2019年03月17日 足尾銅山と田中正造 2019年3月16日 足尾銅山と佐倉惣五郎と並ぶ義民・義人の双璧、公害・足尾鉱毒事件を闘った田中正造ゆかりの地を訪ねる。田中正造旧宅(説明板) 《地図》隠居所・表門母屋足尾銅山坑道図(説明板)四方八方に伸びた坑道の総延長は1234km(東京~博多間の距離)通洞坑道内。これより先は入れない。 《地図》あたり?地下明治18年の開坑で、有木(本山)坑、小滝坑を結ぶ三大主坑口の中心だった。古河橋から渡良瀬川(上流方向)・本山精錬所跡(左端)・精錬所大煙突(高さ48m・大正8年建設) 《地図》古河橋(説明板)鉱毒ガスやそれによる酸性雨により足尾町(当時)近辺の山は禿山となった。植林が進んでいるようだが、元の山肌に戻るのは何時のことやら。本山精錬所昭和31年完成の自熔精錬工場~昭和48年閉山雲龍寺 《地図》足尾銅山鉱業停止請願事務所として鉱毒被害民の闘争本部となった。雲龍寺そばの渡良瀬川『千人同心日光道⑦』で撮影川俣事件衝突の地 《地図》明治33年2月、鉱毒被害民は雲龍寺に集結し請願のため上京する途中、利根川を渡ろうとしてここ川俣村(現明和町)で弾圧された。田中正造の墓①(左)・救現堂(雲龍寺境内)(説明板)田中正造の墓②(旧宅の向かい側)(説明板)説明文中の(佐野市郷土博物館)浄蓮寺(田中(正造)家の菩提寺・旧宅の北側)田中正造の墓③(佐野厄除大師境内)『日光例幣使街道③』で撮影石川啄木歌碑「夕川に葦は枯れたり 血にまどふ民の叫びの など悲しきや」「田中正造の墓」は6つ、7つ?、もっとあるかも。草木ダム 《地図》ダム建設計画当時は足尾銅山が採掘を行っていたこともあって、足尾銅山鉱毒防止も目的としていたという。館林城跡土橋門 《地図》すぐ近くに「田中正造記念館」がある。 『坂道散歩』