2019年11月

2019年11月12日

保谷駅(西武池袋線)・・(西東京市)・福泉寺通り・・あらやしき公園・・・天神社・・・(伏見通り)・・・南無妙法蓮華経奉唱満壹千部成就處塔・・・(新座市)・・・馬頭観音・・・神宝大橋(黒目川)・・野猿坂下・・(東久留米市)・・・寒念仏地蔵・・氷川神社・・・金山森の広場・・馬頭観音・・・(新座市)・・・(野火止用水・水道道路交差地点)・・・地蔵祠・・・(ひまわり通り)・(清瀬市)・・・(志木街道交差地点)・・・清瀬橋(柳瀬川)・(所沢市)・・・和田子育地蔵・・・(JR武蔵野線)・・・愛宕山交差点・・・霊源寺・・・庚申塔道標・・・南山公園・・・昌平寺・・・(西武新宿線)・・・庚申堂・厄神社・・川端霊園・・・ファルマン通り・・坂稲荷神社・・盃横丁・・和田家住宅・・・(元町交差点)・・鎌倉街道(上の道)合流地点・・・実蔵院・・・学校新道・・・法華寺・・・所沢駅(西武池袋線)

       【ル-ト地図
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保谷駅の北側から西東京市に入った。
田無市と保谷市が合併して名づけられた市名だ。
そんなに「東京」にこだわることもなかろうに。
まあ、田無駅と保谷駅はまだあるが。
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あらやしき公園(旧高橋家屋敷林) 【ル-ト地図】の33
下保谷、荒(新)屋敷の名主だった高橋家が寄贈した土地だそうだ。
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天神社 【ル-ト地図】の34
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題目塔2基
三十番神社だった時の名残り。
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三十番神の天満天神(北野大明神)の菅原道真石像は
別当寺の福泉寺に安置。

伏見通りを横切る。
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南無妙法蓮華経奉唱満壹千部成就處塔 【ル-ト地図】の35
題目の七字を一万回唱えると原典法華経全巻の
長さとほぼ同一になり、これを一部として、
千回繰り返すと唱題一千部となるそうだ。
気の遠くなるような、アホらしい話?

北西に向かって新座市に入る。
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馬頭観音(神宝大橋の手前)
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神宝大橋から黒目川(上流方向)【ル-ト地図】の36
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神宝大橋から野猿坂を少し上って左折して東久留米市に入る。
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地蔵(元禄8年(1695))で市内最古 【ル-ト地図】の37
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後背の右側に「寒念仏・・・」と刻まれている。
形も崩れてなく、花も飾れて今も大切にされているようだ。
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氷川神社
神山村の鎮守だった。
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金山森の広場」沿いを上る。左に馬頭観音
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馬頭観音(文政9年(1826))
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坂上で再び新座市に入って野火止用水・水道道路を渡る。
【ル-ト地図】の39
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地蔵の前を左折して行く。【ル-ト地図】の40
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地蔵(宝暦5年(1755))・馬頭観音・日本廻国供養塔など
ひまわり通りを横切ると清瀬市上清戸だ。
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志木街道との交差地点(郵便局前交差点)
 【ル-ト地図】の41
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清瀬橋から柳瀬川(上流方向) 【ル-ト地図】の42
やっと所沢市に入った。
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和田子育地蔵尊
左側に小さいのを2人連れている。

愛宕山交差点の三角地帯に庚申塔道標(天明2年(1782))
左側面に「左ハ大和田みち」・右側面に「右ハ江戸みち」
があるそうだが見逃した。
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狭山茶畑が広がっている。
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庚申塔道標(安永5年(1776)) 【ル-ト地図】の44
右側面に「西八王子みち」・左側面に「東江戸みち」
台座の正面左端に「きた 川ごへみち」
八王子へは所沢道を西に進み、鎌倉街道(上の道)に出て南下し、
甲州街道に出て西進する道筋か。
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庚申堂の中の庚申塔は見えず。【ル-ト地図】の46
右側に庚申塔が並ぶ。
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庚申塔
左端は笠付青面金剛庚申塔(宝永7年(1710))
左から2番目は邪鬼・童子・夜叉・鶏・猿に囲まれた賑やかな
青面金剛庚申塔で寛文3年(1663)の古い物。
右から2番目は三猿の青面金剛庚申塔(元禄11年(1698))
右端は六十六部供養塔(元文5年(1740))
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川端霊園(庚申堂の向かい側)
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重松流祭囃子」・「福泉藤吉
将棋の名人といっても今の名人位ではないが。
2人の墓は探さなかった。
ファルマン通り・・坂稲荷神社・・盃横丁・・
和田家住宅は『東川を歩く』に記載
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鎌倉街道(上の道)合流地点 【ル-ト地図】の50
ここを所沢道歩きの終点とし、鎌倉街道を少し南下し、
実蔵院の先を左折して学校新道から所沢駅に出た。


