2015年11月

2015年11月30日

上石神井駅・・・善福寺・・・善福寺池(上の池)・・渡戸橋・下の池・・美濃山橋・善福寺川・・・八幡西橋・・・原寺分橋・地蔵坂下・・社橋・・・城山橋・・・置田橋・・・(JR中央線)・・・本村橋①・・・荻窪橋(環八通り)・・・忍川橋・・・松渓橋・・・大谷戸橋・新堀用水跡分岐地点・・・善福寺川緑地公園・・・和田堀公園・和田堀池・・・大宮橋・・・郷土博物館・・・済美橋(荒玉水道道路)・・・武蔵野橋・済美公園・・・熊野橋・・・定塚橋・・善福寺川取水施設・・和田堀橋(環七通り・環境七号線地下調節池)・・・霊峰橋・・・和田ポンプ施設・・・駒ヶ坂橋・駒ヶ坂下・・・和田廣橋・・神田川合流地点・・・和田見橋・・・富士見橋・・・中野富士見町駅(地下鉄丸の内線) (橋は一部のみ記載) 

Img_6600善福寺 《地図

もとは無量山福寿院と称していたが、廃絶していた善福寺の名に昭和17年に改称したので、善福寺池の名の由来の寺ではない。

Img_6601説明板

Img_6604善福寺池(上の池)

善福寺公園マップ

Img_6607遅野井(遅の井)

源頼朝ゆかりの湧き水で、善福寺池の湧き水の一つ。

Img_6606説明板

Img_6613市杵嶋神社(善福寺池弁財天)

橋が無く近づけない。

Img_6611説明板

Img_6625下の池

Img_6627善福寺川が「下の池」から流れ出す。《地図》(美山でなく美山)

この美濃山橋が一級河川の管理起点。
井草八幡宮の西方に美濃山といわれる所があり、松平美濃守の陣地跡とされているそうだ。それに由来する橋名という。松平美濃守とは誰なのか?

高い護岸が続く川沿いは歩いていても面白味がない。地蔵坂下(原寺分橋)を過ぎ、JR中央線をくぐり、環八通り(荻窪橋)をくぐって南東に流れて行く。

Img_6674忍川(おしかわ)橋から下流方向 《地図

このあたりは伊賀忍者の服部半蔵の領地だったという。

Img_6675説明板

Img_6688魚巣ブロック(松渓橋の少し下流) 《地図

Img_6704説明板

Img_6694大谷戸橋 《地図》 

天保新堀用水分岐地点で、正面が新堀用水路線図(後掲)の天神橋公園。

天保新堀用水物語

Img_6705説明板

Img_6703新堀用水路図

Img_6714善福寺川緑地公園の中を大きく蛇行しながら流れて行く。《地図

尾崎橋で五日市街道と交差する。

Img_6738御供米(おくまい)橋(前方) 《地図

少し下流で流れ込む湧水を利用して、大宮八幡宮への御供米を洗ったいう。

Img_6741和田堀池

和田堀公園を抜けて北上し、大松橋で東に向きを変え、済美(せいび)橋で荒玉水道道路を横切って行く。

Img_6763済美公園(右岸・武蔵野橋から) 《地図》(公園名が違っている)

