カテゴリ: 旅行・地域

2019年5月9日

赤羽駅(JR京浜東北線)-日光御成道(岩槻街道)--道標・宝幢院--(JR京浜東北線ほか)-師団坂下-八幡坂--桐ヶ丘中央公園--(板橋区)--小豆沢通り-小豆沢貝塚-小豆沢公園-大山道標(庚申塔)--(志村坂上駅)-中山道-旧道-庚申塔道標-清水坂上・大山道標(大山道分岐地点)--城山通り--志村城跡碑-熊野神社・志村城空堀跡-城山の坂--(首都高5号)-庚申塔道標(志村第二公園)--南坂--中台中学校-庚申塔道標-中台稲荷神社--延命寺・庚申塔道標--閻魔坂--かみなか庚申塔--東第33号踏切(東武東上線)-三又の馬頭観音・(練馬区)--川越街道下練馬宿-大山不動道標・ふじ大山道(富士街道)起点-川越街道--東武練馬駅(東武東上線)

ル-ト地図

 大山街道(青山道・矢倉沢往還ルート)・【ル-ト地図】)
 大山街道(田村道)
 大山街道(柏尾道)
 大山街道(八王子道)
 大山街道(八王子道・当麻経由)』

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宝幢院
ここは日光御成道(岩槻街道)と鎌倉街道(中の道・西回り)の合流地点
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道標((元文5年(1740)・宝幢院前)
「東 川口善光寺道 日光岩付道」・「南 江戸道」・「西 西国冨士道 板橋道」で、
西に鎌倉街道中の道を行けば、上町駅近くの世田谷代官屋敷跡あたりで、
大山街道(青山道・矢倉沢往還ルート)に合流する。
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八幡坂 【ル-ト地図】の1
坂上には八幡(はちまん)小学校、坂下には赤羽八幡神社があるが、
北側の八幡(やわた)谷に由来の坂名。大正時代に造られた新しい坂で、
昔の大山道とは呼べないだろうが。
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庚申塔道標(天明5年(1785)) 【ル-ト地図】の2
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正面に「奉造立庚申供養塔」
右側面に「 右ハ大山道
左側面に「左ハ上いたばしみち」、
ここまで道沿いに大山道を示す道標はこれだけだった。
すぐ先で中山道に出て、左の旧道に入る。
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中山道(志村坂上交差点)
左が旧道で清水坂上に向かっている。
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庚申塔道標
「是より川口ぜんかうじ道」と刻まれているともいうが、
風化が激しい上に工事現場でこれ以上近づけない。
まだ、撤去されないだけましか。
さっきの宝幢院前の道標にも「東 川口善光寺道」とあった。
江戸時代には庶民の手軽な善光寺参りで賑わった寺だが、
今は荒川の堤防上の味気ない、殺風景な寺になってしまった。
「江戸名所図会」の『善光寺』 (現在の《地図》)
日光御成道沿いの寺で中山道沿いの寺ではない。
今来た道筋近くを通って日光御成道へ出たということか?
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大山道分岐地点(正面に道標と庚申塔道標) 
中山道は直進して清水坂を下って行く。
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大山道標・庚申塔道標
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説明板
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熊野神社
志村城の二の丸跡に建立
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由緒
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境内で遊んでいれば自動車追突事故に巻き込まれる恐れはないが。
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志村城跡碑
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説明板
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志村城空堀跡(社殿の西側) 【ル-ト地図】の3
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絵馬殿
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説明板
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伊勢太々神楽(だいだいかぐら)奏図絵馬(寛政7年(1795))
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熊野神社前から城山の坂を下って首都高5号をくぐる。
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庚申塔道標(志村第二公園内) 【ル-ト地図】の4
①右の石橋供養庚申塔(明和7年(1770)))の
右側面「右は はやぞみち」
早瀬は早瀬前遺跡や鎌倉古道の早瀬の渡しがあったあたりか。
左側面「左は 祢里まみち」、(祢里まは練馬、石橋は出井川の摺張橋)

②中の庚申塔(文政13年(1830))
右側面には「向右 祢つはより吹上道」、(根葉)
明治33年に上蓮沼村と根葉(ねっぱ)村が合併したとき、
両村名から一字づつ採って蓮根となった。
吹上は蓮根の西方の吹上観音(和光市白子)方向か。
左側面には「向左 称りまより大山道」、

