2023年12月27日
七里駅(東武野田線)・・・30番.慈眼院(神明神社境内観音堂)・・・神明橋(見沼代用水東縁)・・・春岡広場・・・氷川神社(深作)・・・29番.宝積寺・・・アーバン未来公園・・・海崎橋(東縁)・・・28番.覚蔵院・・・島町地蔵公園・地蔵祠・・・薬王寺・・・島町東自然の森・・・七里第一調整池・・・鷲神社鎮座之址碑(鷲山会館)・・・野第28号踏切(東武野田線)・・・七里自然の森・・・33番.大円寺陽光殿・34番.大円寺・・・小祠・・・32番.新堤観音堂・・・(七里停車場跡石碑あたり)‥七里駅
【地図】
*参考「新秩父三十四観世音めぐり」(観音像を拝めてありがたい)
七里駅の北と南に5ヶ寺、6札所を回ったが、途中の道筋には見所は少なかった。
七里駅(東武野田線)・・・30番.慈眼院(神明神社境内観音堂)・・・神明橋(見沼代用水東縁)・・・春岡広場・・・氷川神社(深作)・・・29番.宝積寺・・・アーバン未来公園・・・海崎橋(東縁)・・・28番.覚蔵院・・・島町地蔵公園・地蔵祠・・・薬王寺・・・島町東自然の森・・・七里第一調整池・・・鷲神社鎮座之址碑(鷲山会館)・・・野第28号踏切(東武野田線)・・・七里自然の森・・・33番.大円寺陽光殿・34番.大円寺・・・小祠・・・32番.新堤観音堂・・・(七里停車場跡石碑あたり)‥七里駅
【地図】
*参考「新秩父三十四観世音めぐり」(観音像を拝めてありがたい)
七里駅の北と南に5ヶ寺、6札所を回ったが、途中の道筋には見所は少なかった。
30番.慈眼院観音堂(神明神社境内)
「由緒」に「神明社は慈眼寺持ち、・・・当社の別当である
真言宗慈眼寺は、大悲山と号し、
正観音を奉安する旧深作村の覚蔵院の門徒寺である。
同寺は、明治初年に廃寺となり、現在跡地は宅地となっている。」
覚蔵院は28番札所。
「由緒」に「神明社は慈眼寺持ち、・・・当社の別当である
真言宗慈眼寺は、大悲山と号し、
正観音を奉安する旧深作村の覚蔵院の門徒寺である。
同寺は、明治初年に廃寺となり、現在跡地は宅地となっている。」
覚蔵院は28番札所。
慈眼寺or慈眼院?
神明橋から見沼代用水東縁(上流方向)
橋を渡って北方向に、深作の氷川神社に向かう。
北風がけっこう強く寒く感じる。
橋を渡って北方向に、深作の氷川神社に向かう。
北風がけっこう強く寒く感じる。
氷川神社(深作)
神仏分離までは、覚蔵院が当社を管理し、
境内に庵を設置し、僧が常駐していたという。
神仏分離までは、覚蔵院が当社を管理し、
境内に庵を設置し、僧が常駐していたという。
板石塔婆(貞和3年(1347)11月9日銘)「市指定有形文化財」
アーバン未来公園
綾瀬川と深作川の洪水対策として整備された多目的遊水地公園
西に向かって進み、海崎橋(東縁)を渡る。
綾瀬川と深作川の洪水対策として整備された多目的遊水地公園
西に向かって進み、海崎橋(東縁)を渡る。
28番.覚蔵院山門
28番札所
馬頭観音(天保11年(1840))の左右側面に文字が刻まれているが
読みづらい。「私家版 さいたまの石仏」によれば、三面忿怒相の馬頭観音( 延宝8年(1680))
忿怒の表情はここからだとよく見えず、
品のある優雅な立像に見えて気に入った。
馬頭観音などに気を取られ、観音堂の写真を撮るのを忘れた。
南方向に七里駅の南側の札所を目指す。追い風になって暖かくなった。
馬頭観音(天保11年(1840))の左右側面に文字が刻まれているが
読みづらい。「私家版 さいたまの石仏」によれば、三面忿怒相の馬頭観音( 延宝8年(1680))
忿怒の表情はここからだとよく見えず、
品のある優雅な立像に見えて気に入った。
馬頭観音などに気を取られ、観音堂の写真を撮るのを忘れた。
南方向に七里駅の南側の札所を目指す。追い風になって暖かくなった。
薬王寺
この寺には「見沼散歩(原市道)」で訪れたばかりだが、
この角度からは見てないので本堂前に出るまでは気づかなかった。
この寺には「見沼散歩(原市道)」で訪れたばかりだが、
この角度からは見てないので本堂前に出るまでは気づかなかった。
鷲神社鎮座之址碑(鷲山会館)
緑区の見沼代用水東縁の鷲神社のことではあるまい。
緑区の見沼代用水東縁の鷲神社のことではあるまい。
34番.大円寺
ここが結願寺なのだが、順拝してないので先は長い。
ここが結願寺なのだが、順拝してないので先は長い。
33番.大円寺陽光殿
太田源五郎康資の室の陽光院芳林妙春大姉のことか。
太田源五郎康資の室の陽光院芳林妙春大姉のことか。
七里駅は新築工事中
「七里停車場石碑」(ここにはなかったと思う)は見当たらなかった。
「七里停車場石碑」(ここにはなかったと思う)は見当たらなかった。
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