2024年2月10日
武蔵浦和駅(JR武蔵野線)・・・沼影公園・・・47番.内谷不動(西蔵寺跡)・・・東光寺・・・猿田彦大神・・・46番.一乗院・・・重瀬公園‥山王神社・・・美女木公園・庚申塔・・・妙厳寺・・・(首都高5号池袋線)・・・現45番.徳祥寺・・・元45番.円通寺跡(美女木八幡社あたり)‥堀ノ内公園・・・修行目公園・御嶽神社・石橋供養塔・・・(外環道)・・・天王公園・・・44番.慈眼寺・・・(首都高5号池袋線)・・・笹目3丁目の庚申塔・笹目コミュニティセンター・・・圃中公園・宝暦の庚申塔・・・43番.真福寺・・・谷口稲荷神社・・・境橋(笹目川)・・・(山宮橋)・・・(根木橋)・・・妙顕寺・・・新曽氷川神社‥道祖神‥42番.金剛院・・・中之橋(新曽さくら川・荒川左岸排水路)・・・(金前橋)・・・(オリンピック通り)・・・富士浅間大神・・・本村橋(上戸田川)・・・41番.多福院・・・戸田公園駅(JR埼京線)
【地図】
武蔵浦和駅(JR武蔵野線)・・・沼影公園・・・47番.内谷不動(西蔵寺跡)・・・東光寺・・・猿田彦大神・・・46番.一乗院・・・重瀬公園‥山王神社・・・美女木公園・庚申塔・・・妙厳寺・・・(首都高5号池袋線)・・・現45番.徳祥寺・・・元45番.円通寺跡(美女木八幡社あたり)‥堀ノ内公園・・・修行目公園・御嶽神社・石橋供養塔・・・(外環道)・・・天王公園・・・44番.慈眼寺・・・(首都高5号池袋線)・・・笹目3丁目の庚申塔・笹目コミュニティセンター・・・圃中公園・宝暦の庚申塔・・・43番.真福寺・・・谷口稲荷神社・・・境橋(笹目川)・・・(山宮橋)・・・(根木橋)・・・妙顕寺・・・新曽氷川神社‥道祖神‥42番.金剛院・・・中之橋(新曽さくら川・荒川左岸排水路)・・・(金前橋)・・・(オリンピック通り)・・・富士浅間大神・・・本村橋(上戸田川)・・・41番.多福院・・・戸田公園駅(JR埼京線)
【地図】
沼影公園のアイススケート場の入場券売り場に並ぶ子どもたち。
52年間親しまれた屋外プールは解体されて小学校が建設されるそうだ。
今日、お別れ会が開かれたと、夜のNHKのニュース645で放送していた。
そして今年の3月末で沼影公園を廃止・解体する。
47番.内谷不動(西蔵寺跡)
ここを見つけるのに苦労した。
不動堂・右に石碑
石碑
東光寺
本堂
延命地蔵堂
延命地蔵尊
「紙本着色三千仏図」(さいたま市文化財)
「絹本著色両界曼荼羅図」
山王神社
どうあがいてもこれ以上近づけない。個人家の氏神社か?
美女木公園
老美女と老美男たちがゲートボールに打ち興じている。
正面は文字「庚申塔」の祠
妙厳寺山門
元45番.円通寺の山門を移築したという?
説明板
十六羅漢
本堂
「涅槃図」(戸田市文化財)
「庚申・月待石灯籠」首都高5号池袋線
3連休の初日の混み具合はどうか。
現45番.徳祥寺
説明板
「千手観音供養絵図絵馬」(戸田市文化財)
足立第四十五番の扁額応永12年(1405)の板石塔婆?
美女木八幡社 元45番.円通寺跡近く
円通寺に伝来していた「七条袈裟と打敷」は戸田市の文化財。
随神門
社殿の隣に鐘楼
まさに神仏混交、一体か。
「銅鐘」(埼玉県文化財)
「最上流和算額」(戸田市文化財)
「うばゆり」
現在の銅鐘
御嶽神社・石橋供養塔(明和2年(1765)右端)(修行目公園の南角)
石橋供養塔は外環道敷設のため草狩橋より移設。
草狩橋は何川に架かっていた橋なのか?