③左の庚申塔(明治2年)
右側面「向右 ねりまみち」
左側面「向左 かみいたばしみち」

①②③とも中台2-40-3(公園の南側の道の分岐地点)より移設
(いずれも刻まれている文字等については、『板橋区の庚申塔』を参考にした。感謝!)
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説明板
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南坂を上る。【ル-ト地図】の5
中岱南殿の屋舘址が坂上の丘陵上にあった。
城山の坂を下り、出井川の摺張橋を渡りこの坂を上り、
やがて下練馬宿に通ずる大山道の一部。
坂下には庚申塔が祀られていていづれも道しるべを兼ねている。
うち1基は摺張橋の橋供養を行っていて、道中の無事を祈っている。
(『いたばしの地名』・『郷土 板橋の坂道』より)
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地蔵の祠の左に馬頭観音と庚申塔 【ル-ト地図】の6
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①地蔵(右)(天明4年(1784))
台石右側面「右練馬道五町」・左側面「左下板橋道」

②馬頭観音(中)(寛政12年(1800))
右面 「右??道 大山道」・左面 「左江戸道」

③庚申塔(左)(嘉永5年(1852))
右側面「西ふじ大山練馬道」
左側面「南いたはし前野道」、参考:『気ままに街道歩き(大山街道志村道)』
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中台稲荷神社
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説明板

大山道から離れて延命寺の境内に集められている
庚申塔道標などを見に行く。【ル-ト地図】の7
参考:『板橋区の庚申塔
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左の庚申塔(享保20年(1735))
正面右下「これより左へ ねりまへ十八丁」
右の庚申塔(宝暦3年(1753))
右側面「此方 ねっぱみち」・(根葉道)
左側面「此方 富士道」
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馬頭観音(天保14年(1843))
右側面「西練馬ふじ大山道」
左側面「東岩渕川口道」・裏面「南板橋道」
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閻魔坂
中台稲荷神社の前から閻魔堂橋跡あたりまで下る坂。
出井川の支流の一つで小字新田前に源を発する小川に閻魔堂橋が架かっていた。
近くに延命寺持ちの閻魔堂があった。
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かみなか庚申塔(享和4年(1804)) 
右側面「右 にしたい とくまる」(西台 徳丸)
 左側面 「左 ねりま 大山 みち」
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かみなか庚申塔

東上線の踏切を渡って行く。
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三又の馬頭観音 
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馬頭観音(右)に「右王子道」・「東戸田渡し道」
左の石塔(道標?)に「左戸田道 下練馬 右いたばしみち」
と刻まれているともいうが、全く分からず。

練馬区に入った。
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川越街道下練馬宿
このあたりは寂しげだが、環八通りを越えると賑やかな商店街となる。
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大山不動道標(宝暦3年(1753))・東高野山道標 【ル-ト地図】のB(終点)
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正面 「従是大山道」
  左面 「ふじ山道 田なし 三里 府中え 五里」
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ここが「ふじ大山道(富士街道)」起点で→青梅街道合流地点→甲州街道、
あるいは、青梅街道合流地点→深大寺道→甲州街道、
甲州街道→府中宿→鎌倉街道(上の道)→大山街道(青山道)
甲州街道→八王子宿→大山街道(八王子道)→大山街道(青山道)、
などで大山に向かったのだろう。

坂道散歩


2019年5月6日


橋本駅(JR横浜線)--橋本の棒杭--国道16号(八王子街道)--橋本五差路(国道129号・八王子街道)--下の原交差点--旧道-勧音苦行坂・大山道標柱--国道129号--日枝神社--作ノ口交差点・県道508号--浅間神社--ちとせ橋(鳩川)・不動講供養塔①・金峯山蔵王権現石塔--田尻交差点・不動講供養塔②・大山道標柱--上溝バイパス交差点・国道129号--県道508号--天満宮--無量光寺--亀形橋(八瀬川)-当麻坂-下当麻交差点--当麻の渡し標柱・馬頭観音など-昭和橋(相模川)-(厚木市)-依知神社・大イチョウ--上依知渡船場標柱--上依知の渡し標柱・他阿上人名号碑--男井戸坂上--(県道508号)-堂坂-畜牛供養塔?-馬頭観音-庚申塔-大山不動道標--上依知歩道橋(県道508号・厚相バイパス)--藤塚浅間神社--道標・題目供養塔-諏訪神社・諏訪の森標柱-旧諏訪坂-県道-諏訪坂-安産子育地蔵堂--諏訪橋(善明川)--向原の道祖神(跡)--八王子道(田名経由合流地点)--才戸の渡し跡--才戸橋(中津川)--才戸坂--才戸橋バス停→本厚木駅(小田急線)

