2019年5月4日

長後駅(小田急江ノ島線)--仙元塚--長後市民センター--六合橋(引地川)--地蔵祠--(葛原バス停)--道祖神--宮の腰交差点--豊受大神--葛野バス停-御所見塚碑--庚申塔道標--稲荷社--用田の辻(用田交差点)・大山不動道標・中原街道交差地点--地蔵祠--(東海道新幹線)--用田橋(目久尻川)-(海老名市)-大山不動道標--寿閑寺--真光寺--地神塔道標--県道22号--庚申塔道標--本郷神社--道祖神?-大山道標--大山不動道標・二十三夜塔--道祖神--子育地蔵(延命寺)--馬頭観音-居合坂・柏尾通り大山道案内板--居合橋(幹線用水路)--(県道46号)-南門沢橋第二踏切(相模線)--大橋(永池川)--正覚寺-浄久寺-渋谷神社--大山不動道標・戸田の渡し案内板--(圏央道)-戸田の渡し跡・戸沢橋(相模川)--(厚木市)--戸田の渡し跡碑--不動明王像--地蔵等石仏群-県道22号-相川村役場跡標柱--道祖神-天宗寺--県防災センター--長徳寺-大山道標?--長沼交差点(県道22号)・大山不動道標・(伊勢原市)--畠田橋(歌川)--(小田原厚木道路)--愛甲石田12号踏切(小田急線)--法眼寺--大山街道(青山道合流地点)--青山道(矢倉沢往還)--国道226号--伊勢原駅(小田急線)

 長後市民センターに移設されている道標を調べるのに時間を食い、伊勢原市に入った途端に雹(ひょう)が降ってこようとは予定外だったが、少しは見覚えのある感じがする青山道との合流地点まで行って、柏尾道歩きの終点とした。

   【ル-ト地図

IMG_4959
仙元塚「説明板」 【ル-ト地図】の60
富士山噴火の火山灰で造った富士塚=浅間塚
IMG_4960
長後市民センター
敷地内の西側に道標などが集められて保存されている。
番号 種別・造立年       文面・元の所在地
1庚申塔右側面「ふち沢道」・左側面「右大山道 東かしお道」
 安政7年(1860)夏刈の辻(下土棚字夏刈1767)
大山道と、ほしのや道との合流地点。《地図》?
4庚申塔右側面「ふし沢道」・左側面「かしお道」
 文化9年(1812)1.と同じ
7道標正面「右大山道」・左側面「左ふじ沢みち」
 安永5年(1776)藪鼻の辻(長後四つ角) 【ル-ト地図】の8
17庚申塔右側面「左 ふち沢道」・左側面「右 大山みち」
 不明7.と同じ
19出羽三山供養塔右側面下部「右八王子 ほしのや道 西左 大山道」
 享和元年(1801)7.と同じ
説明板は日光が反射して読みづらくて苦労した。
まだあるのだろうが、なにせまだ歩き始めたばかりで先が長い。
これくらいにして切り上げて再出発した。
IMG_4989
六合橋から引地川(上流方向)
IMG_5000
豊受大神(とようけだいじん)
IMG_5003
御所見塚碑「説明板」 【ル-ト地図】の61
透明なプラスチック板に覆われていて、興覚めの感じだ。
長田氏の祖という葛原親王の墓との伝承がある皇子塚
綾瀬市にあったがそれも牛馬の餌の枯れ草を積んで
干してあるみたいな塚だったが。
このあたりには葛原(くずはら)・御所見の地名が残っている。
地名の由来

IMG_5007
稲荷社(御所見市民センター手前)
大きな英霊碑や義勇奉公碑の後ろに小さな稲荷の祠がある。
IMG_5012
用田(ようだ)の辻(用田交差点)「説明板
【ル-ト地図】の62
中原街道との交差地点
IMG_5015
大山不動道標(用田交差点を渡った所の左側)
台座の「右大山道」だけは見える。
「北江戸しんみち」・「南一之宮みち」と彫られてようだ。
IMG_5016
地蔵堂(西用田バス停手前)
背丈が違う地蔵さんが二人仲良く並んでいる。
兄弟、親子、友達?
IMG_5024
用田橋から目久尻川(下流方向)
藤沢市から海老名市に入る。
IMG_5029
大山不動道標には「左大山道」 【ル-ト地図】の63
右の道標には「右 座間 ???」
IMG_5033
寿閑寺(右)
IMG_5036
真光寺
IMG_5041
子育地蔵
右は宝暦5年(1755)、中は寛延4年(1751・宝暦元年)の造立。
IMG_5045
地神塔道標「左大山道」らしいがよく見えず。

