2019年04月

2019年4月15日

鎌倉駅(JR横須賀線)--(JR横須賀線)--下馬交差点・下馬橋跡--(江ノ電)--六地蔵--和田塚--寸松堂--庚申塚--三橋--(長谷寺)--収玄寺--力餅屋--星月夜の井--虚空蔵堂--極楽寺坂切通し--日限六地蔵尊--(成就院)--伝上杉憲方の墓--桜橋・極楽洞--極楽寺--針磨橋(極楽寺川)--稲村ケ崎2号踏切(江ノ電)--日蓮袈裟掛松--稲村ケ崎1号踏切(江ノ電)--十一人塚--七里ガ浜--音無橋(音無川)--西田幾多郎記念碑--行合橋(行合川)--顕証寺--(江ノ電)-日坂--(江ノ電)-満福寺--小動岬--小動神社・腰越八王子山遠見番所跡--腰越漁港--腰越橋(神戸川)--江の島入口交差点(藤沢宿からの江島道合流地点)--弁天橋(境川)--片瀬江ノ島駅(小田急江ノ島線)

 【ル-ト地図

 藤沢からの江島道と違って道印石(道標)はないが、七里ガ浜へ出て右前方の江の島を目指すだけなので迷うはずもない。平日にもかかわらず老若男女(国籍を問わず)で、鎌倉も七里ガ浜沿いも賑わっていた。
針磨橋までは『鎌倉市の坂④』とほぼ同じ道筋なので、写真の多くは割愛した。)
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下馬橋跡(下馬交差点)
佐助川(暗渠)に架かる橋だった。
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三橋 《地図
ここは水が流れている。正面奥は長谷寺
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収玄寺
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上杉憲方の墓「説明板」 《地図
七重石塔だが時代が合わないようだ。
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極楽洞(江ノ電のトンネル)「説明板
どこが珍しいのかはっきりしない。
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江ノ電は平日だが結構乗っている。
途中駅での下車客も多い。
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日蓮袈裟掛松 《地図
何代目かの若い松が植えられている。
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十一人塚「説明板」 《地図
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稲村ケ崎
今日は風が強く波も高い。新田義貞軍は引き潮でも渡れまい。
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七里ガ浜を江の島(右奥)を目指す。
サーファーが多い。これくらいの波が丁度いいのか?
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西田幾多郎記念碑「説明板
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日坂(にっさか) 《地図
鎌倉攻め新田義貞軍がこの切通しを通ったので、
新田坂と名づけ、新坂→日坂と変わったのだとか、
坂は南に向いて日がよく当たるところから、
日の坂と書いて「にっさか」と呼んだとも。
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坂下方向
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満福寺
源義経が兄・頼朝に腰越状を書いた寺。
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腰越状を書く義経・弁慶像、弁慶の腰掛石(左)
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弁慶硯井戸
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義経手洗い井戸
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小動神社参道
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小動神社「説明板
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腰越八王子山遠見番所跡から腰越漁港、江の島(小動神社の裏手)
説明板
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江の島入口交差点手前から江の島

坂道散歩



2019年4月9日

桐生駅(JR両毛線)--西桐生駅(上毛電鉄)--水道山記念館--水道山公園--哲学の小径--吾妻公園--光明寺--御嶽橋-御嶽神社--(桐生が岡動物園)--円満寺--寂光院--桐生陣屋跡--妙音寺--西宮神社・美和神社--有鄰館・桐生新町重伝建地区--群馬大学--桐生天満宮--青蓮寺--大蔵院--稲荷橋(桐生川)--普門寺--拷機姫神社--幸橋(桐生川)--養泉寺--今泉観音--観音院--織物参考館-光性寺--無量寺--桐生神社・伝桐生大炊介手植の柳--(JR両毛線)--常衹稲荷神社--浄運寺--(コロンバス通り)--雷電神社--十ヶ塚稲荷神社--桐生市役所・織姫神社--新川公園--絹撚記念館--(JR両毛線)--織物記念館--桐生駅(わたらせ渓谷鉄道)→相老駅(東武小泉線)→太田駅(東武伊勢崎線)→東武動物公園駅

