2019年10月28日
中村橋駅(西武池袋線)・・・美術の森緑地・・貫井川緑道・・・(目白通り)・・水神宮・御嶽神社・・円光院・・・清戸道・・おさる坂・・道楽橋(石神井川)・・宮田橋敷石供養塔と高松の庚申塔・長久保道分岐地点・・・高松八幡神社・・・(環八通り)・・・高松しいのき憩いの森・・宮本ファーム・・わかみや公園・長久保道碑・・たかまつ憩いの森・・・(富士街道(ふじ大山道)交差地点)・・・若原稲荷神社・・・夏の雲公園・・・馬頭観音道標・・・光が丘団地・・・(高松6交差点(笹目通り))・・旧道・・・土支田地蔵・・・(土支田通り)・・・長久保道碑・・別荘坂・・中里地蔵尊・庚申塔・別荘橋(白子川)・・・八坂神社・中里富士塚・・・もみじ山公園・・らんとう坂・・・(東京外環道)・・・馬頭観音・・・長久保氷川神社・・・学園北郵便局前交差点・長久保通り・・・西長久保バス停→成増駅(東武東上線)
清戸道のおさる坂下の道楽橋(石神井川)を渡った先の宮田橋跡(石神井川支流)から北方向に入り、ふじ大山道(富士街道)、光が丘団地を横切り、土支田地蔵から別荘橋(白子川)を渡って、らんとう坂を上り長久保に至る長久保道を行く。
さらに新座市に入り、市営霊園・自衛隊駐屯地を迂回して黒目川を渡って、江戸道(江戸往還)に入り、平林寺の南側の陣屋通りを西進して志木街道との合流地点まで行く。
【ル-ト地図】

美術の森緑地
隣は練馬区立美術館。好天で子供たちで賑やかだ。
貫井川緑道
貫井池と呼ばれる湧水池に、西から貫井川が流れ込み、
北向きに流れ出していた。それを暗渠化した緑道のようだ。
御嶽神社(左)・水神宮(貫井川緑道沿い)
円光院 「説明板」
脚腰痛を患った円長法師(天正13年(1585)没)が、
武州大鱗山の子聖権現を遥拝し、
夢に現れた霊石を得て患部にあてると快癒した。
法師はここに堂舎を建て貫井寺と称し、子聖大権現を勧請した。
門前の左側に「子聖観世音標石」(文化7年(1810))が立つ。
寺の南に大きな池があって南池山貫井寺という。
この池が貫井池のことだろうか?
清戸道に出る。
おさる坂を下る。
「以前この坂の左手の丘の上に草に埋もれた二基の庚申塔があった。
寛文2年(1662)、安永2年(1773)造立のものであったという。
(現在は長谷川家に安置されている)
それでこれをおさる(申)坂と言ったといわれているが、
この呼び名から、祝儀の際、花嫁が通ると離縁になるといわれ、
通らないようにしたという」『練馬の伝説』
道楽橋から石神井川(上流方向)
「道楽」の由来には、
①この橋を架けるため農民を集めようとしたが、
農繁期で集まらず、いつまでも橋が架からないので、
まるで道楽で橋をかけているといわれたのが橋の名になった。
②南の台地上(貫井5丁目)に地蔵堂を建て、
堂の落成の喜びをあらわすため「堂落橋」と名づけたが、
何年か後に橋の架け替えの時、道楽橋と書いてしまった。
③農民たちが地蔵堂を托鉢喜捨して建てた。
余材で橋まで架けることができた。楽に堂が建ったので「堂楽橋」とした。
幕末に橋を架け替える際に石屋が字が解らず、「堂」が「道」になった。
(どれも真らしく、嘘っぽい説ではあるが)
また、道楽橋を渡ってゆくと、道楽者の所へ嫁ぐと言うので、
渡らないようになったともいう。
この他にも道楽橋のあたりで一緒になれない男女が心中したので縁起が悪い、
といって花嫁が渡らなくなったという話もある。『練馬の伝説』
宮田橋敷石供養塔(右)と高松の庚申塔 「説明板」
庚申塔は練馬区内で最大のもの。
宮田橋は石神井川の一支流に架かる橋だった。
ここで清戸道と分かれ、北方向に細い坂を上って行くのが長久保道。
長久保道に入る。
この先の環八通りを直線的に横切っていたのだろう。
高松八幡神社
大山大聖不動明王(八幡神社鳥居脇)
享和3年(1803)建立
環八通りを横切って北に進む。
旧家
旧家の塀沿いの長久保道を行く。
「高松しいのき憩いの森」のスダジイの大木
ここも旧家の所有地だろう。
長久保道碑・説明板(わかみや公園内)
後ろは練馬大根漬物用の大樽らしい。
向い側の宮本食品の門脇にも大樽が座っている。
若原稲荷神社
この先、光が丘団地などで高松6交差点あたりまでは旧道はたどれない。
さかえ幼稚園の新しい仲良し道祖神か。
夏の雲公園
練馬区は公園が多い。西側は「春の風公園」だ。
馬頭観音(文化6年(1809))
台座の側面は道標になっている。
左側面に「左 大山 東かうやさん道」・右側面に「右 所さわみち」のようだ。
他所から移設されたものか。
ここを南に行けば「ふじ大山道」(富士街道)で、
さらに南西方向に行けば「東高野山長命寺」に出る。
高松6交差点(笹目通り)を渡って、すぐ先で左に旧道?に入る。
旧道(左)を進む。旧道らしきところは残っていないが。
土支田地蔵尊
土支田地蔵北・南・西交差点もあるのだが、説明板などはない。
土支田通りを横切って行く。
別荘坂を別荘橋へ下る。
ここにも坂の途中に「長久保道碑」と説明板
中里地蔵尊と庚申塔の祠(左)・別荘橋(白子川)

中里地蔵尊(右)・左の庚申塔(嘉永3年(1850))は、
風化してとろけかかっている。
別荘橋から白子川(上流方向)
白子川にかかる他の橋の名は、大泉村誕生以降に名づけられたが、
別荘橋は江戸時代の命名。橋戸村中里に荘埜家がある。
元は荘家であったが、後にこの地に来村したといわれる他の荘氏とは別である
という意識から明治期に荘埜という苗字をつけ、別の荘氏であるという意味で、
橋の名前を別荘橋と命名したという。『練馬の伝説』
八坂神社
カヤの木(「ねりまの名木」の17)
中里富士塚
らんとう坂を上る。見た目よりも傾斜がある。
昔、坂の途中に卵塔があったという。当初は「蘭塔坂」と表記していたそうだ。
蘭塔坂(二の坂)は新宿区にもある。左はもみじ山公園
坂上から東京外環道の上を通って行く。
馬頭観音
古そうだが昭和54年建立でまだ新しい。
長久保氷川神社
長久保通り(左右の道)の学園北郵便局前交差点
今日はここまでとし、左折して西長久保バス停から成増駅に出た。
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