細い流れを渡って県道22号に出て上り坂を少し進む。
IMG_5051
庚申塔道標(安政4年(1857))
右側面「此方かしを道」、左側面「此方大山道 右一の宮 左国分寺」
IMG_5058
本郷神社
このあたりは、『海老名市の坂④』で歩いている。
IMG_5061
左は「西国四国坂東供養塔道標(弘化4年(1847))で、
左側面「此方大山道」・
右側面「此方 こくふんし ほしのや 江戸新道」
右も「西国四国坂東供養塔」
IMG_5066
大山不動道標(明治4年)には、
「南 一之宮道」・「北 かしお ふじさわ 道」
二十三夜塔(安政2年(1855))には、
「左 ほしのや 国分寺 道」 
【ル-ト地図】の64

ここを右折し、その先を左折して行く。
IMG_5077
子育地蔵(延命寺)

ブロック塀の間に馬頭観音の祠がある。

IMG_5082
居合坂を下る。【ル-ト地図】の65
小名の居合による坂名。居合は、「入会地」の転訛したもの。
居は井と同じで、泉・用水・井堰を表し、
水流や川の合流点を示すとする説などがある。
IMG_5084
説明板
IMG_5091
大橋から永池川(下流方向)
相模国分寺の北の国分尼寺の近くの浅井の泉が水源といわれ、
寒川町で相模川に合流する。
様々な生物が生息し、緩やかな川だそうだ。 
IMG_5095
正覚寺
IMG_5097
浄久寺
開基の長谷川氏の墓が多く、「郷土かるた
火付盗賊改のあの長谷川宣以(平蔵)の家系か?
IMG_5100
渋谷神社説明板
寺かと思ったら鳥居があった。
IMG_5106
正面の大木の下に大山不動道標と戸田の渡しの案内板がある。
【ル-ト地図】の66
IMG_5108
大山不動(安政2年(1855))
台座に「大山」とあるだけ。
IMG_5116
戸沢橋から大山方向
IMG_5114
戸沢橋から相模川(下流方向)

厚木市に入った。
IMG_5117
戸田の渡し碑
民家の敷地内の不動明王像
IMG_5120
地蔵など石仏群(県道22号に出る手前左側)
IMG_5121
相川村役場標柱 【ル-ト地図】の67
相模川から一字を取って相川村。昭和12年に戸沢が完成した際に、
戸田366からここへ役場が移設され、昭和30年に廃止されたそうだ。
IMG_5124
天宗寺・左は鍼灸院
IMG_5130
長徳寺
阿弥陀如来立像
IMG_5133
右は大山道標で、「左大山道」・「右戸田船渡」らしいが見えない。
(長徳寺の少し南側の右側)
IMG_5136
大山不動道標(天保6年(1835)・長沼交差点)「説明板
このあたりから曇って暗くなった空から
ゴロゴロと雷鳴が聞こえ始めた。
伊勢原市に入った。
IMG_5140
畠田橋から歌川(下流方向)
ここで急に大粒な雨がバラバラと身体に当たりだした。
これは雹(ひょう)まじりの雨だったようで、
傘を取り出す間にかなり濡れてしまった。
帰りは府中本町駅から武蔵野線で帰ったのだが、
駅は競馬帰りの人で混んでいた。
ひょうなどの天候不良で10R以降が中止になったのを
帰ってから知った。

しばらくして普通の雨となり、次第に小降りになってきた。
IMG_5145
渋田川・小田急線・大山(右後方)
小田急線をくぐれば大山街道(青山道)との合流地点はすぐだ。
IMG_5153
右から来る大山街道(青山道・矢倉沢往還ルート)との合流地点 
【ル-ト地図】の68
青山道を進み、国道246号に出て愛甲石田駅に向かった。
電車に乗ったあたりから外が真っ暗になって雷鳴が轟き、
ザアザア降りの雨になった。グッドタイミングというのだろう。

←『柏尾道①

坂道散歩