  【ル-ト地図

 「桐生は日本の機(はた)どころ」と、上毛かるたで詠まれるほどに絹織物業で繁栄した桐生市の市街地を散歩する。
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駅前交番
桐生駅より洒落ている。
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西桐生駅(上毛電鉄)
地味で落ち着いた感じの庁舎だ。
時間帯のせいか乗降客もなく、ひっそり、閑散としている。
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水道山公園へ上る。
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道標だろうか?読めなかった。
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水道山記念館 《地図
吾妻山への分岐を分け、哲学の小径哲学?)に入り
吾妻公園を通って行く。
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光明寺
桐生七福神」の弁財天

御嶽橋から急な石段を御嶽神社へ上る。
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御嶽神社
雑草が生い茂り、ちょっと荒れた感じだ。
右は矜羯羅童子と制吒迦童子を従えた不動明王。

桐生が岡動物園の南門前を通って行く。
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円満寺
まさに満開で円満だ。寂光院桜も見事だ。
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桐生陣屋空堀跡(たちばな保育園の敷地内・右下に立札)《地図
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戦国時代の桐生氏の抜け道?(たちばな保育園の裏手)
絵図面」(右の壁上)
下は水が浮いていて足場が悪い、途中まで入って写真を撮ったが、
ぼやけてしまった。奥には仏像が祀られているそうだ。

妙音寺写真桐生七福神の寿老人・秘蔵什物
に寄ってから南下する。 
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桐生西宮神社
兵庫の一宮神社の直系分社
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美和神社
奈良の大神(おおみわ)神社(三輪明神)からの勧請と伝える。
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ひねくれてしまった松?
江差町(北海道)に榎本武揚と土方歳三の「嘆きの松」があった。
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矢野商店(明治時代の店舗画
ここから北に桐生新町重要伝統的建造物保存地区が、
桐生天満宮まで続く。《地図
地区範囲図」・「家並み
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旧矢野蔵群(有鄰館(ゆうりんかん))
楠森稲荷(敷地内の屋敷神)「説明板
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玉上薬局
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にしはら花店
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旧平田商店

大島会計事務所の新しい建物
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中村弥市商店
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森合資会社
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桐生天満宮・「社殿
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群馬大学工学部同窓会記念会館 《地図
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青蓮寺
銅造阿弥陀如来及両脇侍立像」(国重文)
桐生七福神の福禄寿
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稲荷橋から桐生川(下流方向) 《地図
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普門寺仁王門
だるま市・あじさい寺・普門寺遺跡で有名な寺。
八十八米寿石段説明板)・十一面観音像
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拷機姫(たくはたひめ)神社 《地図
織物業の衰退とともに信仰もすたれたのか、雑草がはびこっている。
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坂口安吾文学碑「花の下には風吹くばかり」
桐生は終焉の地・「桐生通信

幸橋で桐生川を渡り返す。
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養泉寺
手前は大ケヤキ(市天然記念物)の切株か?
山門左に「豊川稲荷」が祀られている。
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観音院 《地図
日限り地蔵」で信仰が篤く、商売っ気も多そうだ。

今泉(岩崎?)観音は鍵が掛かっていて入れず。《地図
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桐生カトリック教会
たまには教会の建物もいいものだ。信仰はないが。
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織物参考館
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桐生神社
意外と小さな神社だった。ここも少し荒れ気味で寂しい感じだ。
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伝桐生大炊介手植の柳 《地図
これも往時の姿はなく、痛々しく哀れな感じだ。
桐生氏の出自などについては説が分かれているが、
桐生大炊介助綱は実名が確定されているようだ。

JR両毛線の高架をくぐって行く。
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常衹(つねぎ)稲荷神社 《地図
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浄運寺本堂
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コロンバス通り 《地図
「コロンブス」と勘違いした。姉妹都市のアメリカの地名だったが、
コロンバス」はコロンブスともゆかりがあるようだ。
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雷電神社「説明板
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十ヶ塚稲荷神社 《地図
隣の稲荷町はこの神社(錦町)に由来するというが、
この神社の由来等は分からない。
ここは十ヶ塚古墳があった所で、それに由来するのか?
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織姫神社
ここの織姫さんにもかつての華やかさはない。
ここは桐生市役所の敷地内で、隣は現代的な建物の文化会館だ。