44番.慈眼寺右の庚申塔は元禄9年(1696)の古いもの。
笹目3丁目の文字庚申塔(文政2年(1819))
宝暦の庚申塔(圃中公園)宝暦は別に珍しくもないが、
「見事な笠、六手立像の青面金剛、その両脇に二童子、
そして邪鬼、四夜叉がついた重厚な作」だそうだ。
側面には長文の銘も刻まれている。
43番.真福寺
谷口稲荷の別当寺
如意輪観音?(右の祠内)
説明板
「・・・最後に真福寺の「不動さま」の前で・・・」、とある。
谷口稲荷は「笹目川を歩く」に記載。
52年間親しまれた屋外プールは解体されて小学校が建設されるそうだ。
今日、お別れ会が開かれたと、夜のNHKのニュース645で放送していた。
そして今年の3月末で沼影公園を廃止・解体する。
47番.内谷不動(西蔵寺跡)
ここを見つけるのに苦労した。
不動堂・右に石碑
石碑
東光寺
本堂
延命地蔵堂
延命地蔵尊
「紙本着色三千仏図」(さいたま市文化財)
「絹本著色両界曼荼羅図」
山王神社
どうあがいてもこれ以上近づけない。個人家の氏神社か?
美女木公園
老美女と老美男たちがゲートボールに打ち興じている。
正面は文字「庚申塔」の祠
妙厳寺山門
元45番.円通寺の山門を移築したという?
説明板
十六羅漢
本堂
「涅槃図」(戸田市文化財)
「庚申・月待石灯籠」首都高5号池袋線
3連休の初日の混み具合はどうか。
現45番.徳祥寺
説明板
「千手観音供養絵図絵馬」(戸田市文化財)
足立第四十五番の扁額応永12年(1405)の板石塔婆?
美女木八幡社 元45番.円通寺跡近く
円通寺に伝来していた「七条袈裟と打敷」は戸田市の文化財。
随神門
社殿の隣に鐘楼
まさに神仏混交、一体か。
「銅鐘」(埼玉県文化財)
「最上流和算額」(戸田市文化財)
「うばゆり」
現在の銅鐘
御嶽神社・石橋供養塔(明和2年(1765)右端)(修行目公園の南角)
石橋供養塔は外環道敷設のため草狩橋より移設。
草狩橋は何川に架かっていた橋なのか?
44番.慈眼寺右の庚申塔は元禄9年(1696)の古いもの。
笹目3丁目の文字庚申塔(文政2年(1819))
宝暦の庚申塔(圃中公園)宝暦は別に珍しくもないが、
「見事な笠、六手立像の青面金剛、その両脇に二童子、
そして邪鬼、四夜叉がついた重厚な作」だそうだ。
側面には長文の銘も刻まれている。
43番.真福寺
谷口稲荷の別当寺
如意輪観音?(右の祠内)
説明板
「・・・最後に真福寺の「不動さま」の前で・・・」、とある。
谷口稲荷は「笹目川を歩く」に記載。
梅が咲いてすぐに桜の季節か。
境橋から笹目川(下流方向)
妙顕寺山門から仁王門
説明板
仁王門
本堂・鐘楼
エノキ
新曽氷川神社参道
左下に道祖神
道祖神(2019年ここへ移設)
表面は風化している。右側面の文政4年(1821)は読める。
説明板
新曽氷川神社は「笹目川を歩く」に記載。
42番.金剛院
門は閉じられ、柵に囲われて境内には入れない。
左下に「新曽金剛院」とある。
これは大師霊場の標石だが。中之橋から(新曽さくら川・荒川左岸排水路)
花見の頃に歩いてみたい。
富士浅間大神
本村橋から上戸田川(下流方向)
41番.多福院 新しい西門
立て看板に「東門に通り抜けできません」と書いてあると思ったら、
「・・・できます」だった。まさに御仏の寛大な慈悲心だ。
お釈迦さまも頬っぺたに陽を浴びて
気持ちよさそうに昼寝を楽しんでいる。
こちらも無我の境地か。
大師・鐘楼・本堂
本堂
説明板
東門
巡拝表は「足立百不動巡り①」の下欄に記載。
境橋から笹目川(下流方向)
妙顕寺山門から仁王門
説明板
仁王門
本堂・鐘楼
エノキ
新曽氷川神社参道
左下に道祖神
道祖神(2019年ここへ移設)
表面は風化している。右側面の文政4年(1821)は読める。
説明板
新曽氷川神社は「笹目川を歩く」に記載。
42番.金剛院
門は閉じられ、柵に囲われて境内には入れない。
左下に「新曽金剛院」とある。
これは大師霊場の標石だが。中之橋から(新曽さくら川・荒川左岸排水路)
花見の頃に歩いてみたい。
富士浅間大神
本村橋から上戸田川(下流方向)
41番.多福院 新しい西門
立て看板に「東門に通り抜けできません」と書いてあると思ったら、
「・・・できます」だった。まさに御仏の寛大な慈悲心だ。
お釈迦さまも頬っぺたに陽を浴びて
気持ちよさそうに昼寝を楽しんでいる。
こちらも無我の境地か。
大師・鐘楼・本堂
本堂
説明板
東門
巡拝表は「足立百不動巡り①」の下欄に記載。
コメント