   

2019年11月10日

新中野駅(地下鉄丸ノ内線)・青梅街道・・石神井道(所沢道)追分・・追分公園・・・(桃園川緑道)・・・中野五差路・桃園通り・・善成寺(中野不動)・・桃園稲荷神社・・レンガ坂・・(中野駅)・・・犬屋敷囲い跡・・けやき通り・・・早稲田通り・・・地蔵祠・道標・・・妻恋神社・・陸軍中野学校跡・・・(環七通り)・・・満願寺・・・蓮華寺・・(杉並区)・・・(中杉通り)・・・大鷲神社・・げんぼう坂・・・旧早稲田通り・・・日向橋(妙正寺川)・・・地蔵堂・・・稲荷坂・・銀杏稲荷神社・・・庚申塔道標(「右 志やくち道」(石神井道))・・・(下井草駅)・・・井草観音堂・・・道標(右 志やくじい道)・地蔵祠・・・(新青梅街道)・・・庚申塔道標(左 志やくじ道」・念仏供養塔祠・・・(八成橋交差点(千川通り)・八成橋跡(千川上水)・(練馬区)・・・所沢道標柱(下石神井坂下公園)・・・豊島橋(石神井川)・・・禅定院・・旧道・・(井草通り)・所沢道標柱・・道場寺・・三宝寺・・(氷川神社参道)・・・釈迦本寺・・・庚申塚交差点(上石神井通り)・庚申塔祠・・・所沢道標柱(しいのき児童遊園)・・・富士街道(ふじ大山道)交差地点・地蔵祠・・・・・保谷駅(西武池袋線)

 青梅街道の新中野駅そばの追分から北西に入り、井草、石神井から所沢に至る所沢道を所沢の鎌倉街道(上の道)との合流地点まで行く。江戸方面へ農産物などを運んだ産業の道であり、江戸からは三宝寺などへの参詣・行楽の道でもあった。
 中野区→杉並区→練馬区→西東京市→新座市→東久留米市→新座市→清瀬市→所沢市へと進んで行く。

       【ル-ト地図
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青梅街道(直進)と石神井道(所沢道・右へ)分岐地点 
【ル-ト地図】の2
以前は追分商店街の通りだが、今は商店は少なく、
追分公園にその名が残るのみか。
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分岐点に立っていた馬頭観音道標「説明板
現在は青梅街道沿いの慈眼寺境内に移設されている。
台座の右側面に「右いくさ道」(井草)・
左側面に「左あふめ道」(青梅)で、
井草道(石神井道・所沢道)を進む。
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桃園橋跡
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川跡は桃園川緑道になっている。
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中野五差路
正面の細い桃園通りに入る。
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中野不動(善成寺)
成田山新勝寺荒木僧正が開眼した不動尊を本尊とする。
旧桃園町は「生類憐みの令」により作られた囲町に隣接し、
往時は風光明媚な桃の里だったという。
今の雑多な通りからは想像もつかないが。
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桃園稲荷神社 【ル-ト地図】の5
狭い所に祀られているが、お蔭でこのあたりは商売繁盛のようだ。
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レンガ坂を下って中野駅南口に出る。【ル-ト地図】の6
尾道の「れんが坂」は静かな人通りも少ない坂だったが、
ここはひっきりなしに人が行き交う賑やかな坂だ。
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中野駅の北側に出る。
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犬屋敷囲い跡 【ル-ト地図】の7
日当りが良くて「お犬様」も気持ちよさそうだ。
このあたりが「囲町」だったか。
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けやき通りを抜ける
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早稲田通りに出て西進する。
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地蔵と道標(電柱の左後ろ) 【ル-ト地図】の8
道標には「此方中野宝仙寺」・「此方高田」?などと刻まれている。
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妻恋(稲荷)神社
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陸軍中野学校跡碑(右) 【ル-ト地図】の9
こちらは裏面で碑文が刻まれている。
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表面
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蓮華寺 【ル-ト地図】の11
東洋大学・中野哲学堂を創った井上円了の墓がある。
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山荘之碑

「山荘」(山屋敷・切支丹屋敷)は、キリスト教徒を収容・禁固して
情報を収集した、初代切支丹奉行井上政重
別邸(文京区茗荷谷)のこと。
この碑は、屋敷が大江政晴のものとなった時、
獄死した人びとをいたんで建てられた。
のちに蓮華寺に移され、同寺とともに当地に移された。
(「説明板」より)