ル-ト地図

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棒杭標柱 【ル-ト地図】の①
ここに橋本の棒杭と呼ばれていた大山不動道標があった。(下の写真)
この地域は「ボウグイ」と呼ばれ小字としても親しまれていた。
大山道はここで田名方面(右)と当麻方面(左)に分かれる。当麻方向に向かう。
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大山不動道標(安政2年(1855))
正面に「右 大山みち 田名??」、右側面に「北八王子道」、左側面に「南あつぎ道」
今は棒杭標柱の南側の住宅地の一角に移されている。
今日は当麻方向に向かう。国道16号(八王子街道)を南東下する。
下の原交差点を過ぎて左に旧道に入る。
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観音苦行坂を下って国道に戻る。【ル-ト地図】の2
大山道の難所といわれた坂というが、下り坂で観音楽々坂だ。
坂下に大山道標柱が立っている。
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日枝神社・蠶影山神社
蠶(蚕)影山神社はつくば市(茨城県)の蚕影山神社の末社だろう。
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浅間神社・タブノ木
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ちとせ橋から鳩川(上流方向)
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不動講供養塔①(寛政7年(1795)・左端)、金峯山蔵王権現石塔(右から2番目)
【ル-ト地図】の3
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不動講供養塔②(田尻交差点を渡った左側)
大山道標柱、馬頭観音、六地蔵石塔(左)もある。
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この先の塩田原交差点を過ぎると県道508号は当麻山無量光寺方向へ下って行く。
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天満宮「由緒
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無量光寺山門「説明板
17世紀初頭の高麗門形式の山門
ここは紅葉が見頃の時に坂道散歩で訪れたことがある。
調べたらもう13年近くも前だった。
今は紫陽花の季節で期待したが咲いていなかった。
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お髪塚(おはつづか)「縁起碑
徳川家康の先祖父子が剃髪し、その髪を埋めた所といわれている。
後に子の徳阿彌は西下し三河の地で松平家を起こし徳川家へと繋がったという。
境内探訪』より
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亀形(きぎょう)橋(旧日影坂橋)から八瀬川(上流方向)
橋は亀の形とは関係ない普通の橋で、近くにひかげ(日影)坂がある。
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当麻の渡し標柱・庚申塔など
標柱には、「当麻は古くからの交通の要所で、
この先には対岸の依知とを結ぶ渡し場がありました。
特に大山参りが盛んになってからはこれを利用する人も増え、
当麻はさらに宿場としてにぎわいました。」
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昭和橋から相模川(下流方向)

相模原市から厚木市に入る。

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依知神社
ここを訪れたのもかなり前だ。『厚木市の坂①
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依知神社の大イチョウ「説明板
源頼家の手植えとか。根元近くも太い。
今は県道が社殿と分断しているが、昔はあたり一帯は境内だった。

