2019年5月2日
寒川駅(JR相模線)--旧中原街道合流地点--梶原景時館跡(一之宮天満宮)--県道47号・四之宮の渡し跡・田村の渡し跡分岐地点--西寒川駅跡(八角広場)--大山道標・河原不動堂--河原橋(目久尻川)--(平塚市)-神川橋(相模川)--田村の渡し跡碑--八坂神社--道標--旧田村十字路(中原街道分岐地点)・田村十王堂跡・大山道標--田村十字路(国道129号)--御霊神社①--(東海道新幹線)--土安橋(渋田川)--宗真寺--渋田川土手--下谷交差点(県道44号)--(伊勢原市)--伊勢原インターC(小田原厚木道路)--東円寺--日月神社--三観寺--庚申塔道標・沼目八坂神社--大山道標(沼目団地入口交差点)--三福寺--伊勢原駅北口・大山阿夫利神社鳥居--伊勢原火伏不動尊--伊勢原村高札場跡--伊勢原大神宮--伊勢原交差点(矢倉沢往還交差地点)--片町不動堂--二の鳥居旧地・御霊神社②--(東名高速)--山口家住宅(雨岳文庫)--大山阿夫利神社二の鳥居--大山街道(青山道合流地点)-石倉橋交差点--大山道標(移設先)--石倉不動堂-石倉橋バス停→伊勢原駅(小田急線)
【ル-ト地図】
*旧中原街道合流地点から分岐地点までは、『中原街道④』に記載。

旧田村十字路(中原街道分岐地点) 【ル-ト地図】の45
このあたりは旅籠などもあり「田村の宿」とも呼ばれていた。
右角に十王堂跡碑・大山道標が立っている。
中原街道は左折、大山道は右折して八王子道を少し行って左折して行く。
十王堂跡碑「説明板」・大山道標(左端)
十王堂は天文6年(1537)の小田原北条氏と上杉氏の、
相模川での合戦の戦死者を弔うため妙楽寺の住職が建立した。
大山道標(宝暦9年(1759))には、「右 大山みち」・
「左 ふじさわ 江のしま かまくらみち」・「左 大いそみち」で、
藤沢・江の島・鎌倉道は、まさに落語『大山詣り』の一行が、
大山から江戸へのの帰路にたどった道筋だ。
御霊神社①
祭神は崇道天皇 ・国常立尊、由緒などは分からず。
神社に梵鐘、なぜか最近よく見かける。
東海道新幹線をくぐり、土安橋(渋田川)を渡る。
宗真寺
渋田川土手を行く。今日は晴れるはずだったが、
雨が落ちて来そうな曇天で正面の大山もぼやけている。
下谷交差点を過ぎて平塚市から伊勢原市に入る。
県道44号は歩道が分離してなく歩きづらい。
小田原厚木道路を越える。連休中でも今は空いている。
東円寺
何代目かの舟繋ぎの松?がそびえている。
舟つなぎ松跡碑
伝説「舟繋ぎの松」
昔はこのあたりは沼地で、「こがの渡し」
という渡し舟で往来したという。
ここの北側は沼目という地名だ。街道はこの先上って行くから
このあたりは確かに低地なのだ。
沼目の地名は、もとは沼部村と称したが、
天正19年(1591)、八坂神社に対する御朱印状に、
沼目村と記載されていたため、村名を変更したそうだ。
お上の威光は正しい村名まで変えてしまうのか。
沼目村が今はやりの”忖度(そんたく)”をしたのだろう。
日月(にちがつ)神社
祭神の天照皇大御神(別名は大日孁貴神)と弟の月読命で日と月だ。
疫神社(境内社)「説明板」

三観寺
沼目八坂神社二の鳥居「説明板」
左端は庚申供養塔道標(宝暦11年(1761))
「左 たむら道」・右側面に「右 大いそ道」
東海道の平塚から大磯に通じるということか。
近くの街道沿いからここへ移設されたものだろう。
応永10年(1403))銘の銅鐘
大山道標(元文4年(1739))・(沼目団地入口交差点)
地蔵のような不動か?