Img_6777善福寺川取水施設 《地図

環七通り下に調節池がある。

Img_6783和田堀橋を渡ると両岸には宗教団体の立派な建物が並ぶ。

Img_6799神田川(右)合流地点 《地図

神田川沿いを進み中野富士見町駅に向かった。

2015年11月29日

小岩駅(JR総武線)・・・フラワーロード・・小岩箭弓稲荷神社・・下小岩親水緑道・・・小岩ポンプ所・新中川土手・・・小岩大橋・・・天祖神社①・元佐倉道(千葉街道)・・・(環七通り)・・・菅原橋交差点・小松川境川親水公園・・下野良橋・・東香取橋・・育生橋・・八蔵橋・・倉前稲荷大明神・・水神宮・・同潤橋・・境川橋(京葉道路)・・(今井街道)・・(首都高7号)・・椎橋・・青年橋・・天祖神社②・・中川合流地点・・・江戸川競艇場・・・渡し場水神宮・観音堂・・・船堀街道・・・船堀駅・・・宇喜田橋(新川)・・・忍者橋・・・新渡橋・・・一之江境川親水公園・・陣屋橋・・宮元橋・・・三島橋・・三島神社・・地蔵祠・・・水神宮・・・松江五中橋・・・志茂の水神宮・・・一之江境川親水公園記念碑・・・(今井街道)・・・馬場八幡宮・・・妙音寺・・・抹香屋橋・・一之江抹香邸・・・一之江ランプ交差点(環七通り・首都高7号)・・一之江分教場跡・・・新中川土手・・・新椿橋・・南椿橋・・・春江橋・・・涼風橋・・・明和橋・・・一之江駅(都営新宿線)

 小松川村を東西に分けて中川へ流れていた小松川境川跡の親水公園と、東西の一之江村の境を流れて新川に注いでいた一之江境川跡の親水公園を歩く。

  

Img_6417小岩箭弓(やきゅう)稲荷神社 《地図

享保13年(1728)に東松山市の箭弓稲荷神社から分社。

Img_6416由緒

Img_6422下小岩親水緑道を新中川に向かう。《地図

農業用水の跡だろう。

Img_6435小岩大橋から新中川上流方向 《地図

この橋を渡る千葉街道は元佐倉道だ。新中川は昭和になって開削された川(放水路)。

Img_6439案内図

Img_6442天祖神社① 《地図

元佐倉道(千葉街道)を菅原橋交差点まで行く。

Img_6451小松川境川親水公園に入る。《地図

Img_6458親水公園内を進み、南下して元佐倉道の八蔵橋交差点を過ぎて行く。

小松川境川の水源は小合溜井(都立水元公園内)で、→上下之割用水(別名は大用水)→左に小岩用水を分水→少し南下した所で東用水( 東井堀・東井堀親水緑道)を分水→東井堀を南に下って上一色用水(西小岩親水緑道)を分水→その流れが小松川境川へ続いていたのか? 現在は新中川に分断されているが。
前掲の菅原橋からの流れは 中井堀(仲井堀親水緑道)からの分水か。2つの流れは本一色1-1で合流して南下して行く。
江戸川区の用水(1)』の「用水系統図」(小松川境川の記載はない)

Img_6472倉前稲荷神社 《地図

由緒など分からず。

Img_6474水神宮

Img_6478境川橋で京葉道路の下をくぐって行く。《地図

今井街道を横切り、首都高7号をくぐって行く。その先は『東京散歩(江戸川区②)』(【ル-ト地図】の24kmあたり~船堀駅)に記載。

Img_6494小松川境川親水公園の終点 《地図

すぐ先が中川の土手。北側に「四股の道標」が移設されている天祖神社②(参道の秋元家の敷地内)がある。

Img_6499中川

首都高の向うが荒川

開催日で賑わう江戸川競艇場の前を今日は素通りし、ひたすら南に新川に向かう。

Img_6504渡し場水神宮・観音堂 《地図

仲良く神仏混淆だ。近くにあった中川の渡し場の守り神だろう。

船堀街道に出て南下し、船堀駅を過ぎて行く。

Img_6511宇喜田橋から新川上流方向《地図

上流に向かう。

Img_6515一之江境川親水公園に入る。《地図

この手前は地下駐車場の用地になっているが、かつて境川は新川まで続いていた。

Img_6517説明板

陣屋橋・光明寺・日枝神社などは、『東京散歩(江戸川区③)』に記載。

Img_6534農業用水や舟の往来にも利用された一之江境川の流路跡を遡る。

Img_6538三島神社 《地図

意外と小さな社だった。

Img_6543地蔵祠

Img_6547水神宮 《地図

背後はタブの木(江戸川区保存樹)

