2019年5月9日
赤羽駅(JR京浜東北線)-日光御成道(岩槻街道)--道標・宝幢院--(JR京浜東北線ほか)-師団坂下-八幡坂--桐ヶ丘中央公園--(板橋区)--小豆沢通り-小豆沢貝塚-小豆沢公園-大山道標(庚申塔)--(志村坂上駅)-中山道-旧道-庚申塔道標-清水坂上・大山道標(大山道分岐地点)--城山通り--志村城跡碑-熊野神社・志村城空堀跡-城山の坂--(首都高5号)-庚申塔道標(志村第二公園)--南坂--中台中学校-庚申塔道標-中台稲荷神社--延命寺・庚申塔道標--閻魔坂--かみなか庚申塔--東第33号踏切(東武東上線)-三又の馬頭観音・(練馬区)--川越街道下練馬宿-大山不動道標・ふじ大山道(富士街道)起点-川越街道--東武練馬駅(東武東上線)
【ル-ト地図】
*『大山街道(青山道・矢倉沢往還ルート)
*『大山街道(田村道)』
*『大山街道(柏尾道)』
*『大山街道(八王子道)』
*『大山街道(八王子道・当麻経由)』
*『大山街道(5本のルートのまとめ)地図』
宝幢院 【ル-ト地図】の1
ここは日光御成道(岩槻街道)と鎌倉街道(中の道・西回り)の合流地点
「東 川口善光寺道 日光岩付道」・「南 江戸道」・
「西 西国冨士道 板橋道」で、
西に鎌倉街道中の道を行けば、上町駅近くの世田谷代官屋敷跡あたりで、
大山街道(青山道・矢倉沢往還ルート)に合流する。
八幡坂 【ル-ト地図】の2
坂上には八幡(はちまん)小学校、坂下には赤羽八幡神社があるが、
北側の八幡(やわた)谷に由来の坂名。
大正時代に造られた新しい坂で、昔の大山道とは呼べないだろうが。
庚申塔道標(天明5年(1785)) 【ル-ト地図】の4
正面に「奉造立庚申供養塔」
右側面に「 右ハ大山道」中山道(志村坂上交差点)
左が旧道で清水坂上に向かっている。
庚申塔道標 【ル-ト地図】の5
「是より川口ぜんかうじ道」と刻まれているともいうが、
風化が激しい上に工事現場でこれ以上近づけない。
まだ、撤去されないだけましか。
さっきの宝幢院前の道標にも「東 川口善光寺道」とあった。
江戸時代には庶民の手軽な善光寺参りで賑わった寺だが、
今は荒川の堤防上の味気ない、殺風景な寺になってしまった。
「江戸名所図会」の『善光寺』 (現在の《地図》)
日光御成道沿いの寺で中山道沿いの寺ではない。
今来た道筋近くを通って日光御成道へ出たということか?
大山道分岐地点(正面に道標と庚申塔道標)【ル-ト地図】の6
中山道は直進して清水坂を下って行く。
大山道標・庚申塔道標
説明板
熊野神社 【ル-ト地図】の8
志村城の二の丸跡に建立
由緒
境内で遊んでいれば自動車追突事故に巻き込まれる恐れはないが。
志村城跡碑
説明板
志村城空堀跡(社殿の西側) 【ル-ト地図】の9
絵馬殿
説明板
伊勢太々神楽(だいだいかぐら)奏図絵馬(寛政7年(1795))
熊野神社前から城山の坂を下って首都高5号をくぐる。
【ル-ト地図】の10
庚申塔道標(志村第二公園内) 【ル-ト地図】の11
①右の石橋供養庚申塔(明和7年(1770)))の
右側面「右は はやぞみち」
早瀬は早瀬前遺跡や鎌倉古道の早瀬の渡しがあったあたりか。
左側面「左は 祢里まみち」、
(祢里まは練馬、石橋は出井川の摺張橋)
②中の庚申塔(文政13年(1830))
右側面には「向右 祢つはより吹上道」、(根葉)
明治33年に上蓮沼村と根葉(ねっぱ)村が合併したとき、
両村名から一字づつ採って蓮根となった。
吹上は蓮根の西方の吹上観音(和光市白子)方向か。
左側面には「向左 称りまより大山道」、
③左の庚申塔(明治2年)
右側面「向右 ねりまみち」
左側面「向左 かみいたばしみち」
①②③とも中台2-40-3(公園の南側の道の分岐地点)より移設
いずれも刻まれている文字等については、
『板橋区の庚申塔』を参考にした。感謝!