桐生駅方向に戻る。
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絹撚記念館 《地図
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織物記念館 《地図
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桐生駅(わたらせ渓谷鉄道)→
東武小泉線→東武伊勢崎線と乗り継いで帰宅した。

坂道散歩

2019年4月5日

赤城駅(東武桐生線)・二十三夜石塔--大間々宿五町目常夜灯--まま通り--長澤薬師堂・稲荷宮--孫兵衛辻子--四町目常夜灯--大間々町道路元標--コノドント館(大間々博物館)-天王横町-まちなか交流館--(わたらせ渓谷鉄道)--神明宮--ながめ余興場・ながめ公園--高津戸橋(渡良瀬川)--阿弥陀堂・里見兄弟の墓・高津戸の渡し跡あたり--要害山(高津戸城跡・要害神社)--高津戸峡遊歩道--はねたき橋(渡良瀬川)--はね瀧道了尊--(わたらせ渓谷鉄道)--(銅山街道(国道122号))--稲荷社・光栄寺--大日堂-桐原宿-稲荷神社・世音寺・桐原郷蔵・銅蔵--桐原宿交差点--本要寺--西福寺--赤城駅

      【ル-ト地図

 足尾銅山で産出され、足尾で精錬された御用銅を江戸へ運ぶ銅山(あかがね)街道の宿場町、足尾山地と赤城山から産出された材木や生糸の集積地として栄えた大間々宿と、大間々宿を引き継いだ西隣の桐原宿を散策する。
        説明板『銅山街道・大間々宿』・『桐原宿
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赤城駅・二十三夜石塔(文化9年(1812))「説明板
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大間々宿五町目常夜灯(文化10年)「説明板」 《地図
現在地あたり→神明宮参道→現在地に里帰り
右折して「まま通り」を進む。
まま」とは、渡良瀬川の河岸段丘によってつくられた崖のこと。
大間々の「まま」で良かったのに、
みどり市」なんてつまらん名前にしたものだ。
大間々は落語『引窓与兵衛』にも登場する。これも面白くない話だが。
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長澤薬師(左)・稲荷宮
長澤薬師は文禄2年(1593)に大間々を開拓し、
町割りを始めた「六人衆」の一人、
長澤伊織が屋敷地内に建てたものという。
昔は眼病治癒祈願に参拝する人がも多かったそうだ。
祠内には薬師如来像ではなく、石塔?が祀られていた。
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孫兵衛辻子「説明板」 《地図
孫兵衛は大間々「六人衆」の一人。

大間々宿のメイン通り(国道122号)に戻る。
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清酒「赤城山」醸造元の近藤酒造 《地図
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醤油醸造の岡直三郎商店
大釜がでんと置かれている。
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四丁目常夜灯・岡商店の土蔵
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大間々町道路元標(左隅の案内板の前)・土蔵造りのトイレ
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コノドント館(大間々博物館) 《地図
旧大間々銀行の本店営業所(大正10年建築)「説明板
コノドント」館と命名の理由
コノドントの「化石」・「想像図
この先の高津戸渓谷でコノドントから進化した恐竜の卵に出会うとは
ここでは夢にも思わなかったが。
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天王横町(コノドント館の向かい側の道)
神明宮への表参道で八坂神社(牛頭天王社)があった。
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まちなか交流館
旧酒造店舗を改装して平成30年8月にオープン。
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野口家住宅主屋(国登録有形文化財)
明治後期に建造された野口材木店の店舗兼住宅というが、
「ひじきご飯」・「元祖 花ぱん」の看板が貼ってあった。
花ぱんは桐生天満宮の梅を形どった素朴な装いの菓子で、
江戸期から親しまれてきたそうだ。
門に「幽体自然流 清寧館」の看板も掛っていた。
剣道の流派だろうか?
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旧家

