地図】の53
この先で柏尾川に合流する。
柏尾道は阿久和川沿いを上流方向に向かう。
旧富士橋の親柱
まだけっこう新しそうで使えそうだ。

猿橋(甲州街道)
かもめ橋から阿久和川(上流方向)
鳥の「かもめ」ではなく、川の北側の会社の名前だそうだ。
確かに「かもめプロペラ」という会社がある。《地図》
西林寺
山門の右側に樹齢160年以上という枝垂桜がある。
出羽三山供養塔道標(道沿いから境内へ移されたものだろう)
向かって右側面に「東 かまくら ぐめうじ 江戸 道」、
左側面に「西 あつき ほしのや 八王子 道」で、
弘明寺(坂東三十三観音霊場の14番)・厚木・星の谷観音(坂東三十三の8番)
徳本名号塔

不動橋から永明寺(ようめいじ)別院(本寺は少し離れた南側にある)
阿久和川沿いから離れて行く。
大山道道標(享保10年(1725))
(正面) 不動明王像の下に「庚申供養 大山道」
向かって左側面に「享保十乙巳十一月吉日」
向かって右側面に「右 ほしのやミち」
この先250mほどの左側にあるという双体道祖神と、
道標を兼ねた地神塔 「上り大山道、下りかしを道」を見逃した。
正面が狢塚跡あたりだろう。(国際親善病院の西側の坂上)
急な男坂と本道の女坂が上っていたようだ。この坂は女坂の名残りかも。
庚申塔道標(文化6年(1809)) 【ル-ト地図】の54
向かって右側面に「東 かしお 南 ふじ沢 道」
左側面に「西 大山道 北 八王子道」
和泉小学校へ左折する右側に風化した出羽三山供養塔?が立っている。
蚕御霊神塔(左)の左側面に「大山道」 【ル-ト地図】の55
中央の庚申塔も左側面に「右 大山道 左 藤沢道」?
後ろが神明社
神明社
「泉小次郎伝承地」の標柱が立っている。
この神明社、ここ泉区の名とも直接関係はなさそうだが。
和泉川を渡り、いずみ中央駅をくぐり、和泉坂上交差点の先で左に旧道にはいる。旧道はやっぱり気分がいい。
小さな「三猿庚申塔」が広い敷地を祠もなくぽつんと占領している。
「上飯田のお地蔵様」として信仰されているのだろうか?【ル-ト地図】の56
鎌倉街道上の道交差地点(上飯田団地入口交差点)
北側の無量寺境内に大山道の道標を兼ねた名号碑があるそうだ。
高鎌(こうけん)橋から境川 【ル-ト地図】の57
横浜市から藤沢市に入る。市制前は高座郡と鎌倉郡の境だった。
上流の大山街道(八王子道)が渡る両国橋は、
武蔵国(八王子市)と相模国(相模原市)の境だ。
如意輪観音・道標?
道標には「大山道」・「とつか道」・「用田 ふし沢」というが、
風化が激しく判読困難だ。
庚申塔(宝暦4年(1754))
これも道標だろうか?
庚申堂 【ル-ト地図】の58
堂内の庚申塔
長後宿の継立場あたりの滝山道(東海道藤沢宿と甲州街道八王子宿を結ぶ道)
を南に進む。長後宿は藪鼻宿とも呼ばれ栄えていた。
この商店街も賑わっていたのだろうが、今は元気がないようだ。
滝山道と分かれる藪鼻の辻(長後四ツ角)には道標が立っていた。【ル-ト地図】の59
それらは長後市民センターの敷地内に移設して保存されている。
今日は藪鼻の辻を右折して長後駅までとした。
『柏尾道②』→
『坂道散歩』
戸塚駅(JR東海道線)--東海道(国道1号)---不動坂--柏尾不動堂・大山道道標--大山跨線橋(JR東海道線・平戸永谷川)--富士橋(阿久和川)--(横浜新道)--かもめ橋(阿久和川)--(横浜市泉区)--新宮前橋--西林寺--大山道標・永明寺別院--(地神塔・双体道祖神)--狢塚あたり--庚申塔道標・和泉小学校入口交差点--出羽三山供養塔-和泉小学校--蚕御霊神塔道標・庚申塔道標・神明社(泉小次郎伝承地)--和泉橋(和泉川)--いずみ中央駅(相鉄いずみ野線)--旧道--上飯田のお地蔵様(庚申塔)--(鎌倉街道上の道交差地点)--高鎌橋(境川)--(藤沢市)--如意輪観音塔・庚申塔(大山道標?)--庚申塔--庚申堂--長後宿(藪鼻宿)継立場跡あたり・滝山道-藪鼻の辻(長後四ツ角)-長後駅(小田急江ノ島線)
【ル-ト地図】
東海道戸塚宿の手前の不動坂上の柏尾不動から西に向かい、鎌倉街道(上の道)、中原街道と交差し、戸田の渡しで相模川を渡り、下糟屋(伊勢原市)で大山街道(青山道)と合流して大山に向かった柏尾道を行く。

