2024年3月17日
与野本町駅(JR埼京線)・・・コミセン通り・・・(首都高埼玉新都心線)・・・円阿弥通り・・・元60番.東覚院跡(八王子神社・浅間神社)・・・白鍬第三公園・・・(白神川)・・・根切橋(鴨川)・・・島根氷川神社・・・58番.大泉寺跡(墓地)・・・さいたま市民医療センター・・・文明堂浦和工場・・・林鐘寺・・・稲荷橋(江川排水路)・・・大久保神社‥観音寺・・・長屋門・・・阿弥陀堂・・・塚山古墳あたり・・・薬師堂(西方寺跡)・・・57番.神明寺跡(榎本家)・神明寺古墳・・・神明神社・・・庚申塔道標・・・稲荷神社・・・徒歩橋(鴨川)・・・学校橋(鴨川)・・・大泉院通り・・・大泉院・・・大久保領家薬師堂・・・神田第一公園‥毘沙門天跡碑・身形神社・・・現60番.永福寺・・・月読社・・・水とふれあいの広場・・・(県道124号)・・・与野本町駅(JR埼京線)
【地図】
与野本町駅(JR埼京線)・・・コミセン通り・・・(首都高埼玉新都心線)・・・円阿弥通り・・・元60番.東覚院跡(八王子神社・浅間神社)・・・白鍬第三公園・・・(白神川)・・・根切橋(鴨川)・・・島根氷川神社・・・58番.大泉寺跡(墓地)・・・さいたま市民医療センター・・・文明堂浦和工場・・・林鐘寺・・・稲荷橋(江川排水路)・・・大久保神社‥観音寺・・・長屋門・・・阿弥陀堂・・・塚山古墳あたり・・・薬師堂(西方寺跡)・・・57番.神明寺跡(榎本家)・神明寺古墳・・・神明神社・・・庚申塔道標・・・稲荷神社・・・徒歩橋(鴨川)・・・学校橋(鴨川)・・・大泉院通り・・・大泉院・・・大久保領家薬師堂・・・神田第一公園‥毘沙門天跡碑・身形神社・・・現60番.永福寺・・・月読社・・・水とふれあいの広場・・・(県道124号)・・・与野本町駅(JR埼京線)
【地図】
元60番.東覚院跡(八王子神社・浅間神社)
社殿の左の細い石段を登ったところが現在の浅間神社。
浅間神社
由緒
白神川を横切る。
白鍬と神田地区を流れることから白神川だそうだが、名前負けしている
根切橋から鴨川(下流方向)
正面は島根橋
旧家
島根氷川神社
社殿
どこも花の春で、今日は20度以上になるようだ。
58番.大泉寺跡(墓地)
地蔵
庚申塔
風化した六地蔵
木の根元に小祠。中は空っぽだった。
このあたりは田畑が広がっている。
さいたま市民医療センター
文明堂浦和工場
こんなに大きな工場でカステラが作られているとは。
この?神社は工場の敷地内だろう。胸像も立っているが入れない。
文明堂さいたまあおぞら工房
ここはカステラ店らしい感じだ。
林鐘寺
彼岸の墓参で賑わっている。
我が家の墓にはもう何年も行っていない不幸(不孝)者だが。
左にイトザクラの枝が見える。
「イトザクラ」(さいたま市天然記念物)
まだ花は咲いていない。
地蔵(享保8年?(1723))・納経廻国供養塔(宝暦10年(1760))
本堂・客殿新築工事が始まっている。
完成は何時か?
大久保神社の社叢
説明板
稲荷橋から江川排水路(下流方向)
この先で鴨川に合流する。
大久保神社
由緒
「本殿ほか」(さいたま市文化財)
観音寺
四脚門・観音堂(さいたま市文化財)
本堂内
「阿弥陀如来三尊像」(非公開)(さいたま市文化財)
観音堂
長屋門
阿弥陀堂
阿弥陀如来像?
塚山古墳あたり
個人の敷地内で近づけない。
薬師堂?(釈迦堂?・西方寺跡)
左端は石橋供養塔(天明8年(1788))
明治の神仏分離で廃寺となった。
裏側に神明寺古墳がある。
神明寺古墳(円墳)
荒川の土手が近い。
サイクリング車が多く、土手は歩きにくいだろう。
神明神社
「鎌倉幕府に仕えた榎本・・・、・・・維新政府の神仏分離政策・・・
神明寺は廃寺となり、・・・」とある。
社殿
庚申塔道標
庚申塔(文化8年(1811))
左側面に「東よのみち 南はねくら大山道」
と刻まれているというが、うっかり見逃した。
稲荷神社(五関)
由緒
徒歩(かち)橋から鴨川(上流方向)
正面は学校橋で大久保小学校への通学用に架けられた橋か。
学校橋は上流の林光寺(明治時代に学校として使われた)
の南側にもある。
大泉院山門
マスクは不要だ。
本堂
「ウスギモクセイ」(さいたま市文化財)
「大泉院寺領寄進状及び朱印状」( 〃 )
「春日氏一族の墓」( 〃 )
ポカポカ陽気の下で羅漢たちがくつろいでいる。
観音堂
大久保領家薬師堂
「ひいらぎ」(さいたま市天然記念物)
説明板
毘沙門天跡碑
後ろは身形神社のセイコノヨシ
身形神社
「在原業平ゆかりの地」
「雨乞い絵馬」(さいたま市文化財)
説明板
在原業平歌碑・セイコノヨシ(さいたま市天然記念物)
業平の歌
説明板
現60番.永福寺
境内の祠内には不動明王か?