「左 大山道」・「右 日向道」で、左折して行く。
三福寺
「本尊の善光寺如来」
伊勢原駅北口に出る。
大山ケーブル駅行きのバスに長い列ができている。
登山姿の若い連中も多い。ただ大山登りをするだけか。
北口の鳥居をくぐって竜神通り商店街を抜ける。
伊勢原火伏不動「説明板」 【ル-ト地図】の46
火伏不動像
大山が近づくにつれ不動さんが多くなる。
伊勢原村高札場跡「説明板」 【ル-ト地図】の47
伊勢原大神宮
内宮(左)・神木の大クス・外宮(右)
別当寺だった照見山神宮寺の遺物「説明板」
普化宗の総本山の一つ鈴法寺は『青梅街道⑤』に記載。
「照見山神宮禅寺」とある。
矢倉沢往還交差地点(伊勢原交差点)
ここを通ったのは7年前の5月だ。
片町不動尊 【ル-ト地図】の48
不動明王像
二の鳥居旧地・御霊神社②
道を跨いで立っていたが、関東大震災で倒壊し、昭和3年復旧されたが
戦後の自動車の普及や、昭和44年のクレーン車の
接触事故などで撤去された。
鳥居の扁額が雨岳文庫(山口家住宅)の敷地内に保存されている。
(後記)
東名高速をくぐる。
手前を右に行けば大山街道(青山道)と八王子道との合流地点
に出るが青山道との合流地点はこの先の石倉橋交差点とされている。
山口家住宅(雨岳文庫)「説明板」 【ル-ト地図】の49
大山道標(天保3年(1832))「説明板」
御霊神社に埋まっていたのを敷地内に移設。
「説明板」の金目観音は、坂東三十三観音7番の金目観音堂、
七五三引村は〆引(村)で御霊神社前のバス停が「〆引」、
青山道が東名高速をくぐった先に、
「東〆引の道標」(『大山街道(愛甲石田駅→こま参道入口)』)がある。
巽の井戸「説明板」
大山街道旅人の井戸
二の鳥居の扁額「説明板」
そばで見るとかなりでかい。
現在の二の鳥居から大山
道の上でなく駐車場広場に立っている。
旧道は右の道を直進していた。今は県道を進む。「案内図」
大山街道(青山道)が右から合流する。【ル-ト地図】の50
大山不動道標(移設先は【ル-ト地図】の51)
不動さんは大山を背にして所在なさそうに、下の鈴川を眺めている。
道標には四面に、「此方 はたのミち」・「此方 ひらつかミち」・
「右 いせ原 田むら 江乃島 道」・「左 戸田 あつぎ 青山 道」で、
大山参りの帰りの道案内となっている。
戸田は大山街道(柏尾道)で、戸田の渡しがある。
近々、柏尾道も歩く予定だ。
石倉橋交差点
大山不動道標の旧所在地あたり。(2012年1月30日撮影)
ここからは『大山街道(愛甲石田駅→こま参道入口)』へと続く。
国道246号バイパス工事?が終われば道標は旧所在地あたりに
戻されるのだろうか、現在地にあっても何の意味もない。
石倉不動堂
大山街道(八王子道)の終点近くの三光寺の境外仏堂のようだ。
腰掛不動明王像
上粕屋石倉中遺跡発掘調査のこと。
もう平成は終わったのにまだ調査は終わらないのか?
石倉橋バス停から伊勢原駅に向かった。
<『大山街道(田村道①)』
『坂道散歩』
寒川駅(JR相模線)--旧中原街道合流地点--梶原景時館跡(一之宮天満宮)--県道47号・四之宮の渡し跡・田村の渡し跡分岐地点--西寒川駅跡(八角広場)--大山道標・河原不動堂--河原橋(目久尻川)--(平塚市)-神川橋(相模川)--田村の渡し跡碑--八坂神社--道標--旧田村十字路(中原街道分岐地点)・田村十王堂跡・大山道標--田村十字路(国道129号)--御霊神社①--(東海道新幹線)--土安橋(渋田川)--宗真寺--渋田川土手--下谷交差点(県道44号)--(伊勢原市)--伊勢原インターC(小田原厚木道路)--東円寺--日月神社--三観寺--庚申塔道標・沼目八坂神社--大山道標(沼目団地入口交差点)--三福寺--伊勢原駅北口・大山阿夫利神社鳥居--伊勢原火伏不動尊--伊勢原村高札場跡--伊勢原大神宮--伊勢原交差点(矢倉沢往還交差地点)--片町不動堂--二の鳥居旧地・御霊神社②--(東名高速)--山口家住宅(雨岳文庫)--大山阿夫利神社二の鳥居--大山街道(青山道合流地点)-石倉橋交差点--大山道標(移設先)--石倉不動堂-石倉橋バス停→伊勢原駅(小田急線)
【ル-ト地図】
*旧中原街道合流地点から分岐地点までは、『中原街道④』に記載。

旧田村十字路(中原街道分岐地点) 【ル-ト地図】の45
このあたりは旅籠などもあり「田村の宿」とも呼ばれていた。
右角に十王堂跡碑・大山道標が立っている。
中原街道は左折、大山道は右折して八王子道を少し行って左折して行く。
十王堂跡碑「説明板」・大山道標(左端)
十王堂は天文6年(1537)の小田原北条氏と上杉氏の、
相模川での合戦の戦死者を弔うため妙楽寺の住職が建立した。
大山道標(宝暦9年(1759))には、「右 大山みち」・