右折してわたらせ渓谷鉄道を渡って、
ながめ公園、高津戸渓谷の方へ向かう。
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はねたき広場からはねたき橋
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神明宮「説明板
後ろは要害山、高津戸城跡
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みどり市観光周遊バス
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ながめ余興場説明板
昭和12年の建築で、群馬県に残る唯一の戦前の劇場建造物。
ガイドのおじさん(みどり市の職員だろう)の案内で館内を
じっくりと見学させてもらった。
客席・花道・舞台」・「舞台から客席」、2階の客席もある。
廻り舞台」に乗って回してもらった。
舞台の下の「奈落」は資料館になっていて、今昔のスターたちの写真・
ポスター・サインなどで懐かしさ満点だった。
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ながめ公園から渡良瀬川
平日だがこのあたりは花見客も多く、賑わっていた。
少し足を延ばすともう人通りはなくなる。
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阿弥陀堂「説明板」 《地図
明後日(4/7)が阿弥陀堂の祭典で、
南北朝時代の山田氏のものという、
堂内の阿弥陀石仏が開帳されるようだ。
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大きな五輪塔が南北朝時代の山田氏の墓、
小さな五輪塔が戦国時代の里見勢の墓というが、
見分けがつきにくい。
時代が異なるものが混在して並んでいるのだろうか?
里見兄弟にまつわる史話は伝承に過ぎないようだが。
伝山田氏及び里見兄弟の墓
阿弥陀堂の脇から渡良瀬川の高津戸の渡船場跡への道が残っている。
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高津戸城跡の要害山(標高280m位)へ登る。
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展望台から西方向
中央がわたらせ渓谷鉄道、その先の緑の所は柳原グラウンドか?
ここから夜景が楽しめるようだ。
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さらに要害神社へ鳥居を3つくぐって行く。
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要害神社・高津戸城跡 《地図
ここは本丸跡という。
説明板①」・「説明板②」(読みづらい)

下って高津戸峡遊歩道に入る。
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高津戸峡・高津戸橋
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ゴリラ岩はどれか?
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何やら白い物体が?
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これがコノドントから進化した恐竜の卵だ。
そんなアホな!「ポットホール」を造った石だとさ。
ここまでたどりつくのに苦労したが、
面白いものを見せてもらった。
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はねたき橋を渡る。
「水が飛散する様が滝のように見える」ことに由来する橋名
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高津戸渓谷
紅葉の頃もいい景色だろう。
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はね瀧道了尊縁起
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白狐に乗る烏天狗の道了尊
天狗の大下駄もあるが、日が照ると熱くなるのでやけどに注意だと。

わたらせ渓谷鉄道を越え、銅山街道(国道122号)の西側に出る。
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稲荷社(光栄寺の前)
やけにでかい庚申塔が立っている。まだ新しそうに見えたが、
天明4年(1784)の建立だった。
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光栄寺 《地図
関東八十八ヶ所」第8番、「上州三十三観音霊場」第1番
関東九十一薬師霊場」第49番札所
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大日堂 《地図
ここはシダレザクラが見事だ。
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旧家か廃屋か?
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世音寺・稲荷神社(右)
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桐原銅蔵(世音寺の向かい側)「説明板
ここで一時保管された銅は銅山街道を南下して利根川河岸まで運ばれた。
世音寺の敷地内に似たような造りの郷蔵がある。「説明板
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桐原宿案内板
桐原宿交差点を左折し、「東国文化歴史街道」という、
大仰な名前の道を進み、本要寺と西福寺に寄って赤城駅に戻った。

坂道散歩



2019年4月3日

木下(きおろし)駅(JR成田線)--木下街道--馬坂下(大森交差点)--上宿古墳--長楽寺(第四番)--鳥見神社(大森)--(馬坂上・木下街道)--二十三夜塔道標--熊野神社・宝泉院--三宝院(第五番)-竹袋稲荷神社-観音堂--狢坂あたり--むじな池-木下貝層・木下万葉公園--ひょうたん島池--木下駅
   【ル-ト地図

 木下街道を進み、大森交差点(国道356号)の馬坂下あたりから右に入って長楽寺を目指す。途中で上宿古墳への標識に気づく。

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民家の敷地内に入れてもらい、竹林の間を通って上宿古墳へ向かう。
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上宿古墳横穴石室「説明板」 《地図
木下貝層(後述)から切り出した石材を積み上げて造った石室で、
南に開口している。墳形は断定されていない。
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石室内から
むろん中に入る許可は得ている。
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長楽寺(正面奥)への樹林の間の道。《地図
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「六阿弥陀第四番」石柱(文政10年(1827))
参道途中の右側の植込みの間に隠れるように立っている。
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長寿観音堂
昭和25年に国宝の観音堂は焼失した。
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鐘楼
梵鐘」(県指定文化財・「説明板」)は、この鐘ではあるまい。
印西八景」の「長楽寺の晩鐘」だが、
新・印西八景」には入っていない。
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鳥見神社(大森)「説明板
印西市に7社もある鳥見神社の一つ。
昨日の小倉の鳥見神社はあてはずれだったが、この社は如何に?
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拝殿
神木の銀杏(右)とカヤ(榧・左)
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レンガ塀(大正2年建築)に守られた本殿
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本殿の常盤御前の彫刻
3人の子どもを抱いている?
他面には八幡太郎義家と新羅三郎義光が彫られている。

