2023年12月10日
七里駅(東武野田線)・・・風渡野天神社・・・原市道・・・不食供養塔・・・湯殿神社・・・七里橋(見沼代用水東縁)・・・七里総合公園・・・膝子塚・廃祠・庚申塔・・・筆塚・・・日光御成道・・・(膝子一里塚跡)・・・見沼弁財天・・・丼橋・・・加田屋弁天・・・見沼田んぼのフナノ跡あたり?・・・締切橋・・・見沼代用水かけ樋(加田屋川)・・・見沼くらしっく館?・・・見沼自然公園・・・深井家長屋門・・・(上野田氷川社)・・・鷲神社・・・(総持寺)・・・(国昌寺)・・・(福寿寺)・・・(越谷浦和バイパス)・・・釈迦種子板石塔婆(井上家墓所)・・・木傘社・・・ブルーアイス畑・・・天満宮?・・・天神橋・・・大崎公園・・・(無量寺)・・・越谷街道(国道463号)・・・大白天橋‥大白天神社・・・妙宣寺・・・浅間橋・・・東沼神社・・・興照寺・・・(東北道地下通路)・・・春日神社・・・庚申塔・・・身代り不動・・・東川口駅(JR武蔵野線)
【地図】
見沼代用水沿いを利根川の取水堰から歩いてから、8年も経った。
再び代用水周辺を所々歩いてみる。今日は東縁を七里駅から東川口駅まで行く。
前回と重なる所も多い。
七里駅(東武野田線)・・・風渡野天神社・・・原市道・・・不食供養塔・・・湯殿神社・・・七里橋(見沼代用水東縁)・・・七里総合公園・・・膝子塚・廃祠・庚申塔・・・筆塚・・・日光御成道・・・(膝子一里塚跡)・・・見沼弁財天・・・丼橋・・・加田屋弁天・・・見沼田んぼのフナノ跡あたり?・・・締切橋・・・見沼代用水かけ樋(加田屋川)・・・見沼くらしっく館?・・・見沼自然公園・・・深井家長屋門・・・(上野田氷川社)・・・鷲神社・・・(総持寺)・・・(国昌寺)・・・(福寿寺)・・・(越谷浦和バイパス)・・・釈迦種子板石塔婆(井上家墓所)・・・木傘社・・・ブルーアイス畑・・・天満宮?・・・天神橋・・・大崎公園・・・(無量寺)・・・越谷街道(国道463号)・・・大白天橋‥大白天神社・・・妙宣寺・・・浅間橋・・・東沼神社・・・興照寺・・・(東北道地下通路)・・・春日神社・・・庚申塔・・・身代り不動・・・東川口駅(JR武蔵野線)
【地図】
見沼代用水沿いを利根川の取水堰から歩いてから、8年も経った。
再び代用水周辺を所々歩いてみる。今日は東縁を七里駅から東川口駅まで行く。
前回と重なる所も多い。
風渡野天神社
「原市道」・「三沼代用水」の記載がある。
ここにも「原市道」の記載がある。
神木の切り株
由緒
社殿背後のイチョウ
不食供養塔(元禄16年(1703))
「不食供養」とは、毎月特定の日に断食(不食)し、3年3ヶ月間に渡って
念仏を唱え修行するという民間信仰で、その成就記念塔。
飢饉などでの餓死者の供養塔かと思っていた。
湯殿神社
「原市鳩ケ谷道」の記載がある。鳩ケ谷道は「江戸道」
七里橋へ向かう途中で、民家からモーツァルトのピアノソナタ
「トルコ行進曲付き」k331を弾いているのが聞こえてきた。
腕前は定かでないが、足取りも軽快となってきたようだった。
七里橋から見沼代用水東縁上流方向
廃小祠と左上が膝子塚
このあたりの地名は「膝子」で、日光御成道の膝子一里塚跡がある。
筆塚
見沼代用水西側の風景
見沼弁財天
見沼七弁天
加田屋弁天
廃祠のようにも見えるが?
見沼田んぼの「フナノ」を作ったあたり?
見沼代用水かけ樋(加田屋川)
見沼くらしっく館?
どうも普通の民家の入口に見える。案内表示もない。
ここからは入りにくく、裏の方へ回ってみる。
まだ新しいようだ。
釈迦種子板石塔婆(中央)(康暦3年(1381))
これと双式の明照寺にある「釈迦種子板石塔婆」
右も古そうだが、上は欠けているようだ。
説明板
木傘社
日本武尊の大木の下での雨宿りの伝承だ。
ブルーアイス畑
ちょうど刈り取って家へ台車で運んでいた人に聞いて何の植物か
初めて知った。クリスマスの飾りなどに使われるそうだ。
ちょうど今がかき(掻き・書き)入れ時か。
天満宮? これが?
