2024年3月22日
吉川駅(JR武蔵野線)・・・熊野山神社‥吉川道・・・新中川水管橋(中川)‥(越谷市)・・(下妻街道)‥(富士見通り)・薬師如来祠?・・・76番.薬師堂跡あたり(千疋自治会館)・・・(JR武蔵野線)・・・75番.80番.金剛寺・・・日枝神社・天満天神社・・・東町ポンプ場・・・元80番.妙音院跡(金剛寺四条東墓地)・・・庚申塔道標・・・74番.宝性院跡あたり(南百自治会館・南百ふれあい公園)・・・水神社・・・(東町くぬぎ通り)・吉川橋(中川)‥(吉川市)・・・19番.延命寺・・・芳川神社・・・稲荷神社(平沼)・・・糀家・・・23番.智勝院・・・鷲神社・・・廃祠?・・・36番.日蔵院・・・吉川駅(JR武蔵野線)
【地図】
吉川駅(JR武蔵野線)・・・熊野山神社‥吉川道・・・新中川水管橋(中川)‥(越谷市)・・(下妻街道)‥(富士見通り)・薬師如来祠?・・・76番.薬師堂跡あたり(千疋自治会館)・・・(JR武蔵野線)・・・75番.80番.金剛寺・・・日枝神社・天満天神社・・・東町ポンプ場・・・元80番.妙音院跡(金剛寺四条東墓地)・・・庚申塔道標・・・74番.宝性院跡あたり(南百自治会館・南百ふれあい公園)・・・水神社・・・(東町くぬぎ通り)・吉川橋(中川)‥(吉川市)・・・19番.延命寺・・・芳川神社・・・稲荷神社(平沼)・・・糀家・・・23番.智勝院・・・鷲神社・・・廃祠?・・・36番.日蔵院・・・吉川駅(JR武蔵野線)
【地図】
上流方向・正面はJR武蔵野線の橋梁
今日も北風が冷たい。桜はまだかいなで待ち遠しい。
今日も北風が冷たい。桜はまだかいなで待ち遠しい。
小祠
前の通りが富士見通り
薬師如来?
76番.薬師堂跡あたり(千疋自治会館)
寺跡の欠片もないが。この付近(千疋地区)にあった寺だろう。
JR武蔵野線をくぐって北側に出る。
75番.80番.金剛寺山門
本堂
聖徳太子堂
日枝神社・天満天神社
日枝・天神合祀の社殿だろう。
塞神(2)・庚申塔・水神社・宇賀神
元80番.妙音院跡(金剛寺四条東墓地)
妙音院は明治期に金剛寺に吸収合併された。
傾いたただの庚申塔と思ったが、道標になっている。
左側面:「南 ?」
右側面:「?」
74番.宝性院跡あたり(南百自治会館・南百ふれあい公園)
『風土記稿』南百村の項に「水神社 村の鎮守なり、宝性院持」とあり、
江戸期は水神社の南側にあった真言宗宝性院が別当だった。
ちょうどこのあたりが水神社の南側に当たる。
南百(なんど)の地名の由来説:①「難渡すなわち難しい渡し」
(この地は古くから南百の渡しと称された、中川の主要な渡船場だった)
②「かつて地内に大きな楠と栢の木があったので、
『楠栢』といっていたが、
流行病があった際に村の名前から木偏を取ったら病が治ったため、
以来『南百』と書くようになった。
両説ともこじつけが何とも面白く、愉快だ。
水神社
明和6年(1769)創建の南百村の鎮守だった。
庚申塔(右端・明和4年(1767))・その左隣(元文5年(1740))
左端の青面金剛庚申塔(安永5年(1776))
吉川橋(中川)を渡って吉川市へ戻る。
ずいぶん長く架け替え工事をしていた。
下流方向
19番.延命寺
「赤山街道③」に記載
稲荷神社(平沼)
糀家
創業から400年の老舗料亭。
近藤勇、勝海舟、板垣退助らも「なまず料理」を食べたようだ。
23番.智勝院
鷲神社
廃祠?
かなり荒れている。ここはマンションの敷地内。
ちゃんと祀るか、撤去すればいいものを。
余計なお世話か。
6番.日蔵院
巡拝表は「北葛飾郡新四国八十八ヶ所巡り①」に記載。
なまずのモニュメント(吉川駅南口)
前の通りが富士見通り
薬師如来?
76番.薬師堂跡あたり(千疋自治会館)
寺跡の欠片もないが。この付近(千疋地区)にあった寺だろう。
JR武蔵野線をくぐって北側に出る。
75番.80番.金剛寺山門
本堂
聖徳太子堂
日枝神社・天満天神社
日枝・天神合祀の社殿だろう。
塞神(2)・庚申塔・水神社・宇賀神
元80番.妙音院跡(金剛寺四条東墓地)
妙音院は明治期に金剛寺に吸収合併された。
傾いたただの庚申塔と思ったが、道標になっている。
左側面:「南 ?」
右側面:「?」
74番.宝性院跡あたり(南百自治会館・南百ふれあい公園)
『風土記稿』南百村の項に「水神社 村の鎮守なり、宝性院持」とあり、
江戸期は水神社の南側にあった真言宗宝性院が別当だった。
ちょうどこのあたりが水神社の南側に当たる。
南百(なんど)の地名の由来説:①「難渡すなわち難しい渡し」
(この地は古くから南百の渡しと称された、中川の主要な渡船場だった)
②「かつて地内に大きな楠と栢の木があったので、
『楠栢』といっていたが、
流行病があった際に村の名前から木偏を取ったら病が治ったため、
以来『南百』と書くようになった。
両説ともこじつけが何とも面白く、愉快だ。
水神社
明和6年(1769)創建の南百村の鎮守だった。
庚申塔(右端・明和4年(1767))・その左隣(元文5年(1740))
左端の青面金剛庚申塔(安永5年(1776))
吉川橋(中川)を渡って吉川市へ戻る。
ずいぶん長く架け替え工事をしていた。
下流方向
19番.延命寺
「赤山街道③」に記載
稲荷神社(平沼)
糀家
創業から400年の老舗料亭。
近藤勇、勝海舟、板垣退助らも「なまず料理」を食べたようだ。
23番.智勝院
鷲神社
廃祠?
かなり荒れている。ここはマンションの敷地内。
ちゃんと祀るか、撤去すればいいものを。
余計なお世話か。
6番.日蔵院
巡拝表は「北葛飾郡新四国八十八ヶ所巡り①」に記載。
なまずのモニュメント(吉川駅南口)
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