Img_6552志茂の水神宮

江戸時代にこの地に分家した大場家の屋敷神。

Img_6554由緒が書かれている常夜灯

感応寺・申孝園(国柱会)・長勝寺・妙覚寺は、『東京散歩(江戸川区②)』に記載。

Img_6556一之江境川親水公園記念碑

Img_6562馬場八幡宮 《地図

江戸時代の後半には村の「八幡さま」として小さな石の祠が祀られていたそうだ。

Img_6569妙音寺

伝説「片目の鮒」の薬師の池は今でもあるのだろうか?

Img_6568説明板

Img_6574一之江抹香邸 《地図

Img_6578タブの木

Img_6577説明板

Img_6582一之江分教場跡(一之江ランプ交差点北側)

Img_6586親水公園の終点 《地図

新中川からの自然水を流している。新中川がなかった昔の一之江境川の源流(上流端)は江戸川だろうか?

Img_6592新中川(春江橋)

下流に向かい明和橋から一之江駅に出た。

2015年11月24日

一之江駅(都営新宿線)・・・瑞江大橋(新中川)・・・新今井橋・・今井水門・・・瑞穂大橋・・・(旧)江戸川合流地点・・・古川親水公園分岐地点・・・熊野神社・・・稲荷神社・・・新川分岐地点・新川東水門・・・新川口橋・・・人道橋・・・花見橋・・・新川大橋(環七通り)・・・新川橋・古川親水公園合流地点・・・三角橋・・・桜橋・・新川さくら館・・・小江戸橋・・・新渡橋・一之江小松川親水公園合流地点・・・忍者橋・・・宇喜田橋(船堀街道)・・・擬宝珠橋・・稲荷神社・・櫓橋・・・西水門橋・・新川排水機場・中川合流地点・・・船堀駅(都営新宿線)

 旧江戸川と中川を結ぶ運河で、古川の流路の一部を変更して開削された。
 行徳からの「塩の道」、江戸近郊からの農作物、東北地方からの米の道、銚子沖で獲れた鮮魚を運ぶ道だった。(魚の運搬ルートは、『木下街道』・『なま道(鮮魚街道)』に記載)
 江戸市中からは成田山や、香取・鹿島・息栖(いきす)の三社詣などへの参詣・遊覧の道として利用された。
 行徳船が行き交い、川沿いには味噌や醤油を売る店や料理店などが立ち並び賑わいを見せていたという。今は川沿いは親水公園風に整備され、新川千本桜に力を入れている。

  【ル-ト地図】    

Img_6218今井水門(新中川) 《地図

Img_6224新中川(手前)が旧江戸川に合流。

Img_6226古川親水公園分岐地点 《地図

川(船堀川)の流路跡で、現在の古川親水公園から新川へと流れていた。『東京散歩(江戸川区②)』に記載

Img_6440_4古川から新川沿いの道は新川河岸道「元行徳道」だった。

Img_6240新川分岐地点 《地図

右が新川東水門、旧江戸川は前方の妙見島で2つに分流し、再び合流する。

利根川ばらばら松』(「名所江戸百景」)
利根川は旧江戸川で、場所は新川東水門付近か妙見島あたりといわれている。

Img_6243新川東水門

Img_6253新川口児童公園から新川

Img_6255説明板(新川)

「古川の流れ」跡が古川親水公園になっている。

Img_6263新川(新川口橋から下流方向)

Img_6268羽を広げたまま動かないので作り物と思ったら、本物の鵜だった。

Img_6272こちらはユリカモメ

Img_6278_2花見橋・新川大橋(環七通り)