井上政重は元切支丹であったともいわれ、
沈黙 」(遠藤周作)の 重要人物の一人として登場するそうだ。
大江政晴とはどんな人物か? 
切支丹の牢屋敷は切支丹坂にあったという。

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大鷲神社
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最後の方に”げんぼう坂”の記載がある。
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げんぼう坂 【ル-ト地図】の13
坂下方向だが傾斜は緩い。
杉並区の坂④』で、げんぼう坂(源坊坂)とした道と少し違うが、
こっちの道の方が適当だろう。
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日向橋(永久橋)から妙正寺川(下流方向) 
【ル-ト地図】の14
この先、地蔵堂から八成橋交差点(千川通り)・千川上水跡までは、
東京散歩(杉並区①)』・『千川上水を歩く①』に記載。
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八成橋交差点で千川通りを渡って練馬区に入る。
【ル-ト地図】の22
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所沢道標柱(下石神井坂下公園) 【ル-ト地図】の23
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豊島橋(石神井川)
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石神井川(下流方向)
禅定院の前あたりから旧道に入る。【ル-ト地図】の25
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未舗装の遊歩道のようなところも一部残っている。
禅定院、道場寺、三宝寺、氷川神社などは、
富士街道(ふじ大山道)②』に記載。
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ここにも「所沢道」標柱 【ル-ト地図】の26
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釈迦本寺
日蓮宗の唱題行の根本道場だそうだ。
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庚申塚交差点で上石神井通りを横切る。【ル-ト地図】の28
向い側に庚申塔祠
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青面金剛庚申塔(元禄5年(1692))
その右は六十六部日本廻国供養塔(享保19年(1734))?
左端は光明真言供養塔( 正徳元年(1711))
右端の庚申待石灯籠 (元文5年(1740))には、
「南ハ多かいどミち 北ハひさおりみち」
と刻むというが確認できず。(高井戸と膝折)
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所沢道標柱(左・しいのき児童遊園) 【ル-ト地図】の29
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富士街道(ふじ大山道)を斜めに横切って行く。
【ル-ト地図】の30
分岐地点に地蔵の祠
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地蔵(宝永3(1706))
この先、北西方向に保谷駅まで進んだが、見るべきものはなかった。

2019年10月30日

西長久保バス停・・長久保道・・・市場坂通り・(埼玉県新座市)・・・(陸上自衛隊朝霞駐屯地迂回・平店坂跡・ガチ坂跡・駒形坂跡)・・・牟礼道合流地点・・市場坂・・市場坂橋(黒目川)・・板橋供養塔・月待地蔵・・・妙音沢・・・(山川橋)・・・牟礼道分岐地点・・・江戸往還道(江戸道・畑中公民館通り)・・・(東福寺通り)・・・荒沢不動尊・・畑中公民館・・芝山坂・・・水道道路・・陣屋通り・・・(平林寺)・・・伊豆殿橋(野火止用水)・・・(西屋敷通り)・・・(産業通り)・・・新屋敷橋(関越自動車道)・・・新座市総合運動公園・庚申塔祠・・・(富士見新道)・・・(東京都清瀬市)・・・不動明王石像・・・志木街道合流地点・・・屋守(家守)神社・・・八雲神社・・・(新座市)・・・愛宕裏橋(関越道)・・・あたご菅沢通り・・・恵山通り・・・菅沢稲荷神社・・・十文字学園・・・(国道254号)・・・新座駅(JR武蔵野線)