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上依知渡船場標柱(少し下流側にある)
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上依知の渡し標柱・他阿上人名号碑 【ル-ト地図】の5
川沿いからは少し離れている。
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男井戸坂上に出て、県道508号を横切って堂坂を上る。『厚木市の坂①
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堂坂 【ル-ト地図】の5-2
相模川沿いの依知神社の低地から台地に上る長く、急な坂だ。
昔、坂の途中に七面堂(観音堂)があった。
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馬頭観音(慶應3年(1867))
自然石では市内最大
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分岐を右に進む。
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庚申塔(右は文化10年(1813))・左は新しい庚申塔
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大山不動道標(明治26年とけっこう新しい)
ほかに名号塔(享保3年(1718))・庚申塔(正徳3年(1713))などがある。
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上依知歩道橋で県道508号・厚相バイパスを越える。
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藤塚浅間神社
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道標(文化2年(1805))・題目塔(文化元年)(諏訪神社の手前)
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説明板(道標)
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説明板(題目供養塔)
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諏訪神社
鐘(安永2年(1773)の作)は太平洋戦争で供出された。
2001年に氏子一同の悲願によってこの鐘が再建された。
境内に「諏訪の森」の標柱が立つ。武田信玄の三増峠の合戦の記録が
甲陽軍鑑」にある。そこに記載がある「諏訪の森」が当地であるともいう。
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本殿
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諏訪神社前から諏訪坂の旧道を下って車道へ出る。
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今の諏訪坂を下る。
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安産子育地蔵堂前から大山
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安産子育地蔵・阿弥陀如来堂
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久しぶり(11年ぶり)だが相変わらず元気で何より。『厚木市の坂③
大山も立派だが地蔵さんにはかなわないか。
(地蔵さんの持ち物ではありません)
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阿弥陀さんは肩身が狭まそうだ。
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諏訪橋から善明川
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向原の道祖神(跡)
双体道祖神の残欠か。
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右から来る田名経由の八王子道との合流地点 【ル-ト地図】の8
ここを当麻経由の八王子道の終点として、
中津川の才戸の渡し跡を才戸橋で渡って、
才戸坂を上って才戸橋バス停から本厚木駅に向かった。

坂道散歩

2019年5月4日

長後駅(小田急江ノ島線)--仙元塚--長後市民センター--六合橋(引地川)--地蔵祠--(葛原バス停)--道祖神--宮の腰交差点--豊受大神--葛野バス停-御所見塚碑--庚申塔道標--稲荷社--用田の辻(用田交差点)・大山不動道標・中原街道交差地点--地蔵祠--(東海道新幹線)--用田橋(目久尻川)-(海老名市)-大山不動道標--寿閑寺--真光寺--地神塔道標--県道22号--庚申塔道標--本郷神社--道祖神?-大山道標--大山不動道標・二十三夜塔--道祖神--子育地蔵(延命寺)--馬頭観音-居合坂・柏尾通り大山道案内板--居合橋(幹線用水路)--(県道46号)-南門沢橋第二踏切(相模線)--大橋(永池川)--正覚寺-浄久寺-渋谷神社--大山不動道標・戸田の渡し案内板--(圏央道)-戸田の渡し跡・戸沢橋(相模川)--(厚木市)--戸田の渡し跡碑--不動明王像--地蔵等石仏群-県道22号-相川村役場跡標柱--道祖神-天宗寺--県防災センター--長徳寺-大山道標?--長沼交差点(県道22号)・大山不動道標・(伊勢原市)--畠田橋(歌川)--(小田原厚木道路)--愛甲石田12号踏切(小田急線)--法眼寺--大山街道(青山道合流地点)--青山道(矢倉沢往還)--国道226号--伊勢原駅(小田急線)

 長後市民センターに移設されている道標を調べるのに時間を食い、伊勢原市に入った途端に雹(ひょう)が降ってこようとは予定外だったが、少しは見覚えのある感じがする青山道との合流地点まで行って、柏尾道歩きの終点とした。

ル-ト地図

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仙元塚「説明板」 【ル-ト地図】の9
富士山噴火の火山灰で造った富士塚=浅間塚
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長後市民センター
敷地内の西側に道標などが集められて保存されている。
番号 種別・造立年       文面・元の所在地
1庚申塔右側面「ふち沢道」・左側面「右大山道 東かしお道」
 安政7年(1860)夏刈の辻(下土棚字夏刈1767)
大山道と、ほしのや道との合流地点。《地図》?
4庚申塔右側面「ふし沢道」・左側面「かしお道」
 文化9年(1812)1.と同じ
7道標正面「右大山道」・左側面「左ふじ沢みち」
 安永5年(1776)藪鼻の辻(長後四つ角) 【ル-ト地図】の8
17庚申塔右側面「左 ふち沢道」・左側面「右 大山みち」
 不明7.と同じ
19出羽三山供養塔右側面下部「右八王子 ほしのや道 西左 大山道」
 享和元年(1801)7.と同じ
説明板は日光が反射して読みづらくて苦労した。
まだあるのだろうが、なにせまだ歩き始めたばかりで先が長い。
これくらいにして切り上げて再出発した。
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六合橋から引地川(上流方向)
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豊受大神(とようけだいじん)
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御所見塚碑「説明板」 【ル-ト地図】の10
透明なプラスチック板に覆われていて、興覚めの感じだ。
長田氏の祖という葛原親王の墓との伝承がある皇子塚
綾瀬市にあったがそれも牛馬の餌の枯れ草を積んで干してあるみたいな塚だったが。
このあたりには葛原(くずはら)・御所見の地名が残っている。『地名の由来

