2024年2月9日
江戸川台駅(東武野田線)・・・(日光東往還)・・・八坂神社(上新宿)・41番.大師堂・・・4番.無苦尼堂(墓地・北小屋自治会館)・・・(流山街道)・・・香取神社・・・37番.北薬師堂・・・護摩焚きの道・六地蔵・・・笠間稲荷・・・36番.不動堂・新川小学校発祥之地 南小学校跡地碑・・・(馬坂)‥神明神社(南)・・・34番.西善院・・・南歩道橋(松戸野田線)・・・30番.浄栄寺・浄栄寺の坂・・・(常磐道)・・・庚申塔・・・流山市クリーンセンター‥桐ヶ谷湧水ポケットパーク‥桐ヶ谷の湧水(下花輪湧水)・・・(神明宮)・・・?坂・・・流山街道・・・中花輪バス停・新四国秩父坂東巡処・・・(北千葉浄水場)・・・17・60番・西福寺跡(下花輪公会堂跡?)・・・花輪城址公園・・・(白狐稲荷)・・・(三郷流山橋有料道路)・・・大杉神社・・・六部尊‥流山市立中央図書館・市立博物館(葛飾県庁印旛県庁跡・相馬大作、関良助顕彰碑・加村台御屋敷跡)・・・大坂(諏訪道)・・・閻魔堂横丁‥秋元稲荷大明神‥近藤勇陣屋(工事中)・・・46・66番.閻魔堂・・・寺田園旧店舗・・・江戸川土手・・・14・15番.旧正覚寺跡・・・(万上通り)・・・(流山街道)・・・平和台駅(流山線)→幸谷駅‥新松戸駅(JR武蔵野線)
【地図】
江戸川台駅(東武野田線)・・・(日光東往還)・・・八坂神社(上新宿)・41番.大師堂・・・4番.無苦尼堂(墓地・北小屋自治会館)・・・(流山街道)・・・香取神社・・・37番.北薬師堂・・・護摩焚きの道・六地蔵・・・笠間稲荷・・・36番.不動堂・新川小学校発祥之地 南小学校跡地碑・・・(馬坂)‥神明神社(南)・・・34番.西善院・・・南歩道橋(松戸野田線)・・・30番.浄栄寺・浄栄寺の坂・・・(常磐道)・・・庚申塔・・・流山市クリーンセンター‥桐ヶ谷湧水ポケットパーク‥桐ヶ谷の湧水(下花輪湧水)・・・(神明宮)・・・?坂・・・流山街道・・・中花輪バス停・新四国秩父坂東巡処・・・(北千葉浄水場)・・・17・60番・西福寺跡(下花輪公会堂跡?)・・・花輪城址公園・・・(白狐稲荷)・・・(三郷流山橋有料道路)・・・大杉神社・・・六部尊‥流山市立中央図書館・市立博物館(葛飾県庁印旛県庁跡・相馬大作、関良助顕彰碑・加村台御屋敷跡)・・・大坂(諏訪道)・・・閻魔堂横丁‥秋元稲荷大明神‥近藤勇陣屋(工事中)・・・46・66番.閻魔堂・・・寺田園旧店舗・・・江戸川土手・・・14・15番.旧正覚寺跡・・・(万上通り)・・・(流山街道)・・・平和台駅(流山線)→幸谷駅‥新松戸駅(JR武蔵野線)
【地図】
日光東往還を横切る。
日光東往還は毎回登場する感じだ。
上新宿(かみしんしゅく)地区を行く。
ここを左折すれば上新宿の八坂神社だ。
八坂神社の鳥居・正面遠方奥は流山市クリーンセンターの煙突。
今日はあの前を通ってさらに南下して、平和台駅までのコースだ。
八坂神社
説明板
41番の大師堂(右奥)
第四十一番
大師像
小屋地区
まだ開発の手が伸びていない昔ながらの風景だ。
4番.無苦尼堂(墓地・北小屋自治会館)
帽子は暖かそうだが、白い涎掛けは寒そうだ。
第四番
流山街道(正面)を横切る。
香取神社随神門
右大臣の随神像
左大臣説明板
境内社
茅葺と見えたが落ち葉だった。
神木の切り株だろう。
ここから北西方向に進む。
37番.北薬師堂
第三十七番
祠の左に並ぶ石造物
正観音菩薩像
馬頭観音(中央・寛政2年(1790))
右(文政11年(1828))・左(寛政11年(1799))
六地蔵などの辻
この前の道は護摩焚きの道
六地蔵と左に2つの石造物
2006年4月29日に「流山市の坂⑥」で歩いた時には、
地蔵は4体しかなく、覆い屋もなかった。
全員集合で目出度し、目出度し。
左の2つは
古そうな板碑?だが読めない。
まさかこれが笠間稲荷ではあるまい?
笠間稲荷だった。
以前はここに古い稲荷社があったのだろうか?