「左 ふじさわ 江のしま かまくらみち」・「左 大いそみち」で、
藤沢・江の島・鎌倉道は、まさに落語『大山詣り』の一行が、
大山から江戸へのの帰路にたどった道筋だ。
御霊神社①
祭神は崇道天皇 ・国常立尊、由緒などは分からず。
神社に梵鐘、なぜか最近よく見かける。
東海道新幹線をくぐり、土安橋(渋田川)を渡る。
宗真寺
渋田川土手を行く。今日は晴れるはずだったが、
雨が落ちて来そうな曇天で正面の大山もぼやけている。
下谷交差点を過ぎて平塚市から伊勢原市に入る。
県道44号は歩道が分離してなく歩きづらい。
小田原厚木道路を越える。連休中でも今は空いている。
東円寺
何代目かの舟繋ぎの松?がそびえている。
舟つなぎ松跡碑
伝説「舟繋ぎの松」
昔はこのあたりは沼地で、「こがの渡し」
という渡し舟で往来したという。
ここの北側は沼目という地名だ。街道はこの先上って行くから
このあたりは確かに低地なのだ。
沼目の地名は、もとは沼部村と称したが、
天正19年(1591)、八坂神社に対する御朱印状に、
沼目村と記載されていたため、村名を変更したそうだ。
お上の威光は正しい村名まで変えてしまうのか。
沼目村が今はやりの”忖度(そんたく)”をしたのだろう。
日月(にちがつ)神社
祭神の天照皇大御神(別名は大日孁貴神)と弟の月読命で日と月だ。
疫神社(境内社)「説明板」

三観寺
沼目八坂神社二の鳥居「説明板」
左端は庚申供養塔道標(宝暦11年(1761))
「左 たむら道」・右側面に「右 大いそ道」
東海道の平塚から大磯に通じるということか。
近くの街道沿いからここへ移設されたものだろう。
応永10年(1403))銘の銅鐘
大山道標(元文4年(1739))・(沼目団地入口交差点)
地蔵のような不動か?
「左 大山道」・「右 日向道」で、左折して行く。
三福寺
「本尊の善光寺如来」
伊勢原駅北口に出る。
大山ケーブル駅行きのバスに長い列ができている。
登山姿の若い連中も多い。ただ大山登りをするだけか。
北口の鳥居をくぐって竜神通り商店街を抜ける。
伊勢原火伏不動「説明板」 【ル-ト地図】の46
火伏不動像
大山が近づくにつれ不動さんが多くなる。
伊勢原村高札場跡「説明板」 【ル-ト地図】の47
伊勢原大神宮
内宮(左)・神木の大クス・外宮(右)
別当寺だった照見山神宮寺の遺物「説明板」
普化宗の総本山の一つ鈴法寺は『青梅街道⑤』に記載。
「照見山神宮禅寺」とある。
矢倉沢往還交差地点(伊勢原交差点)
ここを通ったのは7年前の5月だ。
片町不動尊 【ル-ト地図】の48
不動明王像
二の鳥居旧地・御霊神社②
道を跨いで立っていたが、関東大震災で倒壊し、昭和3年復旧されたが
戦後の自動車の普及や、昭和44年のクレーン車の
接触事故などで撤去された。
鳥居の扁額が雨岳文庫(山口家住宅)の敷地内に保存されている。
(後記)
東名高速をくぐる。
手前を右に行けば大山街道(青山道)と八王子道との合流地点
に出るが青山道との合流地点はこの先の石倉橋交差点とされている。
山口家住宅(雨岳文庫)「説明板」 【ル-ト地図】の49
大山道標(天保3年(1832))「説明板」
御霊神社に埋まっていたのを敷地内に移設。
「説明板」の金目観音は、坂東三十三観音7番の金目観音堂、
七五三引村は〆引(村)で御霊神社前のバス停が「〆引」、
青山道が東名高速をくぐった先に、
「東〆引の道標」(『大山街道(愛甲石田駅→こま参道入口)』)がある。
巽の井戸「説明板」
大山街道旅人の井戸
二の鳥居の扁額「説明板」
そばで見るとかなりでかい。
現在の二の鳥居から大山
道の上でなく駐車場広場に立っている。
旧道は右の道を直進していた。今は県道を進む。「案内図」
大山街道(青山道)が右から合流する。【ル-ト地図】の50
大山不動道標(移設先は【ル-ト地図】の51)
不動さんは大山を背にして所在なさそうに、下の鈴川を眺めている。
道標には四面に、「此方 はたのミち」・「此方 ひらつかミち」・
「右 いせ原 田むら 江乃島 道」・「左 戸田 あつぎ 青山 道」で、
大山参りの帰りの道案内となっている。
戸田は大山街道(柏尾道)で、戸田の渡しがある。
近々、柏尾道も歩く予定だ。
石倉橋交差点
大山不動道標の旧所在地あたり。(2012年1月30日撮影)
ここからは『大山街道(愛甲石田駅→こま参道入口)』へと続く。
国道246号バイパス工事?が終われば道標は旧所在地あたりに
戻されるのだろうか、現在地にあっても何の意味もない。
石倉不動堂
大山街道(八王子道)の終点近くの三光寺の境外仏堂のようだ。
腰掛不動明王像
上粕屋石倉中遺跡発掘調査のこと。
もう平成は終わったのにまだ調査は終わらないのか?
石倉橋バス停から伊勢原駅に向かった。
<『大山街道(田村道①)』
『坂道散歩』