見ごたえのあった鳥見神社前の道を東進し、
馬坂の坂上あたりで木下街道(左右)と交差する。

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根っこがむき出しの大木
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印西中学校の方へ下って行く。右に十九夜塔が2基 《地図
印西市は十九夜塔が多い。昨日から十九夜塔ばかりだ。
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道に倒れてきそうな大木。
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木の後ろに二十三夜塔(左)と?夜塔(嘉永5年(1852))が並ぶ。
地図》?
二十三夜塔(文政3年(1820))は道標になっていて、
向かって右側面に「左 さくバミち」・
左側面に「右 たきむらミち さくらみち」のようだ。
作場(地名ではない)、滝(村)、佐倉だろう。
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杉林の間の道を行く。
県道64号との交差点に出て右折する。
このあたりは猪が出没するようだ。(注意看板①
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熊野神社の社叢と宝泉院
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宝泉院(地蔵寺宝泉院)・熊野神社(右)
まさに神仏混交だ。
印西大師」の70番・「いんざい七福神」の福禄寿
木造地蔵菩薩立像」(説明板
別所の獅子舞」(説明板
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仁王門
迫力のある阿形像吽形像
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三宝院説明板
右に「六阿弥陀第五番」の石柱、説明板にも
「総州六阿弥陀の第五番札所」とある。
印西大師」の41番(右の「坂巻武之碑」とは?)
いんざい七福神」の恵比寿
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道路の向い側が竹袋稲荷神社
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竹袋稲荷神社
石段を下って上り社殿へ。
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狛狐は逃げ出さないように金網の檻の中?
ではなく、大切に守られているのよ。
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観音堂(右)と「印西大師」の64番 《地図
かつてはここに神宮寺があったのか。
観音さんも大師さんも満開の桜に覆われてご満悦だろう。
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小さな観音像と女人講中(昭和63年)の幕
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鋳銅鰐口説明板)・観音堂の軒下
竹袋村の十九夜講中が奉納
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現在の狢坂(むじなざか)をむじな池へと下る。《地図
利根川図志」に「池の頭に狢坂あり。・・・
今は浅くなりて、蓴菜なし。
芦、菰まこもなど生い茂り、池の形のみなり。
堤を越えて向こうの山に上る所を狢坂という。・・・」
とあるそうだ。
このあたりにあった坂だろう。
まだ切り通されてなくてもっと急坂だったか。
「利根川図志」の作者、赤松宗旦の旧宅は利根町にある。
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むじな池から狢坂方向 《地図
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木下貝層 (国天然記念物) 《地図》あたり
「木下貝層は露頭の表面が堅く固まっていることが特徴の一つで、
古墳の石室石材や石灯篭などに利用されています。」とある。
先ほどの上宿古墳の石室にも使われたのだろう。
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木下万葉公園新・印西八景
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さきくさ(みつまた)「万葉集の歌
たのしい万葉集
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万葉公園の上から
ぼやけてしまったが、利根川が見える?
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菜の花の向こうがひょうたん島池
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ひょうたん島池(竹袋調整池) 《地図
水草に覆われて水面が見えない。
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川村煎餅店(木下駅北口)
土産を買って総州六阿弥陀詣りの打ち止めとした。
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木下駅
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昔の木下駅
今回の総州六阿弥陀詣りは3回に分かれてしまったが、
木下駅から6ヶ寺の巡拝路を繋いでみた。【ル-ト地図】(全)
あまり寄り道をしなければ1日で歩ける距離だろう。