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稲荷社(御所見市民センター手前)
大きな英霊碑や義勇奉公碑の後ろに小さな稲荷の祠がある。
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用田(ようだ)の辻(用田交差点)「説明板」【ル-ト地図】の11
中原街道との交差地点
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大山不動道標(用田交差点を渡った所の左側)
台座の「右大山道」だけは見える。
「北江戸しんみち」・「南一之宮みち」と彫られてようだ。
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地蔵堂(西用田バス停手前)
背丈が違う地蔵さんが二人仲良く並んでいる。
兄弟、親子、友達?
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用田橋から目久尻川(下流方向)
藤沢市から海老名市に入る。
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大山不動道標には「左大山道」 【ル-ト地図】の12
右の道標には「右 座間 ???」
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寿閑寺(右)
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真光寺
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子育地蔵
右は宝暦5年(1755)、中は寛延4年(1751・宝暦元年)の造立。
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地神塔道標「左大山道」らしいがよく見えず。

細い流れを渡って県道22号に出て上り坂を少し進む。
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庚申塔道標(安政4年(1857))
右側面「此方かしを道」、左側面「此方大山道 右一の宮 左国分寺」
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本郷神社
このあたりは、『海老名市の坂④』で歩いている。
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左は「西国四国坂東供養塔道標(弘化4年(1847))で、
左側面「此方大山道」・右側面「此方 こくふんし ほしのや 江戸新道」
右も「西国四国坂東供養塔」
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大山不動道標(明治4年)には、「南 一之宮道」・「北 かしお ふじさわ 道」
二十三夜塔(安政2年(1855))には、「左 ほしのや 国分寺 道」 
【ル-ト地図】の13

ここを右折し、その先を左折して行く。
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子育地蔵(延命寺)

ブロック塀の間に馬頭観音の祠がある。

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居合坂を下る。【ル-ト地図】の14
小名の居合による坂名。居合は、「入会地」の転訛したもの。
居は井と同じで、泉・用水・井堰を表し、水流や川の合流点を示すとする説などがある。
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説明板
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大橋から永池川(下流方向)
相模国分寺の北の国分尼寺の近くの浅井の泉が水源といわれ、
寒川町で相模川に合流する。様々な生物が生息し、緩やかな川だそうだ。 
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正覚寺
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浄久寺
開基の長谷川氏の墓が多く、「郷土かるた
火付盗賊改のあの長谷川宣以(平蔵)の家系か?
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渋谷神社説明板
寺かと思ったら鳥居があった。
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正面の大木の下に大山不動道標と戸田の渡しの案内板がある。【ル-ト地図】の15
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大山不動(安政2年(1855))
台座に「大山」とあるだけ。
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戸沢橋から大山方向
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戸沢橋から相模川(下流方向)

厚木市に入った。
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戸田の渡し碑
民家の敷地内の不動明王像
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地蔵など石仏群(県道22号に出る手前左側)
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相川村役場標柱 【ル-ト地図】の16
相模川から一字を取って相川村。昭和12年に戸沢が完成した際に、
戸田366からここへ役場が移設され、昭和30年に廃止されたそうだ。
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天宗寺・左は鍼灸院
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長徳寺
阿弥陀如来立像
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右は大山道標で、「左大山道」・「右戸田船渡」らしいが見えない。
(長徳寺の少し南側の右側)
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大山不動道標(天保6年(1835)・長沼交差点)「説明板
このあたりから曇って暗くなった空からゴロゴロと雷鳴が聞こえ始めた。
伊勢原市に入った。
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畠田橋から歌川(下流方向)
ここで急に大粒な雨がバラバラと身体に当たりだした。
これは雹(ひょう)まじりの雨だったようで、傘を取り出す間にかなり濡れてしまった。
帰りは府中本町駅から武蔵野線で帰ったのだが、駅は競馬帰りの人で混んでいた。
ひょうなどの天候不良で10R以降が中止になったのを帰ってから知った。

