2019年12月29日
浅草駅(つくばエクスプレス)・・・感応稲荷・・・日輪寺・・・天獄院・・・日枝神社・・・海禅寺・・・曹源寺(かっぱ寺)・・・妙音寺・・・誓教寺・・・新御徒町駅(都営大江戸線)→飯田橋駅(地下鉄東西線)→九段下駅・・・蕃書調所跡・九段坂・・・筑土神社・・中坂・・・九段下駅(地下鉄東西線)→早稲田駅・・・穴八幡宮・・大福寺・・・宝泉寺・・・早稲田駅(東西線)→高田馬場駅・・・清水川橋(神田川)・・・東山藤稲荷神社・・・おとめ山公園・・・高田馬場駅(東西線)→中野駅・・・城山公園・・・中野駅(JR中央線)→神田駅(JR山手線)→日暮里駅・・紅葉坂・・・天王寺・・・幸田露伴旧宅跡・・谷中霊園・・織田完之の墓・・・五重塔跡・・・御隠殿坂・・(JR跨線橋)・・・御隠殿跡(根岸薬師)・・・羽二重団子・善性寺・・・日暮里駅
《地図》 【将門マップ】
元は大手町の将門の首塚の隣にあった寺。徳治年間(1306~7)に疫病が流行し、平将門の首塚の祟りだと怯える村人を、この地を訪れた他阿真教が見て首塚を修復し供養をしたところ疫病が治まったという。『日本伝承大鑑』
『江戸自慢三十六興 (落合ほたる)』・『江戸名所図会(落合蛍)』源経基が、延長5年(927)に京都稲荷神社を勧請して、東国源氏の氏神として祀ったと伝える。かつては境内に大きな藤の木があったそうだ。
浅草駅(つくばエクスプレス)・・・感応稲荷・・・日輪寺・・・天獄院・・・日枝神社・・・海禅寺・・・曹源寺(かっぱ寺)・・・妙音寺・・・誓教寺・・・新御徒町駅(都営大江戸線)→飯田橋駅(地下鉄東西線)→九段下駅・・・蕃書調所跡・九段坂・・・筑土神社・・中坂・・・九段下駅(地下鉄東西線)→早稲田駅・・・穴八幡宮・・大福寺・・・宝泉寺・・・早稲田駅(東西線)→高田馬場駅・・・清水川橋(神田川)・・・東山藤稲荷神社・・・おとめ山公園・・・高田馬場駅(東西線)→中野駅・・・城山公園・・・中野駅(JR中央線)→神田駅(JR山手線)→日暮里駅・・紅葉坂・・・天王寺・・・幸田露伴旧宅跡・・谷中霊園・・織田完之の墓・・・五重塔跡・・・御隠殿坂・・(JR跨線橋)・・・御隠殿跡(根岸薬師)・・・羽二重団子・善性寺・・・日暮里駅
《地図》 【将門マップ】
元は大手町の将門の首塚の隣にあった寺。徳治年間(1306~7)に疫病が流行し、平将門の首塚の祟りだと怯える村人を、この地を訪れた他阿真教が見て首塚を修復し供養をしたところ疫病が治まったという。『日本伝承大鑑』
天嶽院
細井平洲の墓がある。
『銅造阿弥陀如来坐像』(台東区文化財)
妙音弁財天(伎楽山妙音寺)
誓教寺には葛飾北斎の墓がある。新御徒町駅から九段下駅まで地下鉄を乗り継いで行く。
天慶3年(940)、将門の霊を武蔵国豊島郡上平川に祀り、津久土明神と称したことにはじまるという。狛犬の頭上には「角(つの)」が乗る。すごい人出だ。冬至から節分までの間だけ授与される「一陽来復御守」目当ての参拝客だろうか。承平年間(931~37)の藤原秀郷の開基で、戦勝祈願のため念持仏である毘沙門天像(現存しない)を安置したという。
毘沙門天像の写し絵(藤原秀郷の守り本尊像の江戸時代の写し絵)
早稲田駅から高田馬場駅まで東西線で行く。
清水川橋から神田川(下流方向)
『江戸自慢三十六興 (落合ほたる)』・『江戸名所図会(落合蛍)』源経基が、延長5年(927)に京都稲荷神社を勧請して、東国源氏の氏神として祀ったと伝える。かつては境内に大きな藤の木があったそうだ。
高田馬場駅から東西線で中野駅まで行く。
城山公園
中野駅からJR中央線、山手線で日暮里駅に出る。
紅葉坂を上って天王寺から谷中霊園に入る。
織田完之の墓
幸田露伴旧宅跡
御隠殿坂を下る。
左方向に下っていたのだろうが、JR線路で行き止る。跨線橋を渡って御隠殿跡碑が立つ根岸薬師に寄り、羽二重団子と善性寺の前を通って日暮里駅に出た。