坂道散歩




2019年4月2日

布佐駅(JR成田線)--延命寺(第二番)--勝蔵院--愛宕八坂神社--新四国相馬霊場第21番・37番--竹内神社--久保天踏切(JR成田線)--我孫子東高校--関枠橋(手賀川)・なま街道(鮮魚街道)-(印西市)--海野作兵衛頌徳碑--大杉神社・最勝院(六阿弥陀回向所)--厳島神社・水神宮・水神橋(亀成川)--廃社?--西ノ下橋(和泉川)--泉倉寺(第三番)--宝珠院観音堂(光堂)-小倉集会所--鳥見神社--(木下街道(県道189号))--千葉ニュータウン中央駅(北総開発鉄道)

   【ル-ト地図

 利根町を歩いて総州六阿弥陀があることを知った。その折に1番徳満寺、6番不動院、来見寺(納経所)は訪れたので、2番~5番と回向所の最勝院を巡る。
 江戸六阿弥陀道』・『新六阿弥陀道』・『中川両岸新六阿弥陀道
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延命寺(総州六阿弥陀第二番)
門柱の左に「六阿弥陀第二番」の石柱(文政10年(1827))が立つ。
阿弥陀如来立像は両手先が欠けて破損しているが保存されているようだ。
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勝蔵院
本堂裏手の高台に新四国相馬霊場の21番と37番の小堂がある。
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愛宕八坂神社
愛宕社は大宝3年(703)の創建と伝え、
利根町の蛟蝄神社と由縁があるという。
のちに東方にあった牛頭天王社(八坂神社)を合祀したという。
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新四国相馬霊場第21番(右)・37番(左)
21番は竹内神社から移された。
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竹内神社参道
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狛犬は子連れ唐獅子で子孫繁栄の神徳ありという。
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竹内神社
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神明社(境内)
元禄9年(1696)鎮座のものを当地に昭和59年に移転・再建。
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日露戦争英文記念碑「説明板
桜樹寄付者の中に隣の利根町ゆかりの柳田國男の名もある。

成田線の踏切を渡り、南に手賀川へと向かう。
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手賀川(上流の手賀沼方向)
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すぐ下流の関枠橋を渡って我孫子市から印西市に入り、
なま道(鮮魚街道)」の旧道に入る。《地図
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最勝院までは「なま道」を行く。
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海野作兵衛頌徳碑
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大杉神社(右)
最勝院(左)は発作(ほっさく)上集会所になっていて、
墓地だけで寺はないようだ。
ミラーの左後ろに枠で固定された
「六阿弥陀回向所」(文政10年)の石柱が立つ。
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いんざい七福神」の布袋尊
右の石碑には「最勝院」とある。
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印西大師の祠
もとは35番だったが廃寺?になって番外になったようだ。
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六阿弥陀石柱の隣の道標(年代不詳)
「南 江戸道」・左側面に「北 ふさ道」で、
ここへ移設されたのだろうが、方向は合っている。

「なま道」から離れて行く。
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厳島神社 《地図
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水神社(厳島神社と同じ敷地にある)
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水神橋から亀成川(上流方向)
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廃社?
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神像?が取り残されて寂しげに鎮座している。
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西ノ下橋から和泉川 《地図
正面左は松山下公園の野球場。
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泉倉寺(六阿弥陀第三番)・光堂(宝珠院観音堂)への坂
この先の右に光堂への新しい道標が立つ。
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泉倉寺
右端に「六阿弥陀第三番」(文政10年)の石柱
木造延命寺地蔵菩薩坐像」(県指定文化財)
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本堂
印西大師」の1番と5番(地蔵堂)
いんざい七福神」の毘沙門天
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光堂(宝珠院観音堂)への道。《地図
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宝珠院観音堂(光堂)説明板
印西大師」の12番
印西八景」の「光堂の雪景」
ここは雪、桜、紅葉と楽しめる別世界という趣だ。
ちなみに「新・印西八景」には入っていない。

ここから石段を下り、上り返す。
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小倉集会所
ここも花盛りで静かで気分のいい空間だ。
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鳥見(とみ)神社(小倉)の社叢は見事だが。
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小祠ばかりで鳥見神社はどれか分からない。
印西市には鳥見神社が8社もある。
呼び方も「とみ」・「とりみ」に分かれるようだ。

千葉ニュータウン中央駅に向かう。
途中で木下(きおろし)街道(県道189号)と交差する。
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竹中技術研究所
鏡のような水面にビルが映っている。

坂道散歩


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