説明板
南坂を上る。【ル-ト地図】の12
中岱南殿の屋舘址が坂上の丘陵上にあった。
城山の坂を下り、出井川の摺張橋を渡りこの坂を上り、
やがて下練馬宿に通ずる大山道の一部。
坂下には庚申塔が祀られていていづれも道しるべを兼ねている。
うち1基は摺張橋の橋供養を行っていて、道中の無事を祈っている。
(『いたばしの地名』・『郷土 板橋の坂道』より)
地蔵の祠の左に馬頭観音と庚申塔 【ル-ト地図】の13
①地蔵(右)(天明4年(1784))
台石右側面「右練馬道五町」・左側面「左下板橋道」
②馬頭観音(中)(寛政12年(1800))
右面 「右??道 大山道」・左面 「左江戸道」
③庚申塔(左)(嘉永5年(1852))
右側面「西ふじ大山練馬道」
左側面「南いたはし前野道」、
参考:『気ままに街道歩き(大山街道志村道)』
中台稲荷神社 【ル-ト地図】の14
説明板
大山道から離れて延命寺の境内に集められている
庚申塔道標などを見に行く。【ル-ト地図】の15
左の庚申塔(享保20年(1735))
正面右下「これより左へ ねりまへ十八丁」
右の庚申塔(宝暦3年(1753))
右側面「此方 ねっぱみち」・(根葉道)
左側面「此方 富士道」
馬頭観音(天保14年(1843))
右側面「西練馬ふじ大山道」
左側面「東岩渕川口道」・裏面「南板橋道」
閻魔坂 【ル-ト地図】の16
中台稲荷神社の前から閻魔堂橋跡あたりまで下る坂。
出井川の支流の一つで小字新田前に源を発する小川に
閻魔堂橋が架かっていた。
近くに延命寺持ちの閻魔堂があった。
かみなか庚申塔(享和4年(1804))
【ル-ト地図】の17
右側面「右 にしたい とくまる」(西台 徳丸)
左側面 「左 ねりま 大山 みち」
かみなか庚申塔
東上線の踏切を渡って行く。
三又の馬頭観音 【ル-ト地図】の18
馬頭観音(右)に「右王子道」・「東戸田渡し道」
左の石塔(道標?)に「左戸田道 下練馬 右いたばしみち」
と刻まれているともいうが、全く分からず。
練馬区に入った。
川越街道下練馬宿 【ル-ト地図】の19
このあたりは寂しげだが、環八通りを越えると賑やかな商店街となる。
大山不動道標(宝暦3年(1753))・東高野山道標
【ル-ト地図】の20
正面 「従是大山道」
左面 「ふじ山道 田なし 三里 府中え 五里」
ここが「ふじ大山道(富士街道)」起点で→
青梅街道合流地点→甲州街道、
あるいは、青梅街道合流地点→深大寺道→甲州街道、
甲州街道→府中宿→鎌倉街道(上の道)→大山街道(青山道)、
甲州街道→八王子宿→大山街道(八王子道)→大山街道(青山道)、
などで大山に向かったのだろう。
『坂道散歩』
赤羽駅(JR京浜東北線)-日光御成道(岩槻街道)--道標・宝幢院--(JR京浜東北線ほか)-師団坂下-八幡坂--桐ヶ丘中央公園--(板橋区)--小豆沢通り-小豆沢貝塚-小豆沢公園-大山道標(庚申塔)--(志村坂上駅)-中山道-旧道-庚申塔道標-清水坂上・大山道標(大山道分岐地点)--城山通り--志村城跡碑-熊野神社・志村城空堀跡-城山の坂--(首都高5号)-庚申塔道標(志村第二公園)--南坂--中台中学校-庚申塔道標-中台稲荷神社--延命寺・庚申塔道標--閻魔坂--かみなか庚申塔--東第33号踏切(東武東上線)-三又の馬頭観音・(練馬区)--川越街道下練馬宿-大山不動道標・ふじ大山道(富士街道)起点-川越街道--東武練馬駅(東武東上線)
【ル-ト地図】
*『大山街道(青山道・矢倉沢往還ルート)
*『大山街道(田村道)』
*『大山街道(柏尾道)』
*『大山街道(八王子道)』
*『大山街道(八王子道・当麻経由)』
*『大山街道(5本のルートのまとめ)地図』
宝幢院 【ル-ト地図】の1
ここは日光御成道(岩槻街道)と鎌倉街道(中の道・西回り)の合流地点
道標((元文5年(1740)・宝幢院前)
「東 川口善光寺道 日光岩付道」・「南 江戸道」・
「西 西国冨士道 板橋道」で、
西に鎌倉街道中の道を行けば、上町駅近くの世田谷代官屋敷跡あたりで、
大山街道(青山道・矢倉沢往還ルート)に合流する。
八幡坂 【ル-ト地図】の2
坂上には八幡(はちまん)小学校、坂下には赤羽八幡神社があるが、
北側の八幡(やわた)谷に由来の坂名。
大正時代に造られた新しい坂で、昔の大山道とは呼べないだろうが。
庚申塔道標(天明5年(1785)) 【ル-ト地図】の4
正面に「奉造立庚申供養塔」
右側面に「 右ハ大山道」中山道(志村坂上交差点)
左が旧道で清水坂上に向かっている。
庚申塔道標 【ル-ト地図】の5
「是より川口ぜんかうじ道」と刻まれているともいうが、
風化が激しい上に工事現場でこれ以上近づけない。
まだ、撤去されないだけましか。
さっきの宝幢院前の道標にも「東 川口善光寺道」とあった。
江戸時代には庶民の手軽な善光寺参りで賑わった寺だが、
今は荒川の堤防上の味気ない、殺風景な寺になってしまった。
「江戸名所図会」の『善光寺』 (現在の《地図》)
日光御成道沿いの寺で中山道沿いの寺ではない。
今来た道筋近くを通って日光御成道へ出たということか?