Img_6309新川橋の所で古川親水公園が合流する。《地図

Img_6317新川さくら館 《地図

Img_6320小江戸橋

Img_6328一之江境川親水公園 《地図

かつて一之江境川は東一之江村と西一之江村との間を流れて新川に合流していて、用水路や船の運航路として利用されていた。今は親水公園となっている。

Img_6333忍者橋

趣向をこらした橋が続く。

Img_6339宇喜田橋 《地図

Img_6341擬宝珠橋

Img_6344櫓橋・火の見櫓

右に小さな稲荷社

Img_6352西水門橋・火の見櫓・新川排水機場(正面) 《地図

現在は西水門はなく、跡地が西水門広場となって火の見櫓が立っている。

Img_6369排水機場から勢いよく中川に注いでいる。

Img_6372西水門の柱の一部と新川千本桜のモニュメントの火の見櫓から新川

Img_6371西水門跡前から中川・荒川

遠方に高速に分断された東京スカイツリー

Img_6360説明板

2015年11月21日

東大島駅(都営新宿線)・・・旧中川・・・逆井の渡し跡・竪川分岐地点・・竪川河川敷公園・・・新六之橋・・・旧中之橋・・・竪川大橋(丸八通り)・・・竪川旧護岸・・・昭和橋・・・五之橋(明治通り)・・・JR貨物線橋梁・・・旧亀島橋・・横十間川交差地点・・旅所橋(横十間川)・・・松本橋・・・四之橋(四つ目通り)・・・招福稲荷神社・・・牡丹橋・・・新辻橋・・・大横川交差地点・・・撞木橋(大横川)・・・菊花橋・・・三之橋・・元徳稲荷神社・・・新竪川橋・・・竪川橋・・・西竪川橋・・・二之橋(清澄通り)・・・千歳橋・・・初音森神社・・西光寺・・・江島杉山神社・・・一之橋・・・竪川水門・隅田川合流地点・・・袋物博物館・・・両国橋(隅田川)・・・芥川龍之介生育地・・横綱横丁・・両国駅(総武線)

旧中川と隅田川を結ぶ万治2年(1659)に開削された運河で、北岸は逆井の渡し、市川の渡しから成田方面へ通ずる元佐倉道だった。
 かつての竪川は小名木川とともに隅田川と中川を結ぶ直線航路として利用され、物資の輸送はもとより、香取・鹿島・息栖(いきす)の三社詣の信仰・遊覧の水路、「川の道」として親しまれ、江戸六阿弥陀詣りの6番常光寺への行き来にも利用された。

 

Img_5987竪川分岐口(正面のコンクリート口) 《地図

ここは旧中川の逆井の渡し跡(『東京散歩(元佐倉道)』に記載)あたり。

Img_6065竪川は隅田川まで首都高7号の下になっている。

Img_6077旧護岸が保存されている。

Img_6079埋立て前

このあたりは海抜ゼロメートル地帯の典型地だった。

Img_6081首都高7号(1971年全線開通)の橋脚

Img_6083説明板

Img_6103江東区の竪川河川敷公園

Img_6114この先で横十間川と交差する。

このあたりは工事中だった。

Img_6111横十間川交差地点 《地図

墨田区に入ると竪川親水公園となるが、工事中の所や川沿いを歩けない所も多い。

Img_6130招福稲荷神社 《地図

Img_6137牡丹橋の親柱 《地図

南側に四ツ目牡丹園があった。

Img_6135説明板

左が四ツ目牡丹園の写真

Img_6152大横川交差地点(菊花(きくはな)橋から) 《地図

Img_6158三之橋から

川沿いに道がついているが立ち入れない。

Img_6159元徳稲荷神社(三之橋の南詰)

腫物にご利益ありで、平癒すると土地の産物の里芋を供えてお礼参りをしたそうだ。

Img_6168初音森神社 《地図

ここは民家の敷地内だろう。

Img_6167説明板

Img_6182江島杉山神社

江ノ島弁財天と検校の杉山和一を祀っている。ここは総録屋敷跡で鍼治(しんち)講習所もあった。
江の島に杉山検校の墓がある。

Img_6172説明板

Img_6174江ノ島弁財天の岩窟を模した岩屋(寛政5年(1793)建立)