しばらくして普通の雨となり、次第に小降りになってきた。
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渋田川・小田急線・大山(右後方)
小田急線をくぐれば大山街道(青山道)との合流地点はすぐだ。
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右から来る大山街道(青山道・矢倉沢往還ルート)との合流地点 【ル-ト地図】の17
青山道を進み、国道246号に出て愛甲石田駅に向かった。
電車に乗ったあたりから外が真っ暗になって雷鳴が轟き、
ザアザア降りの雨になった。グッドタイミングというのだろう。

←『柏尾道①

坂道散歩



2019年4月24日

戸塚駅(JR東海道線)--東海道(国道1号)---不動坂--柏尾不動堂・大山道道標--大山跨線橋(JR東海道線・平戸永谷川)--富士橋(阿久和川)--(横浜新道)--かもめ橋(阿久和川)--(横浜市泉区)--新宮前橋--西林寺--大山道標・永明寺別院--(地神塔・双体道祖神)--狢塚あたり--庚申塔道標・和泉小学校入口交差点--出羽三山供養塔-和泉小学校--蚕御霊神塔道標・庚申塔道標・神明社(泉小次郎伝承地)--和泉橋(和泉川)--いずみ中央駅(相鉄いずみ野線)--旧道--上飯田のお地蔵様(庚申塔)--(鎌倉街道上の道交差地点)--高鎌橋(境川)--(藤沢市)--如意輪観音塔・庚申塔(大山道標?)--庚申塔--庚申堂--長後宿(藪鼻宿)継立場跡あたり・滝山道-藪鼻の辻(長後四ツ角)-長後駅(小田急江ノ島線)

ル-ト地図

  東海道戸塚宿の手前の不動坂上の柏尾不動から西に向かい、鎌倉街道(上の道)、中原街道と交差し、戸田の渡しで相模川を渡り、下糟屋(伊勢原市)で大山街道(青山道)と合流して大山に向かった柏尾道を行く。

 大山街道(青山道・矢倉沢往還ルート)・【ル-ト地図】』
 大山街道(田村道)
 大山街道(八王子道)
 
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東海道から大山街道(柏尾道)に入る。右は柏尾不動堂 【ル-ト地図】の1
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柏尾不動堂
右の道標は明治5年の建立。明治時代になっても大山詣りはすたれなかったのか。
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かすれて読みにくい。
「・・・大山道への道標は次の四基で、ほかに燈篭一基と庚申塔一基がある。
 ①寛文十年(1760)の建立。五處の橋供養を兼ねる。  
②正徳三年(1713)の建立。
  ③享保十二年(1727)の建立。
④明治五年(1872)の建立。
 庚申塔は延宝八年(1680)、燈篭は元治二年(1865)の建立・・・」
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富士橋から阿久和川(下流方向) 【ル-ト地図】の2
この先で柏尾川に合流する。
柏尾道は阿久和川沿いを上流方向に向かう。
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旧富士橋の親柱
まだけっこう新しそうで使えそうだ。
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猿橋(甲州街道)
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かもめ橋から阿久和川(上流方向)
鳥の「かもめ」ではなく、川の北側の会社の名前だそうだ。
確かに「かもめプロペラ」という会社がある。《地図
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大山街道は川の南沿いを通って行く。
岡津町交差点の手前で横浜市泉区に入る。
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西林寺
山門の右側に樹齢160年以上という枝垂桜がある。
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出羽三山供養塔道標(道沿いから境内へ移されたものだろう)
向かって右側面に「東 かまくら ぐめうじ 江戸 道」、
左側面に「西 あつき ほしのや 八王子 道」で、

