2019年5月6日
橋本駅(JR横浜線)--橋本の棒杭--国道16号(八王子街道)--橋本五差路(国道129号・八王子街道)--下の原交差点--旧道-勧音苦行坂・大山道標柱--国道129号--日枝神社--作ノ口交差点・県道508号--浅間神社--ちとせ橋(鳩川)・不動講供養塔①・金峯山蔵王権現石塔--田尻交差点・不動講供養塔②・大山道標柱--上溝バイパス交差点・国道129号--県道508号--天満宮--無量光寺--亀形橋(八瀬川)-当麻坂上-下当麻交差点--当麻の渡し標柱・馬頭観音など-昭和橋(相模川)-(厚木市)-依知神社・大イチョウ--上依知渡船場標柱--上依知の渡し標柱・他阿上人名号碑--男井戸坂上--(県道508号)-堂坂-畜牛供養塔?-馬頭観音-庚申塔-大山不動道標--上依知歩道橋(県道508号・厚相バイパス)--藤塚浅間神社--道標・題目供養塔-諏訪神社・諏訪の森標柱-旧諏訪坂-県道-諏訪坂-安産子育地蔵堂--諏訪橋(善明川)--向原の道祖神(跡)--八王子道(田名経由合流地点)--才戸の渡し跡--才戸橋(中津川)--才戸坂--才戸橋バス停→本厚木駅(小田急線)
【ル-ト地図】
棒杭標柱 【ル-ト地図】の73
ここに橋本の棒杭と呼ばれていた大山不動道標があった。(下の写真)
この地域は「ボウグイ」と呼ばれ小字としても親しまれていた。
大山道はここで田名方面(右)と当麻方面(左)に分かれる。
当麻方向に向かう。
大山不動道標(安政2年(1855))
正面に「右 大山みち 田名??」、右側面に「北八王子道」、
左側面に「南あつぎ道」
今は棒杭標柱の南側の住宅地の一角に移されている。
今日は当麻方向に向かう。国道16号(八王子街道)を南東下する。
下の原交差点を過ぎて左に旧道に入る。
観音苦行坂を下って国道に戻る。【ル-ト地図】の89
大山道の難所といわれた坂というが、下り坂で観音楽々坂だ。
坂下に大山道標柱が立っている。
日枝神社・蠶影山神社
蠶(蚕)影山神社はつくば市(茨城県)の蚕影山神社の末社だろう。
浅間神社・タブノ木
ちとせ橋から鳩川(上流方向)
不動講供養塔①(寛政7年(1795)・左端)、
金峯山蔵王権現石塔(右から2番目)
【ル-ト地図】の90
不動講供養塔②(田尻交差点を渡った左側)
大山道標柱、馬頭観音、六地蔵石塔(左)もある。
この先の塩田原交差点を過ぎると県道508号は
当麻山無量光寺方向へ下って行く。
天満宮「由緒」
無量光寺山門「説明板」
17世紀初頭の高麗門形式の山門
ここは紅葉が見頃の時に坂道散歩で訪れたことがある。
調べたらもう13年近くも前だった。
今は紫陽花の季節で期待したが咲いていなかった。
お髪塚(おはつづか)「縁起碑」
徳川家康の先祖父子が剃髪し、その髪を埋めた所といわれている。
後に子の徳阿彌は西下し三河の地で松平家を起こし
徳川家へと繋がったという。
『境内探訪』より
亀形(きぎょう)橋(旧日影坂橋)から八瀬川(上流方向)
橋は亀の形とは関係ない普通の橋で、近くにひかげ(日影)坂がある。
当麻の渡し標柱・庚申塔など 【ル-ト地図】の91
標柱には、「当麻は古くからの交通の要所で、
この先には対岸の依知とを結ぶ渡し場がありました。
特に大山参りが盛んになってからはこれを利用する人も増え、
当麻はさらに宿場としてにぎわいました。」
昭和橋から相模川(下流方向)
相模原市から厚木市に入る。
依知神社
ここを訪れたのもかなり前だ。『厚木市の坂①』
依知神社の大イチョウ「説明板」