大山道分岐地点(正面に道標と庚申塔道標)【ル-ト地図】の6
中山道は直進して清水坂を下って行く。
大山道標・庚申塔道標
説明板
熊野神社 【ル-ト地図】の8
志村城の二の丸跡に建立
由緒
境内で遊んでいれば自動車追突事故に巻き込まれる恐れはないが。
志村城跡碑
説明板
志村城空堀跡(社殿の西側) 【ル-ト地図】の9
絵馬殿
説明板
伊勢太々神楽(だいだいかぐら)奏図絵馬(寛政7年(1795))
熊野神社前から城山の坂を下って首都高5号をくぐる。
【ル-ト地図】の10
庚申塔道標(志村第二公園内) 【ル-ト地図】の11
①右の石橋供養庚申塔(明和7年(1770)))の
右側面「右は はやぞみち」
早瀬は早瀬前遺跡や鎌倉古道の早瀬の渡しがあったあたりか。
左側面「左は 祢里まみち」、
(祢里まは練馬、石橋は出井川の摺張橋)
②中の庚申塔(文政13年(1830))
右側面には「向右 祢つはより吹上道」、(根葉)
明治33年に上蓮沼村と根葉(ねっぱ)村が合併したとき、
両村名から一字づつ採って蓮根となった。
吹上は蓮根の西方の吹上観音(和光市白子)方向か。
左側面には「向左 称りまより大山道」、
③左の庚申塔(明治2年)
右側面「向右 ねりまみち」
左側面「向左 かみいたばしみち」
①②③とも中台2-40-3(公園の南側の道の分岐地点)より移設
いずれも刻まれている文字等については、
『板橋区の庚申塔』を参考にした。感謝!
説明板
南坂を上る。【ル-ト地図】の12
中岱南殿の屋舘址が坂上の丘陵上にあった。
城山の坂を下り、出井川の摺張橋を渡りこの坂を上り、
やがて下練馬宿に通ずる大山道の一部。
坂下には庚申塔が祀られていていづれも道しるべを兼ねている。
うち1基は摺張橋の橋供養を行っていて、道中の無事を祈っている。
(『いたばしの地名』・『郷土 板橋の坂道』より)
地蔵の祠の左に馬頭観音と庚申塔 【ル-ト地図】の13
①地蔵(右)(天明4年(1784))
台石右側面「右練馬道五町」・左側面「左下板橋道」
②馬頭観音(中)(寛政12年(1800))
右面 「右??道 大山道」・左面 「左江戸道」
③庚申塔(左)(嘉永5年(1852))
右側面「西ふじ大山練馬道」
左側面「南いたはし前野道」、
参考:『気ままに街道歩き(大山街道志村道)』
中台稲荷神社 【ル-ト地図】の14
説明板
大山道から離れて延命寺の境内に集められている
庚申塔道標などを見に行く。【ル-ト地図】の15
左の庚申塔(享保20年(1735))
正面右下「これより左へ ねりまへ十八丁」
右の庚申塔(宝暦3年(1753))
右側面「此方 ねっぱみち」・(根葉道)
左側面「此方 富士道」
馬頭観音(天保14年(1843))
右側面「西練馬ふじ大山道」
左側面「東岩渕川口道」・裏面「南板橋道」
閻魔坂 【ル-ト地図】の16
中台稲荷神社の前から閻魔堂橋跡あたりまで下る坂。
出井川の支流の一つで小字新田前に源を発する小川に
閻魔堂橋が架かっていた。
近くに延命寺持ちの閻魔堂があった。
かみなか庚申塔(享和4年(1804))
【ル-ト地図】の17
右側面「右 にしたい とくまる」(西台 徳丸)
左側面 「左 ねりま 大山 みち」
かみなか庚申塔
東上線の踏切を渡って行く。
三又の馬頭観音 【ル-ト地図】の18
馬頭観音(右)に「右王子道」・「東戸田渡し道」
左の石塔(道標?)に「左戸田道 下練馬 右いたばしみち」
と刻まれているともいうが、全く分からず。
練馬区に入った。
川越街道下練馬宿 【ル-ト地図】の19
このあたりは寂しげだが、環八通りを越えると賑やかな商店街となる。
大山不動道標(宝暦3年(1753))・東高野山道標
【ル-ト地図】の20
正面 「従是大山道」
左面 「ふじ山道 田なし 三里 府中え 五里」
ここが「ふじ大山道(富士街道)」起点で→
青梅街道合流地点→甲州街道、
あるいは、青梅街道合流地点→深大寺道→甲州街道、
甲州街道→府中宿→鎌倉街道(上の道)→大山街道(青山道)、
甲州街道→八王子宿→大山街道(八王子道)→大山街道(青山道)、
などで大山に向かったのだろう。
『坂道散歩』