2024年1月10日
浦和駅(JR京浜東北線)・・・1番・3番.大善院・・・仲宿弁財天・・・三峯神社・・・71番.成就院(不動堂)・・・旧中山道浦和宿(浦和宿二七市場跡・慈恵稲荷神社・浦和御殿跡(常盤公園)・本陣跡(仲町公園)・脇本陣跡・70番玉蔵院・若王子稲荷神社)・・・関東東向寅薬師堂・・・72番.調神社・・・日蓮上人 駒つなぎの欅・・・起志乃天神社・・・元72番.福寿寺跡(岸町神葬霊園)・・・稲荷神社(岸町)・・・関元屋・・・白幡市民緑地・?祠・・・73番.医王寺・・・庚申塔・白幡沼・・・睦神社(富士神社・八幡神社・諏訪神社ほか)・・・地蔵坂・白幡地蔵堂・・・庚申塔祠‥観音坂・・・(白幡観音堂)・・・焼米坂(旧中山道)・・・76.玉泉院(根岸公会堂・根岸薬師堂・不動堂)・・・神明神社(根岸)・・・稲荷神社(根岸前公園)・・・さいたま市文化センター・・・大谷場氷川神社・・・74番.宝性寺・・・南浦和駅(JR京浜東北線)
中山道浦和宿から街道周辺沿いを南に進み、南浦和駅そばの74番.宝性寺まで行った。
【地図】 *参考「」
浦和駅(JR京浜東北線)・・・1番・3番.大善院・・・仲宿弁財天・・・三峯神社・・・71番.成就院(不動堂)・・・旧中山道浦和宿(浦和宿二七市場跡・慈恵稲荷神社・浦和御殿跡(常盤公園)・本陣跡(仲町公園)・脇本陣跡・70番玉蔵院・若王子稲荷神社)・・・関東東向寅薬師堂・・・72番.調神社・・・日蓮上人 駒つなぎの欅・・・起志乃天神社・・・元72番.福寿寺跡(岸町神葬霊園)・・・稲荷神社(岸町)・・・関元屋・・・白幡市民緑地・?祠・・・73番.医王寺・・・庚申塔・白幡沼・・・睦神社(富士神社・八幡神社・諏訪神社ほか)・・・地蔵坂・白幡地蔵堂・・・庚申塔祠‥観音坂・・・(白幡観音堂)・・・焼米坂(旧中山道)・・・76.玉泉院(根岸公会堂・根岸薬師堂・不動堂)・・・神明神社(根岸)・・・稲荷神社(根岸前公園)・・・さいたま市文化センター・・・大谷場氷川神社・・・74番.宝性寺・・・南浦和駅(JR京浜東北線)
中山道浦和宿から街道周辺沿いを南に進み、南浦和駅そばの74番.宝性寺まで行った。
【地図】 *参考「」
1番・3番.大善院
廃寺となった元1番(玉林寺)と元3番(明音寺)の札所は
ここへ移った。不動明王の提灯と浦和不動尊の旗がたなびく。
本堂
仲町弁財天
弁財天らしく華やいでいる感じだ。
日本三大弁財天の一つ「江の島神社」の神霊を祀る。
個人の邸宅内に祀られていた弁財天を昭和28年8月にこの地に遷座した。
三峯神社
ここは表通りから離れて、うら寂しい感じだ。
71番.成就院参道・イチョウ
本堂
堂内
慈恵稲荷神社(正面奥)・浦和宿二七市場跡(さいたま市文化財)
「市神様」と「市場定杭」
岸村に明治4年(1871)まで「福寿寺」があり、
同年5月に福寿寺が廃仏毀釈により廃寺となった。
現在ここは調神社の管理となっていて、
それで調神社が72番の札所なのだろう。
詳しくは、「レファレンス協同データベース」で。
「神葬」らしく右に神明造り?の建物が見える。
稲荷社(岸町)
正月の寄り合いでにぎやかだ。
関元屋
右端にあるのが「お助け井戸」
県道に面した表正面は閉まっていた。
白幡市民緑地
正面奥に祠がある。
屋根が立派な祠
稲荷社ではないようだ。
73番.医王寺 鐘楼門
本堂
薬師堂(正面上)
板石塔婆(延慶2年(1309)・市指定文化財)
説明板
庚申塔(右・宝永4年(1707)、左・宝永6年(1709))
白幡沼南側
白幡沼
睦神社の高台へ
「睦神社社叢」(市指定文化財)
睦神社
富士神社・諏訪神社・白幡神社などの総称
由緒
白幡神社
平将門ゆかりの神社「将門散歩」
地蔵坂
坂標
白幡地蔵堂
庚申塔の祠
庚申塔(享保12年(1727))
観音坂
坂下を進んだ所に白幡観音堂がある。
白幡観音堂(2006年4月3日撮影)
焼米坂(旧中山道)
「新編武蔵風土記稿」の根岸村のところに
「焼米坂 村の北の街道の内にあり、上り一町半許の坂なり、
此所にて古来より焼米をひさぐゆえに名づけり」とあり、
中山道を通る旅人に焼米を売る店があった。
76.玉泉院(大聖不動堂)
根岸公会堂敷地内
不動明王は拝めず。
根岸薬師堂
根岸公会堂敷地内
堂内
神明神社(根岸)
由緒
稲荷社(根岸)
お狐さんは恐い顔をしている。
さいたま市文化センター
大谷場氷川神社
「市指定文化財」
ユリノキ
「市指定文化財」
74番.宝性寺
本尊「不動明王像」
廃寺となった元1番(玉林寺)と元3番(明音寺)の札所は
ここへ移った。不動明王の提灯と浦和不動尊の旗がたなびく。
本堂
仲町弁財天
弁財天らしく華やいでいる感じだ。
日本三大弁財天の一つ「江の島神社」の神霊を祀る。
個人の邸宅内に祀られていた弁財天を昭和28年8月にこの地に遷座した。
三峯神社
ここは表通りから離れて、うら寂しい感じだ。
71番.成就院参道・イチョウ
本堂
堂内
慈恵稲荷神社(正面奥)・浦和宿二七市場跡(さいたま市文化財)
「市神様」と「市場定杭」
市場定杭(天正18年(1590))
慈恵稲荷神社
浦和御殿跡(常盤公園)
江戸時代には「御殿」・「御林」と呼ばれ、
家康や秀忠が鷹狩りに来た時の宿泊所があったという。
説明板①
説明板②
元浦和地方裁判所のレンガの外壁(常盤公園)
浦和宿本陣跡(仲町公園)
「明治天皇行在所址碑」が建つ。
本陣表門は明治初年に大間木の大熊家に移されている。
説明板
脇本陣跡(浦和美術館あたり)
70番.玉蔵院 山門(市指定文化財)
地蔵堂
「木造地蔵菩薩立像」(県指定文化財)
若王子稲荷神社建て替えでなく修復だ。
関東東向寅薬師堂
「めめ」のオンパーレードの絵馬
「けっこうめだらけ猫灰だらけ」(寅さんが言ってたっけ?)