弘明寺坂東三十三観音霊場の14番)・厚木・
星の谷観音(坂東三十三の8番)
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徳本名号塔
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不動橋から永明寺(ようめいじ)別院(本寺は少し離れた南側にある)
阿久和川沿いから離れて行く。
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大山道道標(享保10年(1725))
(正面) 不動明王像の下に「庚申供養 大山道」
向かって左側面に「享保十乙巳十一月吉日」
向かって右側面に「右 ほしのやミち」
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この先250mほどの左側にあるという双体道祖神と、
道標を兼ねた地神塔「上り大山道、下りかしを道」を見逃した。
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正面が狢塚跡あたりだろう。(国際親善病院の西側の坂上)
急な男坂と本道の女坂が上っていたようだ。この坂は女坂の名残りかも。
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庚申塔道標(文化6年(1809)) (【ル-ト地図】の3)
向かって右側面に「東 かしお 南 ふじ沢 道」
左側面に「西 大山道 北 八王子道」
和泉小学校へ左折する右側に風化した出羽三山供養塔?が立っている。

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蚕御霊神塔(左)の左側面に「大山道」 (【ル-ト地図】の4)
中央の庚申塔も左側面に「右 大山道 左 藤沢道」?
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後ろが神明社
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神明社
泉小次郎伝承地」の標柱が立っている。
この神明社、ここ区の名とも直接関係はなさそうだが。
和泉川を渡り、いずみ中央駅をくぐり、和泉坂上交差点の先で左に旧道にはいる。
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旧道はやっぱり気分がいい。
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小さな「三猿庚申塔」が広い敷地を祠もなくぽつんと占領している。
「上飯田のお地蔵様」として信仰されているのだろうか?(【ル-ト地図】の5)
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鎌倉街道上の道交差地点(上飯田団地入口交差点)
北側の無量寺境内に大山道の道標を兼ねた名号碑があるそうだ。
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高鎌(こうけん)橋から境川 (【ル-ト地図】の6)
横浜市から藤沢市に入る。市制前は座郡と倉郡の境だった。
上流の大山街道(八王子道)が渡る両国橋は、
武蔵国(八王子市)と相模国(相模原市)の境だ。
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如意輪観音・道標?
道標には「大山道」・「とつか道」・「用田 ふし沢」というが、
風化が激しく判読困難だ。
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庚申塔(宝暦4年(1754))
これも道標だろうか?
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庚申堂 (【ル-ト地図】の7)
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堂内の庚申塔
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長後宿の継立場あたりの滝山道(東海道藤沢宿と甲州街道八王子宿を結ぶ道)
を南に進む。長後宿は藪鼻宿とも呼ばれ栄えていた。
この商店街も賑わっていたのだろうが、今は元気がないようだ。
滝山道と分かれる藪鼻の辻(長後四ツ角)には道標が立っていた。【ル-ト地図】の8
それらは長後市民センターの敷地内に移設して保存されている。
今日は藪鼻の辻を右折して長後駅までとした。

柏尾道②』→

坂道散歩

2019年4月29日

本厚木駅(小田急線)→才戸橋バス停・才戸坂--日吉神社①--大山街道標柱・日吉神社②--法界寺--荻野橋(荻野川)--ツノ坂--矢名街道標柱-庚申塔道標-及原中原交差点--富士塚碑--千光寺・龍田神社--弘徳寺--千頭橋(小鮎川)--登山公園--大坂--白山交差点--白山坂-白山神社--八ツ橋(恩曽(おんぞ)川)--諏訪神社-妙昌寺--かつらぎ公園・堰神社--衣塚--宮前橋(玉川)--小野神社--道祖神--津古久峠・(伊勢原市)--自然散索路--津古久峠茶屋跡--峰山炭焼小屋--(伊勢原市総合運動公園--サンシャインスタジアム--専修大総合グラウンド)--(新東名高速道路工事中)--(渋田川)--三光寺--(東名高速)--大山街道(青山道・矢倉沢往還ルート)との合流地点--市光前バス停→伊勢原駅(小田急線)

ル-ト地図

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日吉神社
明治時代までは妙見社と称していた。
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三兜大神
妙見松という老大木が枯れてその根元から毛利の3つの兜が出土した場所という。
毛利氏の祖ともいう大江広元は、源頼朝から相模国毛利庄屋(現在の厚木市)を
領地としてもらっている。「毛利台」という地名が今でもある。
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大山街道標柱
日吉神社②の前
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日吉神社②
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法界寺