       【ル-ト地図
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牟礼道(左から)合流地点
北側の新座市営霊園、自衛隊駐屯地内には平店坂・ガチ坂・駒形坂
などがあったが今は黒目川沿いを迂回するほかない。
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市場坂(坂上方向)・市場坂橋
鶴が未来に向ってはばたく姿をイメージしているという橋。
昔の板橋だった頃の板橋供養塔が馬頭観音とともに
橋の歩道の脇に保存されている。
ここは妙音沢に近く茶店もあり、市も立ち賑わった所という。
朝霞市の坂-2・新座市の坂-3』に記載
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黒目川(市場坂橋から下流方向)
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市場坂橋上の板橋供養塔(石柱の左・天保7年(1836)の建立)・
馬頭観音(石柱の右二つ)・月待地蔵(左)?
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妙音沢が黒目川に流れ込む。(市場坂橋の少し上流)
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山川橋から黒目川(下流方向)
左岸を進み、千代田橋の手前で牟礼道と分かれ、左に江戸往還に入る。
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江戸往還道(江戸道・畑中公民館通り)を西進する。
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荒沢不動尊堂
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不動さんは堂の後ろで自ら雨ざらしで、未だに修業中だ。
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最後に「旧江戸往還道で、当時は人馬の往来が多い道でした」とある。
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芝山坂の上りとなる。
坂上で水道道路に出て少し進み、右へ陣屋通りへ入る。
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陣屋通りは歩道がない所が多く歩きにくい。
この先で歩道の工事中の所もあるが、
未だに完成せずに途切れている。右が平林寺の敷地。
「陣屋」は高崎藩の野火止陣屋のこと。『野火止用水②』に記載。
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伊豆殿橋(野火止用水)
伊豆殿は野火止用水を作らせた松平信綱
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橋下の野火止用水
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新座市総合運動公園(正面)
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庚申塔祠(運動公園の東南角)
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庚申塔(宝暦3年(1753))
迫力ある形相で何人?もの邪鬼を踏みつけている。
この先でいったん清瀬市に入る。
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志木街道との合流地点は近い。
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風化しかけた不動明王石像
台座に「成田山」
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屋守神社(志木街道に出た所)
額は「屋守」だが「家守」が正しいのか?
志木街道を左折した下清戸バス停の少し先が、
清戸道との合流地点。
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八雲神社

再び新座市に入り、左折して桜株通りに入り、
しばらくして右折して恵山通りを北上する。
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恵山通りを北上する。
「恵山」の由来は、高崎藩家老菅谷清章(法名恵山玄忠)が、
天明2年(1782)に所有地を村民に託したことによる。
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菅沢稲荷神社
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拝殿
十文字学園前を通って新座駅に向かった。

2019年10月28日

中村橋駅(西武池袋線)・・・美術の森緑地・・貫井川緑道・・・(目白通り)・・水神宮・御嶽神社・・円光院・・・清戸道・・おさる坂・・道楽橋(石神井川)・・宮田橋敷石供養塔と高松の庚申塔・長久保道分岐地点・・・高松八幡神社・・・(環八通り)・・・高松しいのき憩いの森・・宮本ファーム・・わかみや公園・長久保道碑・・たかまつ憩いの森・・・(富士街道(ふじ大山道)交差地点)・・・若原稲荷神社・・・夏の雲公園・・・馬頭観音道標・・・光が丘団地・・・(高松6交差点(笹目通り))・・旧道・・・土支田地蔵・・・(土支田通り)・・・長久保道碑・・別荘坂・・中里地蔵尊・庚申塔・別荘橋(白子川)・・・八坂神社・中里富士塚・・・もみじ山公園・・らんとう坂・・・(東京外環道)・・・馬頭観音・・・長久保氷川神社・・・学園北郵便局前交差点・長久保通り・・・西長久保バス停→成増駅(東武東上線)

 清戸道のおさる坂下の道楽橋(石神井川)を渡った先の宮田橋跡(石神井川支流)から北方向に入り、ふじ大山道(富士街道)、光が丘団地を横切り、土支田地蔵から別荘橋(白子川)を渡って、らんとう坂を上り長久保に至る長久保道を行く。
 さらに新座市に入り、市営霊園・自衛隊駐屯地を迂回して黒目川を渡って、江戸道(江戸往還)に入り、平林寺の南側の陣屋通りを西進して志木街道との合流地点まで行く。

       【ル-ト地図
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美術の森緑地
隣は練馬区立美術館。好天で子供たちで賑やかだ。
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貫井川緑道
貫井池と呼ばれる湧水池に、西から貫井川が流れ込み、
北向きに流れ出していた。それを暗渠化した緑道のようだ。
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御嶽神社(左)・水神宮(貫井川緑道沿い)
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円光院 「説明板
脚腰痛を患った円長法師(天正13年(1585)没)が、
武州大鱗山の子聖権現を遥拝し、
夢に現れた霊石を得て患部にあてると快癒した。
法師はここに堂舎を建て貫井寺と称し、子聖大権現を勧請した。
門前の左側に「子聖観世音標石」(文化7年(1810))が立つ。
寺の南に大きな池があって南池山貫井寺という。
この池が貫井池のことだろうか?