不動さんだろう。
月読社
由緒
波のように起伏を繰り返す道を東へ、与野本町駅に向かう。
右は水とふれあいの広場(西部配水場第一号取水場)
巡拝表は「」の下欄に記載。
「足立坂東三十三ヶ所観音(南部)」【MAP】
社殿の左の細い石段を登ったところが現在の浅間神社。
浅間神社
由緒
白神川を横切る。
白鍬と神田地区を流れることから白神川だそうだが、名前負けしている
根切橋から鴨川(下流方向)
正面は島根橋
旧家
島根氷川神社
社殿
どこも花の春で、今日は20度以上になるようだ。
58番.大泉寺跡(墓地)
地蔵
庚申塔
風化した六地蔵
木の根元に小祠。中は空っぽだった。
このあたりは田畑が広がっている。
さいたま市民医療センター
文明堂浦和工場
こんなに大きな工場でカステラが作られているとは。
この?神社は工場の敷地内だろう。胸像も立っているが入れない。
文明堂さいたまあおぞら工房
ここはカステラ店らしい感じだ。
林鐘寺
彼岸の墓参で賑わっている。
我が家の墓にはもう何年も行っていない不幸(不孝)者だが。
左にイトザクラの枝が見える。
「イトザクラ」(さいたま市天然記念物)
まだ花は咲いていない。
地蔵(享保8年?(1723))・納経廻国供養塔(宝暦10年(1760))
本堂・客殿新築工事が始まっている。
完成は何時か?
大久保神社の社叢
説明板
稲荷橋から江川排水路(下流方向)
この先で鴨川に合流する。
大久保神社
由緒
「本殿ほか」(さいたま市文化財)
観音寺
四脚門・観音堂(さいたま市文化財)
本堂内
「阿弥陀如来三尊像」(非公開)(さいたま市文化財)
観音堂
長屋門
阿弥陀堂
阿弥陀如来像?
塚山古墳あたり
個人の敷地内で近づけない。
薬師堂?(釈迦堂?・西方寺跡)
左端は石橋供養塔(天明8年(1788))
「木造伝西方寺開山像」(さいたま市文化財)
57番.神明寺跡(榎本家)明治の神仏分離で廃寺となった。
裏側に神明寺古墳がある。
神明寺古墳(円墳)
荒川の土手が近い。
サイクリング車が多く、土手は歩きにくいだろう。
神明神社
「鎌倉幕府に仕えた榎本・・・、・・・維新政府の神仏分離政策・・・
神明寺は廃寺となり、・・・」とある。
社殿
庚申塔道標
庚申塔(文化8年(1811))
左側面に「東よのみち 南はねくら大山道」
と刻まれているというが、うっかり見逃した。
稲荷神社(五関)
由緒
徒歩(かち)橋から鴨川(上流方向)
正面は学校橋で大久保小学校への通学用に架けられた橋か。
学校橋は上流の林光寺(明治時代に学校として使われた)
の南側にもある。
大泉院山門
マスクは不要だ。
本堂
「ウスギモクセイ」(さいたま市文化財)
「大泉院寺領寄進状及び朱印状」( 〃 )
「春日氏一族の墓」( 〃 )
ポカポカ陽気の下で羅漢たちがくつろいでいる。
観音堂
大久保領家薬師堂
「ひいらぎ」(さいたま市天然記念物)
説明板
毘沙門天跡碑
後ろは身形神社のセイコノヨシ
身形神社
「在原業平ゆかりの地」
「雨乞い絵馬」(さいたま市文化財)
説明板
在原業平歌碑・セイコノヨシ(さいたま市天然記念物)
業平の歌
説明板
現60番.永福寺
境内の祠内には不動明王か?
不動さんだろう。
月読社
由緒
波のように起伏を繰り返す道を東へ、与野本町駅に向かう。
右は水とふれあいの広場(西部配水場第一号取水場)
巡拝表は「」の下欄に記載。
「足立坂東三十三ヶ所観音(南部)」【MAP】
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