東海道から大山街道(柏尾道)に入る。右は柏尾不動堂 【ル-ト地図】の52

柏尾不動堂
右の道標は明治5年の建立。明治時代になっても大山詣りはすたれなかったのか。

かすれて読みにくい。
「・・・大山道への道標は次の四基で、ほかに燈篭一基と庚申塔一基がある。
①寛文十年(1760)の建立。五處の橋供養を兼ねる。
②正徳三年(1713)の建立。
③享保十二年(1727)の建立。
④明治五年(1872)の建立。
庚申塔は延宝八年(1680)、燈篭は元治二年(1865)の建立・・・」
この先で柏尾川に合流する。
柏尾道は阿久和川沿いを上流方向に向かう。
旧富士橋の親柱
まだけっこう新しそうで使えそうだ。

猿橋(甲州街道)
かもめ橋から阿久和川(上流方向)
鳥の「かもめ」ではなく、川の北側の会社の名前だそうだ。
確かに「かもめプロペラ」という会社がある。《地図》
西林寺
山門の右側に樹齢160年以上という枝垂桜がある。
出羽三山供養塔道標(道沿いから境内へ移されたものだろう)
向かって右側面に「東 かまくら ぐめうじ 江戸 道」、
左側面に「西 あつき ほしのや 八王子 道」で、
弘明寺(坂東三十三観音霊場の14番)・厚木・星の谷観音(坂東三十三の8番)
徳本名号塔

不動橋から永明寺(ようめいじ)別院(本寺は少し離れた南側にある)
阿久和川沿いから離れて行く。
大山道道標(享保10年(1725))
(正面) 不動明王像の下に「庚申供養 大山道」
向かって左側面に「享保十乙巳十一月吉日」
向かって右側面に「右 ほしのやミち」
この先250mほどの左側にあるという双体道祖神と、
道標を兼ねた
正面が狢塚跡あたりだろう。(国際親善病院の西側の坂上)
急な男坂と本道の女坂が上っていたようだ。この坂は女坂の名残りかも。
庚申塔道標(文化6年(1809)) 【ル-ト地図】の54
向かって右側面に「東 かしお 南 ふじ沢 道」
左側面に「西 大山道 北 八王子道」
和泉小学校へ左折する右側に風化した出羽三山供養塔?が立っている。
蚕御霊神塔(左)の左側面に「大山道」 【ル-ト地図】の55
中央の庚申塔も左側面に「右 大山道 左 藤沢道」?
後ろが神明社
神明社
「泉小次郎伝承地」の標柱が立っている。
この神明社、ここ泉区の名とも直接関係はなさそうだが。
和泉川を渡り、いずみ中央駅をくぐり、和泉坂上交差点の先で左に旧道にはいる。
小さな「三猿庚申塔」が広い敷地を祠もなくぽつんと占領している。
「上飯田のお地蔵様」として信仰されているのだろうか?【ル-ト地図】の56
鎌倉街道上の道交差地点(上飯田団地入口交差点)
北側の無量寺境内に大山道の道標を兼ねた名号碑があるそうだ。
高鎌(こうけん)橋から境川 【ル-ト地図】の57
横浜市から藤沢市に入る。市制前は高座郡と鎌倉郡の境だった。
上流の大山街道(八王子道)が渡る両国橋は、
武蔵国(八王子市)と相模国(相模原市)の境だ。
如意輪観音・道標?
道標には「大山道」・「とつか道」・「用田 ふし沢」というが、
風化が激しく判読困難だ。
庚申塔(宝暦4年(1754))
これも道標だろうか?
庚申堂 【ル-ト地図】の58
堂内の庚申塔
長後宿の継立場あたりの滝山道(東海道藤沢宿と甲州街道八王子宿を結ぶ道)
を南に進む。長後宿は藪鼻宿とも呼ばれ栄えていた。
この商店街も賑わっていたのだろうが、今は元気がないようだ。
滝山道と分かれる藪鼻の辻(長後四ツ角)には道標が立っていた。【ル-ト地図】の59
それらは長後市民センターの敷地内に移設して保存されている。
今日は藪鼻の辻を右折して長後駅までとした。
『柏尾道②』→
『坂道散歩』
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