正面に杉山和一像、左右の奥に宗像三神と宇賀神が祀られている。

Img_6185竪川水門(一之橋から) 《地図

水門をくぐれば隅田川

隅田川に向かう。

Img_6197袋物博物館 《地図

Img_6206竪川水門・隅田川

両国橋から両国駅に向かう。

Img_6207両国橋

Img_6211芥川龍之介生育地 《地図

前半生を暮した所。

Img_6210説明板

左に横綱横丁に入り、昨日、死去した元横綱北の湖を悼みながら両国駅に向かった。

2015年11月17日

東大島駅(都営新宿線)・・・旧中川・・・中川大橋・・・小名木川・・・仙台堀川公園分岐地点・・・旧桜井橋・・・旧松本橋・・・天祖神社・北向子育地蔵尊・・・旧境川橋・・・旧大石家住宅・・・砂町橋・・・旧福島橋・・・弾正橋・・・明治通り・・・(JR貨物線)・・・松島橋・・・尾高橋・・・野鳥の島(横十間川交差地点)・・・豊住橋・・・千田橋・・・千石地蔵尊・石住橋・・・大横川交差地点・・・崎川橋・・・木場公園大橋・・・末広橋・・・木場親水公園(大島川東支川)分岐地点・・・平久川分岐地点・・・亀久橋・・・木更木橋・・・海辺橋・採茶庵跡・・・清澄橋・・・大島川西支川分岐地点・・・清川橋・・・清澄排水機場・・本邦セメント工業発祥の地(仙台藩蔵屋敷跡)・・水門・隅田川合流地点・・・清洲橋(隅田川)・・・清澄白河駅(都営大江戸線)

 小名木川から分かれて南流し、途中で西に流れを変えて隅田川に合流する運河で、隅田川に合流する手前北岸に仙台藩の蔵屋敷があったことによる名の仙台堀川を行く。
 

Img_5844塩の道橋(小名木川) 《地図

南(正面)方向に仙台堀川公園が分岐する。

Img_5847仙台堀川公園を南下する。

Img_5848約3.7kmの親水公園で大横川との交差地点からは仙台堀川となる。

Img_5855天祖神社 《地図

旧大塚新田村の鎮守

Img_5854北向子育地蔵尊(天祖神社の向い側)

地元の信仰が篤いようだ。

Img_5864旧大石家住宅(東砂8-21から移築復元) 《地図

土・日・祝日しか公開していない。

Img_5863説明板

この先で右(西)に曲がって行く。

Img_5886野鳥の森(正面)で横十間川と交差する。《地図

Img_5896石住橋近く

野鳥の姿も多い。

Img_5901千石地蔵尊(石住橋のたもと)

昭和20年3月10日の東京大空襲の犠牲者慰霊の地蔵尊。大横川の猿江橋の所には「八百霊地蔵尊」がある。

Img_5905大横川交差地点 《地図

左から右が仙台堀川、直進が大横川

Img_5911木場公園大橋

Img_5915正面左の水管の所で、大島川東支川(木場親水公園)、その先で平久川が左(南)に分岐する。(末広橋から) 

大島川東支川・平久川は、『横十間川を歩く』に記載。

Img_5917平久川(左)・仙台堀川(直進)

Img_5932採茶庵(さいたあん)跡 《地図

杉山杉風の別宅「採茶庵」跡で、芭蕉はここから「奥の細道」の旅に出発した。
草の戸も住替る代ぞひなの家 

この採茶庵には似つかわしくないプレハブは、何とかならないか。

Img_5937大島川西支川分岐地点(正面方向) 《地図

大横川を歩く』に記載。

Img_5942清洲排水機場

この先の水門で隅田川に合流する。

Img_5950仙台藩蔵屋敷跡(アサノコンクリート工場) 《地図

本邦セメント工業発祥之地碑」・浅野総一郎

Img_5961隅田川合流地点(左の水門の所)

清洲橋(隅田川)から

Img_5959清洲橋

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