清戸道に出る。
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おさる坂を下る。
「以前この坂の左手の丘の上に草に埋もれた二基の庚申塔があった。
寛文2年(1662)、安永2年(1773)造立のものであったという。
(現在は長谷川家に安置されている) 
それでこれをおさる()坂と言ったといわれているが、
この呼び名から、祝儀の際、花嫁が通ると離縁になるといわれ、
通らないようにしたという」『練馬の伝説』
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道楽橋から石神井川(上流方向)
「道楽」の由来には、
①この橋を架けるため農民を集めようとしたが、
農繁期で集まらず、いつまでも橋が架からないので、
まるで道楽で橋をかけているといわれたのが橋の名になった。 
②南の台地上(貫井5丁目)に地蔵堂を建て、
堂の落成の喜びをあらわすため「堂落橋」と名づけたが、
何年か後に橋の架け替えの時、道楽橋と書いてしまった。
③農民たちが地蔵堂を托鉢喜捨して建てた。
余材で橋まで架けることができた。
楽に堂が建ったので「堂楽橋」とした。
幕末に橋を架け替える際に石屋が字が解らず、
「堂」が「道」になった。 
(どれも真らしく、嘘っぽい説ではあるが)
また道楽橋を渡ってゆくと、道楽者の所へ嫁ぐと言うので、
渡らないようになったともいう。

この他にも道楽橋のあたりで一緒になれない男女が心中したので
縁起が悪い、といって花嫁が渡らなくなったという話もある。
『練馬の伝説』

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宮田橋敷石供養塔(右)と高松の庚申塔 「説明板
庚申塔は練馬区内で最大のもの。
宮田橋は石神井川の一支流に架かる橋だった。
ここで清戸道と分かれ、北方向に細い坂を上って行くのが長久保道。
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長久保道に入る。
この先の環八通りを直線的に横切っていたのだろう。
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高松八幡神社
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大山大聖不動明王(享和3年(1803)・八幡神社鳥居脇)
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境内のムクノキ(「ねりまの名木」の37)
環八通りを横切って北に進む。
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旧家
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旧家の塀沿いの長久保道を行く。
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「高松しいのき憩いの森」のスダジイの大木
ここも旧家の所有地だろう。
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長久保道碑・説明板(わかみや公園内)
後ろは練馬大根漬物用の大樽らしい。
向い側の宮本食品の門脇にも大樽が座っている。
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今回は別荘橋から長久保を通り、新座市に入り黒目川を渡って、
江戸道(江戸往還)、陣屋通りを通って志木街道との
合流地点まで行き、志木街道を清戸道との合流地点まで行く。
(黒目川を北上すれば川越街道に出る)
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若原稲荷神社
この先、光が丘団地などで高松6交差点あたりまでは旧道はたどれない。
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さかえ幼稚園の新しい仲良し道祖神か。
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夏の雲公園
練馬区は公園が多い。西側は「春の風公園」だ。
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馬頭観音(文化6年(1809))
台座の側面は道標になっている。
左側面に「左 大山 東かうやさん道」・
右側面に「右 所さわみち」のようだ。
他所から移設されたものか。

ここを南に行けば「ふじ大山道」(富士街道)で、
さらに南西方向に行けば「東高野山長命寺」に出る。

高松6交差点(笹目通り)を渡って、すぐ先で左に旧道?に入る。
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旧道(左)を進む。旧道らしきところは残っていないが。
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土支田地蔵尊
土支田地蔵北・南・西交差点もあるのだが、説明板などはない。
土支田通りを横切って行く。
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別荘坂を別荘橋へ下る。
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ここにも坂の途中に「長久保道碑」と説明板
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中里地蔵尊と庚申塔の祠(左)・別荘橋(白子川)
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中里地蔵尊(右)・左の庚申塔(嘉永3年(1850))は、
風化してとろけかかっている。
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別荘橋から白子川(上流方向)
白子川にかかる他の橋の名は、大泉村誕生以降に名づけられたが、
別荘橋は江戸時代の命名。橋戸村中里に荘埜家がある。
元は荘家であったが、後にこの地に来村したといわれる
他の荘氏とは別であるという意識から明治期に荘埜という苗字をつけ、
別の荘氏であるという意味で、橋の名前を別荘橋と命名したという。
『練馬の伝説』
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八坂神社
カヤの木(「ねりまの名木」の17)
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中里富士塚
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らんとう坂を上る。見た目よりも傾斜がある。
昔、坂の途中に卵塔があったという。
当初は「蘭塔坂」と表記していたそうだ。
蘭塔坂(二の坂)は新宿区にもある。左はもみじ山公園
坂上から東京外環道の上を通って行く。
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馬頭観音
古そうだが昭和54年建立でまだ新しい。
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長久保氷川神社
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長久保通り(左右の道)の学園北郵便局前交差点
今日はここまでとし、左折して西長久保バス停から成増駅に出た。


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