由緒
写真の後ろに寅薬師さんはいるのだろうか?
薬師如来像
調神社
平日でもこの賑わい。まだ初詣だろう。
調神社と言えば月、兎だ。
中世以来、二十三夜の月待ち信仰と結びつき月宮殿ともいわれた。
調(つき)→月→兎の連想ゲーム。
旧本殿覆屋(正面奥)
旧本殿
日蓮上人駒つなぎの欅(ケヤキ)
根元の標柱
岸町公民館の大木
起志乃天神社
元72番.福寿寺跡(岸町神葬霊園)慈恵稲荷神社
浦和御殿跡(常盤公園)
江戸時代には「御殿」・「御林」と呼ばれ、
家康や秀忠が鷹狩りに来た時の宿泊所があったという。
説明板①
説明板②
元浦和地方裁判所のレンガの外壁(常盤公園)
浦和宿本陣跡(仲町公園)
「明治天皇行在所址碑」が建つ。
本陣表門は明治初年に大間木の大熊家に移されている。
説明板
脇本陣跡(浦和美術館あたり)
70番.玉蔵院 山門(市指定文化財)
地蔵堂
「木造地蔵菩薩立像」(県指定文化財)
若王子稲荷神社建て替えでなく修復だ。
関東東向寅薬師堂
「めめ」のオンパーレードの絵馬
「けっこうめだらけ猫灰だらけ」(寅さんが言ってたっけ?)
由緒
写真の後ろに寅薬師さんはいるのだろうか?
薬師如来像
調神社
平日でもこの賑わい。まだ初詣だろう。
調神社と言えば月、兎だ。
中世以来、二十三夜の月待ち信仰と結びつき月宮殿ともいわれた。
調(つき)→月→兎の連想ゲーム。
旧本殿覆屋(正面奥)
旧本殿
日蓮上人駒つなぎの欅(ケヤキ)
根元の標柱
岸町公民館の大木
起志乃天神社
岸村に明治4年(1871)まで「福寿寺」があり、
同年5月に福寿寺が廃仏毀釈により廃寺となった。
現在ここは調神社の管理となっていて、
それで調神社が72番の札所なのだろう。
詳しくは、「レファレンス協同データベース」で。
「神葬」らしく右に神明造り?の建物が見える。
稲荷社(岸町)
正月の寄り合いでにぎやかだ。
関元屋
右端にあるのが「お助け井戸」
県道に面した表正面は閉まっていた。
白幡市民緑地
正面奥に祠がある。
屋根が立派な祠
稲荷社ではないようだ。
73番.医王寺 鐘楼門
本堂
薬師堂(正面上)
板石塔婆(延慶2年(1309)・市指定文化財)
説明板
庚申塔(右・宝永4年(1707)、左・宝永6年(1709))
白幡沼南側
白幡沼
睦神社の高台へ
「睦神社社叢」(市指定文化財)
睦神社
富士神社・諏訪神社・白幡神社などの総称
由緒
白幡神社
平将門ゆかりの神社「将門散歩」
地蔵坂
坂標
白幡地蔵堂
庚申塔の祠
庚申塔(享保12年(1727))
観音坂
坂下を進んだ所に白幡観音堂がある。
白幡観音堂(2006年4月3日撮影)
焼米坂(旧中山道)
「新編武蔵風土記稿」の根岸村のところに
「焼米坂 村の北の街道の内にあり、上り一町半許の坂なり、
此所にて古来より焼米をひさぐゆえに名づけり」とあり、
中山道を通る旅人に焼米を売る店があった。
76.玉泉院(大聖不動堂)
根岸公会堂敷地内
不動明王は拝めず。
根岸薬師堂
根岸公会堂敷地内
堂内
神明神社(根岸)
由緒
稲荷社(根岸)
お狐さんは恐い顔をしている。
さいたま市文化センター
大谷場氷川神社
「市指定文化財」
ユリノキ
「市指定文化財」
74番.宝性寺
本尊「不動明王像」
コメント