ちゃんと菅公は鎮座して御座(おわ)しますが。
天神橋から下流方向・左は大崎公園
まだ天満宮のことが気にかかる。
大白天神社の社叢
大白天神社
ここはまあ大白天橋の名にし負う社だ。
東沼神社に合祀され、神体も遷座されてはいるが。
妙宣寺の霊園
聖観世音菩薩も一日中日差しを浴びてさぞかし暑いことだろう。
東沼神社
見沼(代用水)の東にある。
胎内くぐり
前回はここから東縁に沿って東浦和駅まで行ったが、
今日は代用水から離れて東へ、東川口駅へ向かう。
興照寺
「鯖大師」といえば四国札所を思い出す。もう15年も前だ。
東北道地下通路
歩道は分離してなく、けっこう車も通る。
まあ、四国遍路道の轟音、爆風音の長いトンネルに比べれば、
子どもだましみたいなものだが。
春日神社(川口市大門)
殺風景だねえ。
民家の玄関脇の地蔵と庚申塔(明和9年(1772))
明和9年といえば、明和の大火(行人坂の大火)などがあって、
「迷惑」の年だった。改元されて「安永」となった。
この地蔵さんと庚申塔は、この家に迷惑をかけぬよう、
しっかりと門番をしている。
JR武蔵野線の跨線橋
別に何ということもないが。
身代り不動尊と地蔵
「足立百不動」の24番延寿院跡
下には六地蔵や表面を削り取られたような庚申塔が並んでいる。
「原市道」・「三沼代用水」の記載がある。
ここにも「原市道」の記載がある。
神木の切り株
由緒
社殿背後のイチョウ
不食供養塔(元禄16年(1703))
「不食供養」とは、毎月特定の日に断食(不食)し、3年3ヶ月間に渡って
念仏を唱え修行するという民間信仰で、その成就記念塔。
飢饉などでの餓死者の供養塔かと思っていた。
湯殿神社
「原市鳩ケ谷道」の記載がある。鳩ケ谷道は「江戸道」
七里橋へ向かう途中で、民家からモーツァルトのピアノソナタ
「トルコ行進曲付き」k331を弾いているのが聞こえてきた。
腕前は定かでないが、足取りも軽快となってきたようだった。
七里橋から見沼代用水東縁上流方向
廃小祠と左上が膝子塚
このあたりの地名は「膝子」で、日光御成道の膝子一里塚跡がある。
筆塚
見沼代用水西側の風景
見沼弁財天
見沼七弁天
加田屋弁天
廃祠のようにも見えるが?
見沼田んぼの「フナノ」を作ったあたり?
見沼代用水かけ樋(加田屋川)
見沼くらしっく館?
どうも普通の民家の入口に見える。案内表示もない。
ここからは入りにくく、裏の方へ回ってみる。
まだ新しいようだ。
釈迦種子板石塔婆(中央)(康暦3年(1381))
これと双式の明照寺にある「釈迦種子板石塔婆」
右も古そうだが、上は欠けているようだ。
説明板
木傘社
日本武尊の大木の下での雨宿りの伝承だ。
ブルーアイス畑
ちょうど刈り取って家へ台車で運んでいた人に聞いて何の植物か
初めて知った。クリスマスの飾りなどに使われるそうだ。
ちょうど今がかき(掻き・書き)入れ時か。
天満宮? これが?
ちゃんと菅公は鎮座して御座(おわ)しますが。
天神橋から下流方向・左は大崎公園
まだ天満宮のことが気にかかる。
大白天神社の社叢
大白天神社
ここはまあ大白天橋の名にし負う社だ。
東沼神社に合祀され、神体も遷座されてはいるが。
妙宣寺の霊園
聖観世音菩薩も一日中日差しを浴びてさぞかし暑いことだろう。
東沼神社
見沼(代用水)の東にある。
胎内くぐり
前回はここから東縁に沿って東浦和駅まで行ったが、
今日は代用水から離れて東へ、東川口駅へ向かう。
興照寺
「鯖大師」といえば四国札所を思い出す。もう15年も前だ。
東北道地下通路
歩道は分離してなく、けっこう車も通る。
まあ、四国遍路道の轟音、爆風音の長いトンネルに比べれば、
子どもだましみたいなものだが。
春日神社(川口市大門)
殺風景だねえ。
民家の玄関脇の地蔵と庚申塔(明和9年(1772))
明和9年といえば、明和の大火(行人坂の大火)などがあって、
「迷惑」の年だった。改元されて「安永」となった。
この地蔵さんと庚申塔は、この家に迷惑をかけぬよう、
しっかりと門番をしている。
JR武蔵野線の跨線橋
別に何ということもないが。
身代り不動尊と地蔵
「足立百不動」の24番延寿院跡
下には六地蔵や表面を削り取られたような庚申塔が並んでいる。