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荻野橋から荻野川(下流方向)
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ツノ坂を上る。【ル-ト地図】の13
坂名の由来は不明という。
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矢名街道標柱(ツノ坂の坂上近くの右側)
八王子と矢名村(現秦野市)を結ぶ道で、小田原まで通じている。
大山道はこの街道を進むことになる。
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庚申塔道標(矢名街道標柱の少し先の右側)
風化が激しく判読困難、「左 ??? かすや道」か?
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富士塚碑
右側の標柱に「富士山の一部が噴火した際の降灰を集めて
塚をつくったもので 富士講の対象ともなっている」
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千光寺
境内に龍田神社がある。
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弘徳寺
善鸞の墓と伝える塚があるそうだが、探さなかった。
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千頭橋(小鮎川)から大山
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大坂を上る。【ル-ト地図】の14
坂の西方に登山(とうやま)古墳群があるが分からずに、
登山公園まで行って引き返してしまった。
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白山(しろやま)坂を下る。【ル-ト地図】の15
飯山の白山地方からこのあたりに何軒かが移り住んで、
白山地区と呼ばれ、坂名にもなった。
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白山(はくさん、しろやま?)神社
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急な石段を下りて白山坂の坂下あたりに向かう。
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八ツ橋から恩曽(おんぞ)川(下流方向)
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諏訪神社
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妙昌(みょうしょう)寺
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堰神社
村の堰を造る難工事の時の人柱伝説ゆかりの神社
堰神社の由来と衣塚
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衣塚 【ル-ト地図】の16
人柱となった山伏が脱いだ着物を埋めた塚という。
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宮前橋(玉川)から大山 【ル-ト地図】の17
小さな川だが「六玉川」に入れたい風景だ。
橋を渡れば小野小町の遠祖ともいう小野妹子ゆかりの小野神社があり、
玉川上流の小野橋の北方の小野神社には小町塚もあることだし。『厚木市の坂⑥
野路の玉川」・「井出の玉川
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小野神社
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津古久峠への上りとなる。
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道祖神(昭和13年)
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新らしい双体道祖神と右の2体は?
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津古久峠標柱 【ル-ト地図】の18
「後北条時代に小田原と武蔵を結ぶ小田原道として発達し、
江戸時代になると大山参りの人々がこの峠を越え大山道として発達した。
最盛期には峠にお茶屋もあったと伝えられている」

ここから車道を横切って少し進むと背後で、パタパタ、バタバタという大きな音がした。
馬が走って来るような、人が大勢が走って来るような感じで、峠下の専修大学グラウンドから
学生たちが走って上って来たのかなとも思って振り返ると、鹿が4頭?疾走してきて、
先頭が右のフェンスに勢いよくぶつかって方向転換して正面奥の方へ走り去って行った。
この間、10秒足らずの出来事だったが、写真が撮れてラッキーだった。
7年前に登った大山山頂付近には、両側に鹿よけの植生保護柵が張られた
グレーチング階段があったのを思い出した。
四国遍路道の雪の雲辺寺から下山途中で猪の猪突猛進隊列に遭遇した時はびっくりして、
シャッターを押すのが遅れたが今回はなんとか上手くいった。
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鹿が4頭、必死の感じで走っている。
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伊勢原市に入り、自然散策路へ進む。【ル-ト地図】の19
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津古久峠茶屋跡
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峰山炭焼小屋
もあるし現役の炭焼き小屋だろう。

自然探索路を抜けて、伊勢原市総合運動公園、サンシャインスタジアム、
専修大総合グラウンド沿いを下って行く。
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大山まだ遥かなりか。
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新東名高速道路はここまで工事中
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三光寺
東名高速のガードをくぐって南側に出る。
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左から来る大山街道(青山道・矢倉沢往還ルート)との合流地点 【ル-ト地図】の20
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厚木№18ガードをくぐれば左側に「東〆引の道標」がある。
八王子道歩きはここを終点として、市光前バス停から伊勢原駅に向かった。

「八王子道②」

坂道散歩

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