2019年12月9日

柏駅(JR常磐線)・バス→手賀東小学校入口・・・百庚申・・・花見堂地蔵尊・・・木崎薬師堂・・・鷺森大明神石祠・・皇太神宮・・新四国17番標石・・平親王将門宮・・・高野館(御殿)跡あたり・・・福蔵院跡・・・道標・道祖神・・布瀬城址あたり・・・宝寿院・・・観音堂・・・弁財天宮・・・香取鳥見両神社・・・千間堤跡・浅間橋(手賀川)・・・中坪橋(低地集水路)・・・やすらぎの道・・・(新木駅)・・・境界標石・・・気象台記念公園・・・新木駅(JR成田線)

 【ル-ト地図

 今日も主に平将門伝承地を訪ね歩く。『将門マップ
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百庚申
文政7年(1824)から明治8年(1875)までの造立された97基の庚申塔
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小さな野仏と思いきや
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れっきとした花見堂地蔵尊と名のある地蔵さんだった。
花見堂はどこにあったのか?
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木崎薬師堂
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薬師堂の前から細い道に入る。
このあたりは江口家の敷地だろうか。
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鷺森大明神石祠
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皇太神宮
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新四国17番標石
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平親王=平将門(右の標石の側面)
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親王将門宮
江口家の氏神の将門明神。
明和元年(1764)、結縁寺(現印西市)の弘慶和尚によって勧請されたという。
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堂内の「平親王将門寶宮」石祠
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高野館跡あたり?
高野御殿と呼ばれ、地元では将門の館跡と伝えられてきた。

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福蔵院跡
将門の乱の際に本尊の不動明王像は高野御殿に避難し無事だったという。

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木の下に道祖神・道標などが立つ三叉路
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道標(昭和8年)
「手賀小学校」(明治6年開校~昭和16年 手賀東国民学校と改称
~昭和22年 手賀東小学校と改称)
「千間渡船場」は千間堤跡・浅間橋(手賀川)あたりの渡船場か。
西に行けば「柳戸 泉 柏町」方面だ。

ここの北方あたりが布瀬城址か。

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宝寿院
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観音堂
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観音像?
堂内には「真静院妙峯梅里大姉」の提灯がぶら下がっている。
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弁財天宮
ここから香取鳥見両神社に向かうが、随分と大回りしてしまった。
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香取鳥見両神社
右の再建記念碑に
「平将門の反乱の際に兵火で保存し置ける宝物は全部灰尽に期し・・・」とある。

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鴨猟記念碑(昭和17年)
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説明板
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長い参道
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拝殿
昭和61年に本殿ともに焼失、昭和63年に再建された。
北に手賀川に向かう。
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千間堤跡『手賀沼と開墾
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浅間橋から手賀川上流方向
やすらぎの道を北上して新木駅の北側に出る。
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境界標石
「布佐町」は合併して我孫子市になっている。
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気象台記念公園
昭和14年から平成11年まで、中央気象台布佐出張所(気象送信所)が設置されていた。
現在はアメダスが設置(金網柵内)されている。
説明板などは見当たらなかった。