源頼家の手植えとか。根元近くも太い。
今は県道が社殿と分断しているが、昔はあたり一帯は境内だった。
上依知渡船場標柱(少し下流側にある)
上依知の渡し標柱・他阿上人名号碑 【ル-ト地図】の92
川沿いからは少し離れている。
馬頭観音(慶應3年(1867))
自然石では市内最大
分岐を右に進む。
庚申塔(右は文化10年(1813))・左は新しい庚申塔
道標(文化2年(1805))・題目塔(文化元年)(諏訪神社の手前)
説明板(道標)
説明板(題目供養塔)
諏訪神社
鐘(安永2年(1773)の作)は太平洋戦争で供出された。
2001年に氏子一同の悲願によってこの鐘が再建された。
境内に「諏訪の森」の標柱が立つ。
武田信玄の三増峠の合戦の記録が「甲陽軍鑑」にある。
そこに記載がある「諏訪の森」が当地であるともいう。
本殿
諏訪神社前から諏訪坂の旧道を下って車道へ出る。
【ル-ト地図】の95
今の諏訪坂を下る。
安産子育地蔵堂前から大山
安産子育地蔵・阿弥陀如来堂
久しぶり(11年ぶり)だが相変わらず元気で何より。
『厚木市の坂③』
大山も立派だが地蔵さんにはかなわないか。
(地蔵さんの逸物、持ち物ではありません)
阿弥陀さんは肩身が狭まそうだ。
諏訪橋から善明川
向原の道祖神(跡)
双体道祖神の残欠か。
右から来る田名経由の八王子道との合流地点 【ル-ト地図】の96
ここを当麻経由の八王子道の終点として、
中津川の才戸の渡し跡を才戸橋で渡って、
才戸坂を上って才戸橋バス停から本厚木駅に向かった。
『坂道散歩』
橋本駅(JR横浜線)--橋本の棒杭--国道16号(八王子街道)--橋本五差路(国道129号・八王子街道)--下の原交差点--旧道-勧音苦行坂・大山道標柱--国道129号--日枝神社--作ノ口交差点・県道508号--浅間神社--ちとせ橋(鳩川)・不動講供養塔①・金峯山蔵王権現石塔--田尻交差点・不動講供養塔②・大山道標柱--上溝バイパス交差点・国道129号--県道508号--天満宮--無量光寺--亀形橋(八瀬川)-当麻坂上-下当麻交差点--当麻の渡し標柱・馬頭観音など-昭和橋(相模川)-(厚木市)-依知神社・大イチョウ--上依知渡船場標柱--上依知の渡し標柱・他阿上人名号碑--男井戸坂上--(県道508号)-堂坂-畜牛供養塔?-馬頭観音-庚申塔-大山不動道標--上依知歩道橋(県道508号・厚相バイパス)--藤塚浅間神社--道標・題目供養塔-諏訪神社・諏訪の森標柱-旧諏訪坂-県道-諏訪坂-安産子育地蔵堂--諏訪橋(善明川)--向原の道祖神(跡)--八王子道(田名経由合流地点)--才戸の渡し跡--才戸橋(中津川)--才戸坂--才戸橋バス停→本厚木駅(小田急線)
【ル-ト地図】
棒杭標柱 【ル-ト地図】の73
ここに橋本の棒杭と呼ばれていた大山不動道標があった。(下の写真)
この地域は「ボウグイ」と呼ばれ小字としても親しまれていた。
大山道はここで田名方面(右)と当麻方面(左)に分かれる。
当麻方向に向かう。
大山不動道標(安政2年(1855))
正面に「右 大山みち 田名??」、右側面に「北八王子道」、
左側面に「南あつぎ道」
今は棒杭標柱の南側の住宅地の一角に移されている。
今日は当麻方向に向かう。国道16号(八王子街道)を南東下する。
下の原交差点を過ぎて左に旧道に入る。
観音苦行坂を下って国道に戻る。【ル-ト地図】の89
大山道の難所といわれた坂というが、下り坂で観音楽々坂だ。
坂下に大山道標柱が立っている。
日枝神社・蠶影山神社