「流山市の坂⑥」で歩いた時には気づかなかった。
不動堂
右が36番の大師堂、左は「新川小学校発祥之地 南小学校跡地碑」
大師堂
第三十六番
お大師さん
不動堂内の石造の不動明王
馬坂だが今日は下らない。
神明神社(南)
説明板
境内の庚申塔
社殿の扉は開いていて中から人の気配がする。
34番.西善院
説明板
34番の大師堂
第三十四番
お大師さんは顔を隠しているか。
右端が説明板の十九夜塔(文化10年(1813))
南歩道橋で松戸野田線を横切る。
ブルーベリーガーデンIKEDA
今シーズンのブルーベリーの摘み取り・販売は終了した。
ブルーベリーを栽培しているのか?
こちらは地面に直植え?
浄栄寺の坂(左は常磐道)
クリーンセンターの煙突が近づいてきた。
坂上近くから30番.浄栄寺へ。
観音像はこの中に?
30番の大師堂
第三十番
大師像
手児奈大明神の祠
石造の手児奈像
万葉の歌人にも歌われた伝説の美女、真間の手児奈の縁の地は、
「市川市の坂②」に記載。流山と手児奈との関連は何か?
青田の香取神社にも手児奈塔があるそうだ。「不思議発見!」
浄栄寺の坂を下って、常磐道をくぐる。
庚申塔3体
右は元禄9年(1696)の古いもの。
中は享保2年(1717)・左は文化3年(1806)
流山市クリーンセンター
桐ヶ谷湧水ポケットパーク
桐ヶ谷の湧水(下花輪湧水)だが水は涸れてきたのか少ない。
「マムシなどの毒蛇が目撃されています」の看板で早々に退散。
?坂を上って流山街道に出る。
坂下方向
坂名はついているのだろうか?
ここが何か分からない。
GoogleMapに「新四国秩父坂東巡処」の表示がある。
「新四国・・・第一番・・・」と読める?
北千葉浄水場
西福寺跡、その後の下花輪公会堂の跡形もないが。
正面奥に祠が2つ並んでいる。
17番(左)・60番(右)旧西福寺跡(下花輪公会堂跡?)
第十七番
第六十番
60番のお大師さん
輪になった六地蔵は初めて見た。(2つの祠の間)
何か相談、会議でもしているようだ。
地蔵6体を集めて輪のように並べただけかも?
花輪城址公園(「流山市の坂⑤」に記載)
三郷流山橋有料道路(昨年の11月26日開通)
右に江戸川を渡って三郷市に通じている。
この橋と白狐稲荷神社は「My郷散歩(流山)」に記載。
大杉神社
六部尊(廻国石塔)
表面はかなりすり減っていて読みにくい。
後ろは流山市立中央図書館・市立博物館で、
葛飾県庁印旛県庁跡・加村台御屋敷跡
説明板
相馬大作、関良助顕彰碑
市立博物館に郷土資料コレクションを寄贈した
永井仁三郎(この隣に銅像がある)が、
相馬大作を尊崇していたことに由来するという。
関良助は大作の同志。
奥州街道の福岡宿には相馬大作を祀る
大作神社(呑香稲荷神社境内)がある。
「奥州街道(一戸宿→福岡宿→金田一温泉駅)」
大坂(諏訪道)を下る。
近藤勇陣屋跡は現在工事中(「流山市の坂①」)
秋元稲荷大明神
説明板
閻魔堂
説明板
閻魔大王
閻魔堂の敷地内に46番・66番の大師堂がある。
46番(左)・66番(右)
四十六番
46番.大師像
66番の大師
清水屋本店
ちょっと甘いものが食べたくなってきた。
寺田園旧店舗
説明板
江戸川(上流方向)
クリーンセンターも遠くになりにけり。
江戸川土手から14・15番.旧正覚寺跡
14・15番の大師堂
何の表示もない。
正覚上人碑・左右に「四国第一番お砂」・「四国八十八番お砂」標柱
後ろの古い板碑は正覚上人旅姿の浮彫り?
正覚上人だろう。
万上通り・流山街道を横切り平和台駅(流山線)へ出た。
流山線で幸谷駅まで行く。
幸谷駅の流山線
日光東往還は毎回登場する感じだ。
上新宿(かみしんしゅく)地区を行く。
ここを左折すれば上新宿の八坂神社だ。
八坂神社の鳥居・正面遠方奥は流山市クリーンセンターの煙突。
今日はあの前を通ってさらに南下して、平和台駅までのコースだ。
八坂神社
説明板
41番の大師堂(右奥)
第四十一番
大師像
小屋地区
まだ開発の手が伸びていない昔ながらの風景だ。
4番.無苦尼堂(墓地・北小屋自治会館)
帽子は暖かそうだが、白い涎掛けは寒そうだ。
第四番
流山街道(正面)を横切る。
香取神社随神門
右大臣の随神像
左大臣説明板
境内社
茅葺と見えたが落ち葉だった。
神木の切り株だろう。
ここから北西方向に進む。
37番.北薬師堂
第三十七番
祠の左に並ぶ石造物
正観音菩薩像
馬頭観音(中央・寛政2年(1790))
右(文政11年(1828))・左(寛政11年(1799))
六地蔵などの辻
この前の道は護摩焚きの道
六地蔵と左に2つの石造物
2006年4月29日に「流山市の坂⑥」で歩いた時には、
地蔵は4体しかなく、覆い屋もなかった。
全員集合で目出度し、目出度し。
左の2つは
古そうな板碑?だが読めない。
まさかこれが笠間稲荷ではあるまい?
