2007年1月27日
追浜駅(京浜急行線)・・・国道16号・・・(浦郷トンネル)・・・がらめき(浦賀道)・・・(京急田浦駅)・・・板取公園の坂・板取公園・・・池の谷戸公園・赤坂・・・盛福寺・・・(水道みち・京急線)・・・国道16号・(横須賀線)・静円寺・・・御嶽稲荷神社・・・梅林の坂・大六天社・田浦梅林・展望台・・・(京急線)・・・長善寺・・・太田(おった)坂・浦賀道道標(坂上)・・・のの字橋の坂・・・田浦駅(JR横須賀線)
浦郷トンネルの手前から細い急な石段坂を汗をかきながら上りました。ちょうどトンネルの上あたりが浦賀道の「がらめき」と呼ばれたところです。切通しの手前の鷹取方面への水道管が通っている道を途中まで行ってみました。切通しを過ぎて真っ直ぐ進むと道は途切れてしまうようです。切通しまで戻り、どうしたものか、誰か通行する人はいないものかと思っていたら、道に矢印で田浦の方向を示してあるのに気がつきました。切通しを抜けすぐ右に細い石段が国道16号まで下っていました。
国道16号の京急田浦駅を過ぎたあたりで京急線をくぐり、板取公園の坂を上り、公園を過ぎると池の谷戸公園に出ました。ここからの海の眺めがいいというので期待していましたが、ちょっと期待はずれ。このあたりは新興住宅街に造成されたようで、公園沿いの赤坂にも昔の面影は全くありません。赤坂の坂上近くから盛福寺へ墓地を下りました。門前から右へ行くとトンネル、左へ行って京急線をくぐり、国道16号に出て、横須賀線のガードを抜けた所に静円寺があります。すぐ先の田浦小学校方面への道へ入り、御嶽稲荷神社を過ぎ、京急線のガードをくぐり、すぐ南に田浦梅林への坂へ入りました。旧道の大六天社のあたりが梅林発祥の地です。梅の見ごろは2月中頃とか、人もまばらで静かでした。それでも少し花を開いているのを2、3本見つけました。梅林上の展望台からの海の眺めは素晴らしいです。展望台からさらに畠山や大楠山方面へハイキングコースが続いています。なんだかいい雰囲気の道なのでこのまま歩いて行きたいような気分になりました。
梅林まで下って、今度は梅林の東側の入口の方へ下り、京急線をくぐり長善寺へ寄りました。寺の南側から太田坂が上っています。途中からつづら折の急な石段坂になります。途中の道六神の下の崖から湧水が出ていて道路補修中の作業員のやかんが水が流れ出る竹の筒先にぶら下げてありました。この坂は浦賀道で坂上に案内の道標が立っています。坂上を右へ行くと浦賀道最大の難所だった十三峠へ上り、三浦按針の墓のある塚山公園へと続きます。左へ下って、のの字橋の坂をぐるっと回って下り、北へ横須賀線の田浦駅へ出ました。駅手前の国道16号には「新田浦トンネル」「新吾妻トンネル」「田浦トンネル」「吾妻トンネル?」と4つものトンネルが口を開けていました。さすが「トンネルの横須賀市」というところでしょうか。
*「田浦梅林」ほか田浦町については、「田浦を歩く」に詳しいです。
【地図】
浦郷トンネル(追浜町側から) 追浜町から船越町へ抜ける国道16号のトンネル。
浦賀道の「がらめき」には左の細い階段を上る。
がらめき(浦郷トンネル上)から追浜町方面《地図》
「がらめき」は「「からめき」とも。からからと鳴り響く意味とか。落石か、ほとばしる水の流れか。標高60mで横須賀市内の浦賀道で最初の難所だったに違いない。『坂道風土記 三浦半島』
船越町の方から
ここを直進(写真の手前の方へ)しても道は途切れてしまう。
切通しからすぐ右へ細い坂が国道16号の船越町方向へ下っている。

船越町2-14と2-70の間を南西から南東に板取公園に上る。《地図》
右側が板取公園。戦時中、海軍の倉庫があった。『坂道風土記 三浦半島』

港が丘1丁目の北の谷戸公園に沿って南東から北東方向に下る。《地図》
正面右が池の谷戸公園。このあたりは造成が進み住宅ができて、かつての赤坂の面影はない。平成5年の『坂道風土記 三浦半島』の写真では、赤坂は雑木林の中の尾根道だったようだ。
もう少し梅の眺望がよいと思っていたがちょっと期待はずれ。
延宝元年(1676)の開基という臨済宗の寺。
天文年間(1532~55)に代々、名主を世襲した石川家の石川清右衛門の開基という日蓮宗の寺。
もとは静円寺の鎮守で境内にあった。明治の初めの神仏分離令でここに移った。
一番左の「三猿庚申塔」は延宝4年(1676)の建立で一番古い。もとは田浦泉町と田浦小学校のそばにあったものをここに移した。

田浦大作町17あたりから南に田浦梅林に上る。《地図》
およそ800年前、村人たちが海の幸、山の幸を願って大山祇命(おおやまつみのみこと)、萱の姫、山神、水神の四神を合祀したのが始まりと伝えられている。またこの森は魚見台として船の位置を知る森としても大切にされたという。
このあたりに天皇の生誕を記念して、昭和9年に700本の梅を植樹したのが田浦梅林の始まり。
見頃は2月中旬か。梅の実は「横須賀うめワイン」等の原料になるという。
永禄元年(1558)に開山という本尊が阿弥陀如来像の浄土宗の寺。戦国時代、三浦半島を支配した三浦道寸義同(三浦大介義明の子孫)ゆかりの不動明王立像がある。

長善寺の南側から北東に上る浦賀道。《地図》
途中からつづら折の石段になる。「太田」はこのあたりの地名なのか?
坂上に鎌倉幕府の家臣、秋田城之介景盛、義景親子の屋敷があった。このあたりを「城の台」地元では「しろんだ」と呼ぶ。『坂道風土記 三浦半島』
「浦賀道」の標柱(左)。坂上を右に行けば浦賀道の最大の難所だった十三峠へ上って行く。左に行けば「のの字橋の坂」を下って、田浦駅方向へ。

田浦町1丁目。太田坂の坂上を左に下った所。「の」の字を描いて道路が上って行く。《地図》
「のの字橋」をくぐって田浦駅方向へ下っている。







































































































