蠶(蚕)影山神社はつくば市(茨城県)の蚕影山神社の末社だろう。
浅間神社・タブノ木
ちとせ橋から鳩川(上流方向)
不動講供養塔①(寛政7年(1795)・左端)、
金峯山蔵王権現石塔(右から2番目)
【ル-ト地図】の90
不動講供養塔②(田尻交差点を渡った左側)
大山道標柱、馬頭観音、六地蔵石塔(左)もある。
この先の塩田原交差点を過ぎると県道508号は
当麻山無量光寺方向へ下って行く。
天満宮「由緒」
無量光寺山門「説明板」
17世紀初頭の高麗門形式の山門
ここは紅葉が見頃の時に坂道散歩で訪れたことがある。
調べたらもう13年近くも前だった。
今は紫陽花の季節で期待したが咲いていなかった。
お髪塚(おはつづか)「縁起碑」
徳川家康の先祖父子が剃髪し、その髪を埋めた所といわれている。
後に子の徳阿彌は西下し三河の地で松平家を起こし
徳川家へと繋がったという。
『境内探訪』より
亀形(きぎょう)橋(旧日影坂橋)から八瀬川(上流方向)
橋は亀の形とは関係ない普通の橋で、近くにひかげ(日影)坂がある。
当麻の渡し標柱・庚申塔など 【ル-ト地図】の91
標柱には、「当麻は古くからの交通の要所で、
この先には対岸の依知とを結ぶ渡し場がありました。
特に大山参りが盛んになってからはこれを利用する人も増え、
当麻はさらに宿場としてにぎわいました。」
昭和橋から相模川(下流方向)
相模原市から厚木市に入る。
依知神社
ここを訪れたのもかなり前だ。『厚木市の坂①』
依知神社の大イチョウ「説明板」
源頼家の手植えとか。根元近くも太い。
今は県道が社殿と分断しているが、昔はあたり一帯は境内だった。
上依知渡船場標柱(少し下流側にある)
上依知の渡し標柱・他阿上人名号碑 【ル-ト地図】の92
川沿いからは少し離れている。
馬頭観音(慶應3年(1867))
自然石では市内最大
分岐を右に進む。
庚申塔(右は文化10年(1813))・左は新しい庚申塔
大山不動道標(明治26年とけっこう新しい)
ほかに名号塔(享保3年(1718))・
庚申塔(正徳3年(1713))などがある。
藤塚浅間神社 【ル-ト地図】の94ほかに名号塔(享保3年(1718))・
庚申塔(正徳3年(1713))などがある。
道標(文化2年(1805))・題目塔(文化元年)(諏訪神社の手前)
説明板(道標)
説明板(題目供養塔)
諏訪神社
鐘(安永2年(1773)の作)は太平洋戦争で供出された。
2001年に氏子一同の悲願によってこの鐘が再建された。
境内に「諏訪の森」の標柱が立つ。
武田信玄の三増峠の合戦の記録が「甲陽軍鑑」にある。
そこに記載がある「諏訪の森」が当地であるともいう。
本殿
諏訪神社前から諏訪坂の旧道を下って車道へ出る。
【ル-ト地図】の95
今の諏訪坂を下る。
安産子育地蔵堂前から大山
安産子育地蔵・阿弥陀如来堂
久しぶり(11年ぶり)だが相変わらず元気で何より。
『厚木市の坂③』
大山も立派だが地蔵さんにはかなわないか。
(地蔵さんの逸物、持ち物ではありません)
阿弥陀さんは肩身が狭まそうだ。
諏訪橋から善明川
向原の道祖神(跡)
双体道祖神の残欠か。
右から来る田名経由の八王子道との合流地点 【ル-ト地図】の96
ここを当麻経由の八王子道の終点として、
中津川の才戸の渡し跡を才戸橋で渡って、
才戸坂を上って才戸橋バス停から本厚木駅に向かった。
『坂道散歩』
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