笠間稲荷だった。
以前はここに古い稲荷社があったのだろうか?
「流山市の坂⑥」で歩いた時には気づかなかった。
不動堂
右が36番の大師堂、左は「新川小学校発祥之地 南小学校跡地碑」
大師堂
第三十六番
お大師さん
不動堂内の石造の不動明王
馬坂だが今日は下らない。
神明神社(南)
説明板
境内の庚申塔
社殿の扉は開いていて中から人の気配がする。
34番.西善院
説明板
34番の大師堂
第三十四番
お大師さんは顔を隠しているか。
右端が説明板の十九夜塔(文化10年(1813))
南歩道橋で松戸野田線を横切る。
ブルーベリーガーデンIKEDA
今シーズンのブルーベリーの摘み取り・販売は終了した。
ブルーベリーを栽培しているのか?
こちらは地面に直植え?
浄栄寺の坂(左は常磐道)
クリーンセンターの煙突が近づいてきた。
坂上近くから30番.浄栄寺へ。
観音像はこの中に?
30番の大師堂
第三十番
大師像
手児奈大明神の祠
石造の手児奈像
万葉の歌人にも歌われた伝説の美女、真間の手児奈の縁の地は、
「市川市の坂②」に記載。流山と手児奈との関連は何か?
青田の香取神社にも手児奈塔があるそうだ。「不思議発見!」
浄栄寺の坂を下って、常磐道をくぐる。
庚申塔3体
右は元禄9年(1696)の古いもの。
中は享保2年(1717)・左は文化3年(1806)
流山市クリーンセンター
桐ヶ谷湧水ポケットパーク
桐ヶ谷の湧水(下花輪湧水)だが水は涸れてきたのか少ない。
「マムシなどの毒蛇が目撃されています」の看板で早々に退散。
?坂を上って流山街道に出る。
坂下方向
坂名はついているのだろうか?
ここが何か分からない。
GoogleMapに「新四国秩父坂東巡処」の表示がある。
「新四国・・・第一番・・・」と読める?
文政元年(1818)に江戸川二十一所大師霊場として
開創した当時は第一番だったのだろうか?
ちゃんとお大師さんは鎮座している。北千葉浄水場
西福寺跡、その後の下花輪公会堂の跡形もないが。
正面奥に祠が2つ並んでいる。
17番(左)・60番(右)旧西福寺跡(下花輪公会堂跡?)
第十七番
第六十番
60番のお大師さん
輪になった六地蔵は初めて見た。(2つの祠の間)
何か相談、会議でもしているようだ。
地蔵6体を集めて輪のように並べただけかも?
花輪城址公園(「流山市の坂⑤」に記載)
三郷流山橋有料道路(昨年の11月26日開通)
右に江戸川を渡って三郷市に通じている。
この橋と白狐稲荷神社は「My郷散歩(流山)」に記載。
大杉神社
六部尊(廻国石塔)
表面はかなりすり減っていて読みにくい。
後ろは流山市立中央図書館・市立博物館で、
葛飾県庁印旛県庁跡・加村台御屋敷跡
説明板
相馬大作、関良助顕彰碑
市立博物館に郷土資料コレクションを寄贈した
永井仁三郎(この隣に銅像がある)が、
相馬大作を尊崇していたことに由来するという。
関良助は大作の同志。
奥州街道の福岡宿には相馬大作を祀る
大作神社(呑香稲荷神社境内)がある。
「奥州街道(一戸宿→福岡宿→金田一温泉駅)」
大坂(諏訪道)を下る。
近藤勇陣屋跡は現在工事中(「流山市の坂①」)
秋元稲荷大明神
説明板
閻魔堂
説明板
閻魔大王
閻魔堂の敷地内に46番・66番の大師堂がある。
46番(左)・66番(右)
四十六番
46番.大師像
66番の大師
清水屋本店
ちょっと甘いものが食べたくなってきた。
寺田園旧店舗
説明板
江戸川(上流方向)
クリーンセンターも遠くになりにけり。
江戸川土手から14・15番.旧正覚寺跡
14・15番の大師堂
何の表示もない。
正覚上人碑・左右に「四国第一番お砂」・「四国八十八番お砂」標柱
後ろの古い板碑は正覚上人旅姿の浮彫り?
正覚上人だろう。
万上通り・流山街道を横切り平和台駅(流山線)へ出た。
流山線で幸谷駅まで行く。
幸谷駅の流山線
「巡拝表」は「」の下欄に。
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